2025.02.25 オピニオン

「アメリカの大統領令とは何か?」

西山隆行さん(成蹊大学法学部教授)



大統領令という言葉

 アメリカのドナルド・トランプは大統領に返り咲いてから、数多くの「大統領令」に署名しているという報道が日本でなされている。一部メディアは、トランプが出した大統領令をCNNがまとめたサイトなるものを出典として、政権発足ちょうど一か月の2025年2月20日の時点で、トランプは108の大統領令を発令した、と報道している。この大統領令を用いた政権運営について、大統領の行動力と決断の速さを称賛する声もあるようだ。

 だが、このような議論については、いくつかの留保が必要である。

 まず、「大統領令」という言葉にぴったり対応する英語表現が存在しないことを指摘する必要があるだろう。大統領令と言えば大統領が出す命令を指すものと思われるが、ホワイトハウスのウェブページ内でそれに該当するように思われる表現として使われているのはPresidential Actionsであるし※1、上述のCNNのサイトで用いられているのはexecutive actionsである※2。そして、歴代の大統領が出した命令に該当するものを見てみれば、executive order、presidential memorandum、proclamationなどの表現が用いられている。日本語をあてるならば、それぞれは行政命令、大統領覚書、布告となるだろうか。そして、各種インターネット記事を見てみれば、大統領令という言葉の指すものが行政命令のみならず大統領覚書なども含んでいる場合もあれば、行政命令のみをさしている場合もありそうだ。他方、田中英夫編『英米法事典』(東京大学出版会、1991年)を見ると、executive orderの訳語として行政命令と大統領令の両方が使われているようだ。大統領令という言葉の用法は曖昧だという事を、まず念頭におく必要があるだろう。

 ちなみに、例えばexecutive orderとpresidential memorandumの違いは、前者が大統領の発令後に連邦官報への記載が義務付けられている(1935年連邦官報法)ことと、その命令の根拠となる法律を明示しなければならないのに対し、後者の場合は連邦官報への記載義務がなく、命令にあたって必要とされる根拠法を明示する必要もないことである(覚書の場合は「合衆国憲法と制定法の定め」に基づき…というような曖昧な表現を用いて出されている)。実は、歴代の大統領は行政命令を中心に出していたのが、バラク・オバマ大統領が大統領覚書を多用するようになり、両者の効力の違いが明確でないこともあって、アメリカのメディアがexecutive actionsという表現を用いるようになったというのが実情のようだ※3。

 

大統領令の効力は?

 では、大統領は大統領令を用いれば何でもできるのだろうか?インターネット記事などを見ていると、大統領令は「連邦議会の承認を得ず法的効力を持つ」とか「法律と同様の効力を持つ」という説明がなされていることがあるが、実はこれらの説明は不適切だ。

 周知のとおり、アメリカの政治体制は権力分立制を根本に据えている。実はこの権力分立という言葉の意味も複雑なのだが、連邦議会が立法権を、大統領が行政権を、最高裁判所が司法権を主管するという事がその根幹である。日本の場合は行政部である内閣の構成員の過半数は国会議員である必要があるため、内閣が法案を提出することができる。議院内閣制は立法部と行政部の融合を想定しているともいえよう。だが、アメリカの場合は行政部と立法部の兼職が認められていない(唯一の例外として、副大統領が連邦議会上院の議長を務めることになっている)。大統領は法案に署名するか拒否権を行使するかを決定する形で立法に携わることはできるが、法案提出権を持っていない。合衆国憲法は大統領に法律を誠実に執行することを義務付けており、大統領が議会の意図と異なる政策を形成するための権能は与えられていないのである。

 大統領令と称されるものの本質を理解するためには、この原則を確認することが重要である。大統領令と呼ばれているものは行政部門を律するためのものであって、法律を代替するわけではないのである。中南米諸国などでは大統領令が既存の法律に優位することもあるが、米国の大統領令は、あくまでも既存の法律の枠内で、政権の政策実施の優先順位をつけるなどの裁量を利かせるためのものである。したがって、法律上の根拠がなければ効力を持たないし、連邦議会が対応する予算をつけなければ絵に描いた餅になってしまう。連邦裁判所が無効判決を出すことも多いのである。

 このようなものが必要な一つの要因としては、アメリカの法律が全て議員立法によって作られていて日本と比べて完成度が低く、また官僚制の発達が独特なことがあげられる。どの国においても、あらゆる政策について詳細に法律で定めることはできないため、法執行を担う部門に裁量を与える必要がある。日本の場合は官僚がその際に大きな役割を果たすが、アメリカの場合は日本のように優秀な官僚制が存在するわけでもないし、「行政権は大統領に属する」と合衆国憲法第2条で定められている。アメリカの場合は議員立法によって毎年数多くの法律が制定されているが、その全てが実施されるとは全く想定されていないし、そもそも十分な予算がつけられることもない。そのため、大統領はどの法律を執行するか、また、特定の法律を執行する際にもどのような優先順位をつけるかを定める必要がある。そのようなことをする場合に大統領令が重要になるが、その範囲を超えて実施されると、裁判所によってその効力が否定される可能性が高くなる。

 一例をあげれば、トランプ大統領は史上最大の不法移民の強制送還作戦を開始すると宣言しているが、現在米国内に居住しているとされる全ての不法移民全員を一度で退去処分にする作戦を敢行するには少なくとも3150億ドルかかると推計されている※4。そのような巨額の予算を議会がつけることは考えられないため、歴代の大統領は不法移民の強制送還をするための優先順位を大統領令で行ってきた。例えば、オバマ大統領が、幼少期に親に連れられて違法に入国したドリーマーと呼ばれる不法移民の強制送還を行わないという大統領令を出したが、それは強制送還を行う際の優先順位を定めたものなので大統領権限の範囲内とされて合憲だとされた。だが、大統領令の中でドリーマーにアメリカ国内での労働の許可を与えた部分については、法律上の根拠がないという事で裁判所によって効力が否定されたのである※5。

 大統領は自らの権限拡大を目指して法律の限界すれすれを狙って大統領令を発動することも多い。トランプ政権に関しては、法律はおろか、伝統的な憲法解釈に反する内容を伴った大統領令を出すことも辞さないようである。だが、大統領令は大統領が採用することのできる万能薬では決してない。連邦議会は大統領令に不満を感じれば、根拠となる法律を修正することができるし、執行に必要な予算を認めないことで対抗することができる。裁判所は、大統領令の内容を審査したり、差し止めることができる。これらの制約を乗り越えた場合にのみ大統領令が効力を持つという事を認識する必要があるだろう。

 日本では、アメリカの大統領は強い権限を持つという印象が強く、大統領令はその証左であるかのように語られることがある。だが、本来ならば大統領は自らの望む政策を実施するためには連邦議会を説得して法律を通してもらうのが筋なのだ。近年、とりわけオバマ政権以降のアメリカでは分断と二大政党の勢力拮抗・対立激化が特徴となっていることもあり、そのような説得をすることができないと判断した大統領が大統領令を頻繁に発令するようになっているが、そのような手法を採らざるを得ない大統領は、むしろ強い存在ではなく、弱い存在なのである。

 

※1 https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/

 

※2 https://edition.cnn.com/politics/tracking-trump-executive-orders-actions-dg/index.html

 

※3 このあたりについては、梅川健氏の一連の業績に詳しい。例えば、東京財団政策研究所 監修/久保文明・阿川尚之・梅川健編『アメリカ大統領の権限とその限界―トランプ大統領はどこまでできるか』(日本評論社、2018年)所収の諸論稿を参照のこと。

 

※4 米国内に居住する不法移民の数を正確に推計するのは困難だが、一般的にはPew Research Centerの推計に基づいて1100万人とすることが多い。ただし、上述の試算を行ったAmerican Immigration Councilは1300万人と見積もっている。Passel, Jeffrey S., & Jens Manuel Krogstad, “What we know about unauthorized immigrants living in the U.S.,” Pew Research Center, July 22, 2024, https://www.pewresearch.org/short-reads/2024/07/22/what-we-know-about-unauthorized-immigrants-living-in-the-us/. American Immigration Council, “Mass Deportation: Devastating Costs to America, Its Budget and Economy,” October 2, 2024, https://www.americanimmigrationcouncil.org/research/mass-deportation.

 

※5 西山隆行『移民大国アメリカ』(ちくま新書、2016年)

 


◆西山隆行(にしやま たかゆき)さんのプロフィール

成蹊大学法学部教授。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了、博士(法学)。主な単著に、『アメリカ大統領とは何か―最高権力者の本当の姿』(平凡社新書、2024年)、『<犯罪大国アメリカ>のいま―分断する社会と銃・薬物・移民』(弘文堂、2021年)、『アメリカ政治入門』(東京大学出版会、2018年)などがある。