「受刑者選挙権/国民審査権訴訟 ~常識、正義、民主主義を問う~」
加藤雄太郎さん(弁護士)
1. 本件訴訟の概要と経緯
本件は、長野刑務所で服役中の原告が、次回の衆議院議員総選挙、最高裁判所裁判官国民審査及び参議院議員通常選挙において投票ができる地位にあることの確認等を求める訴訟です。争点は、禁錮以上の刑の執行を受けている者の選挙権及び国民審査権を制限する公職選挙法11条1項2号及び国民審査法4条が、国民の選挙権及び国民審査権を保障する憲法15条1項及び3項、43条1項、44条但書並びに79条2項及び3項に違反し、無効か、という点です。
原告は、「受刑者は投票できないという常識」に違和感を抱き、場合によっては刑務官の目が厳しくなるリスクを承知で、国を相手に提訴しました。私達弁護団は、この原告の勇気に応えて、なんとしても次回の選挙及び国民審査に参加できるようにしたいという思いで本件に臨んでおりますが、力及ばず、第一審(東京地判令和5年7月20日(LEX/DB文献番号25595549))、控訴審(東京高判令和6年3月13日(LEX/DB文献番号25598383))共に原告側が敗訴しています。
しかし、それほど悲観してはおりません。本件訴訟について、多くの憲法学や行刑学の研究者とコンタクトを取りましたが、ほとんどの先生方が、憲法上疑義があるという見解をお持ちでした。また、被告国の主張、地裁判決、高裁判決よりも、私達原告側の主張が法律論として優れているという自信があります。何より、途中経過がどうであれ、最高裁勝負であることは端から分かっていました。
以下では、本件訴訟の意義や、受刑者に選挙権/国民審査権を認めることについて、私の個人的な見解を述べます。私が所属する組織とは全く無関係であることはもちろん、必ずしも弁護団の総意でもないことをご理解ください。
2. 本件訴訟の意義 ~二つの文脈~
本件は、二つの文脈の交差点にある訴訟です。
一つは、受刑者と呼ばれる方々の人権を取り戻す文脈です。刑務官の暴行による受刑者死亡事件を契機として、隔離を趣旨とする旧監獄法は、改善更生と社会復帰を趣旨とする刑事収容施設法に改正されました。しかし、近年も刑務所内の暴行事件は後を絶ちません。戸籍上は男性で性自認が女性である受刑者に対する丸刈りの強要もありました。
2024年4月からは、刑務官と受刑者が互いにさん付けで呼び合う運用に変更されるとのことですが、根本的には、不合理な受刑者の権利制限を再検討する必要があると思うのです。更正へのプロセスとしての矯正であるという位置付けを徹底することは、将来の犯罪を減少させます。苦しい立場にいる人に手を差し伸べる寛容な社会の形成という観点において、犯罪被害者の保護とも全く矛盾しないはずです。
もう一つは、選挙権と国民審査権の拡大の文脈です。
近現代史の観点からは、まず厳格な制限選挙から始まり、1925年の男性のみの“普通選挙”を経て、戦後の女性参政権の獲得で、民主主義的な選挙制度は一応の完成を見ます。もっとも、憲法訴訟史の観点からは、平成17年の在外国民選挙権事件の最高裁違憲判決(最大判平成17年9月14日民集59巻7号2087頁)が重要でしょう。ここで示された厳格な審査基準が踏襲され、平成25年の東京地裁の違憲判決(東京地判平成25年3月14日判時2178号3頁)を契機として成年被後見人の選挙権及び国民審査権が、令和4年の最高裁違憲判決(最大判令和4年5月25日民集76巻4号711頁)により在外国民の国民審査権が認められました。このように、近年では憲法訴訟を通じて、不合理な選挙権制限、国民審査権制限が改められてきました。
3. 文脈が交差する先にあるもの
この二つの文脈の交差は、私達に深遠な問いを示します。そのヒントは、くしくも原告側の主張を退けた高裁判決の中にあります。
(1) 原告側の主張と高裁判決
原告側の主張は、提訴段階から一貫しています。平成17年最判及び令和4年最判が示した厳格な基準、すなわち「(自ら選挙の公正を害する行為をした者等の選挙権について一定の制限をすることは別として、【筆者注:この留保は平成17年最判のみに付されています。】)国民の選挙権/審査権又はその行使を制限することは原則として許されず、国民の選挙権/審査権又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならないというべきである。そして、そのような制限をすることなしには選挙/国民審査の公正を確保しつつ選挙権/審査権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合でない限り、上記のやむを得ない事由があるとはいえ」ない、という基準を用いて判断をすべきであり、受刑者の選挙権/審査権を認めても選挙/国民審査の公正は害されないのであるから、「やむを得ない」制限にはあたらない、というものです。
これに対し、高裁判決は次のように判示しました。
「(受刑者は、)選挙の公正を害する犯罪行為を犯した者ではないが、社会内で他の国民と共同生活を営むに当たって最低限遵守すべき刑罰法令に違反するという社会的な非難に値する行為を行った者である上、犯情の悪質性等の事情を考慮して社会から隔離した施設内で処遇する必要があると公権的に判断された者であるから、そのような行為を行ったという点において、規範意識が欠如し、又は著しく低下しているといえ、そのような者には公正かつ民主的であるべき国家の意思形成過程である選挙に参加する資格・適性がないと疑うに足りるやむを得ない事由があるというべきであり、そのことをもって、選挙の公正を厳粛に保持すべき必要性が国民の選挙権の保障に優先するとの事情があるとみることができる。そして、そのような者の国政への参加の機会を保障する選挙権が、刑の執行を終わるまでの間、制限されたとしても、やむを得ないということができる」「そうである以上、一般犯罪を犯した受刑者は、選挙犯罪者に準ずる者として、平成17年最判がいう上記『自ら選挙の公正を害する行為をした者等』の『等』に含まれる」
(2) 高裁判決の弱点
高裁判決の論理では、令和4年最判には「自ら国民審査の公正を害する行為をした者等は別として」という旨の判示がないことを説明できないという分かりやすい論理的な弱点がありますが、最も看過できないのは「(受刑者は)規範意識が欠如し、又は著しく低下しているといえ、そのような者には公正かつ民主的であるべき国家の意思形成過程である選挙に参加する資格・適性がないと疑うに足りるやむを得ない事由がある」という部分です。
裁判所の法解釈は、法律のルールの適用範囲を明確する機能があるはずです。もしこの部分が正しい法解釈なのであれば、公職選挙法11条1項は、2号を削除するどころか、新たに選挙権の欠格事由として、「規範意識が欠如し、又は著しく低下している者」や「公正かつ民主的であるべき国家の意思形成過程である選挙に参加する資格・適性がないと疑うに足りるやむを得ない事由がある者」といった規定を設けた方がより明確になって良いということになるでしょう。
果たしてそうでしょうか。仮にこのような基準による選挙権制限が許されるのであれば、その時々の政権が、自らを支持しない有権者について「資格・適性がない」と評価して選挙から排除することが容易にできてしまうのではないでしょうか。国民が公権力を選ぶのではなく、公権力が国民を選ぶという危険な構造であると思います。
(3) 常に暫定的であることを望む
このように高裁判決への反論は様々な角度から可能ですが、問題はその先です。
裁判官も人間です。家族のために働いているのかもしれませんし、金曜日の夜はお酒を飲んで自分を労っているかもしれません。その人が、自らの良心に基づき「規範意識が欠如した受刑者には選挙に参加する資格・適性がない」と言ったのですから、これは法律の専門家としての論理的思考よりも、素朴な市民的な感覚が上回ったことを意味するのかもしれません。そして、仮に本件訴訟において最高裁で違憲判決を得たとしても、ネガティヴな反応を示す人の方が多いということかもしれません。
ここにおいて、多数派が望まない少数派の権利行使を、民主主義の名の下にどこまで制限できるのか、という本質的な問題と直面します。極論、憲法自体を改正して、憲法に「受刑者の選挙権を認めない」と書き込むこともできてしまうのですから、素朴な市民的感覚に対して「法律的でない」と一笑に付してはいられないのです。
もし、受刑者が選挙権や国民審査権を行使することに対するネガティヴな感情の正体が、厳罰主義的な「正義」感や、自らの「常識」に反するという不快感であるならば、どうか立ち止まって考えて欲しいと思います。手続的には、多数派による“民主主義”の実践であるとして、少数派の権利を制限することは容易です。しかし、少数派が民主主義のプロセスに参加する権利すらも奪われてしまうのならば、時代の変化による正義や常識の変化は否定され、もはや民主主義のプロセスにより多数派と少数派が入れ替わる機会が失われます。これは多数派のみの代表者による独裁を意味し、その“民主主義”は自壊することが必至です。
すなわち、少数派の権利行使に対するネガティヴな感情は、民主主義を維持するために不可避なコストなのです。
100年前の日本では、裕福な男性のみが政治に参加できることが、正義であり、常識であったのではないでしょうか。時代によって何が正義か、何が常識かは変わるはずです。誰もが投票できて、いつでも多数派と少数派が入れ替わるという構造の上に立つ必要があります。民主主義のプロセスにより形成された国民の意思の正当化根拠は、それ自体が常に暫定的であることに求められるのではないでしょうか。
◆加藤 雄太郎(かとう ゆうたろう)さんのプロフィール
2018年3月 東京大学法学部卒業
2020年3月 東京大学法科大学院修了
2022年4月 弁護士登録(司法修習期:74期、第二東京弁護士会)、長島・大野・常松法律事務所入所
資源・エネルギー法務、不動産取引、M&A/企業再編、その他企業法務一般に関する案件等を扱うとともに、複数の公共訴訟プロジェクトに参加。