2020.11.26 オピニオン

世界のなかで9条をもう一度考える  ――『憲法9条再入門』で伝えたかったこと

前田 朗さん(東京造形大学教授)



 

1 9条に凭れて

 「9条は世界の宝」「9条は人類の宝」。

 私たちは9条を掲げて平和運動に取り組んできました。8.15という日付に終点をもつこの国の侵略戦争の歴史を反省して。

 私たちは憲法前文の平和的生存権と9条の平和主義を両輪として平和運動を組み立ててきました。治安維持法と特高警察による弾圧の恐怖を再現させないために。

 戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を明記した9条の世界史的意義を踏まえながら、私たちは戦後平和主義を実感し、自らのものとして生きてきました。

 9条の平和主義は「戦争をしない」という形での消極的平和主義です。憲法前文の平和的生存権や国際協調主義は「平和をつくり出す」という意味での積極的平和主義です。日本国憲法は消極的平和主義と積極的平和主義の両輪を備えることによって、先駆的先進的な平和憲法となりました。

 敗戦後10年目の冬に北海道札幌に生まれた私は、戦後高度成長の恩恵を受けて何不自由なくのびやかに育つことができました。

 その私が9条について正面から考えるようになったのは、高校時代に、自衛隊の違憲性を問う長沼訴訟札幌地裁判決に出会ったためでした。1973年9月7日の判決は、日本の裁判史上唯一の「自衛隊違憲判決」でした(前田朗『増補・平和のための裁判』水曜社)。

 それから35年後に名古屋高裁は「自衛隊イラク派遣違憲判決」を出しましたが、この時、すでに「自衛隊そのものの合憲性」がこの社会に定着していました。この国と社会は大きく変わりました。

 かつての「9条を守る」は、9条に書いてある通りにしよう、という意味でした。自衛隊は憲法違反ですから、自衛隊の廃止が必要です。在日米軍も不要です。

 こんにちの「9条を守る」は、9条を書き換えるな、という意味となっています。改憲を唱える政党が権力を握り続け、改憲のスケジュール化を叫んでいます。日米安保、日米同盟、米軍と自衛隊の共同作戦、集団的自衛権など、憲法破壊が続いています。

 それでも9条擁護の声をかき消すことはできません。

 「9条は世界の宝」「9条は人類の宝」、そして「9条を守る」。

 9条の世界史的意義に促されて、9条に凭れながら、私たちは歩んできましたし、これからも歩み続けるでしょう。

 9条の空洞化と、改憲の危機を前に、9条擁護の平和運動を、日本で、そして世界で意義あるものにするために、私たちは9条に「再入門」する必要があるのではないか――こうした問題意識から『憲法9条再入門』(三一書房)という小さな本を作りました。

 私自身の著作としては「再入門」シリーズ第4弾になります。『刑事法再入門』(インパクト出版会)、『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(耕文社)、『500冊の死刑――死刑廃止再入門』(インパクト出版会)。いずれも、「入門」後の経験をあらためて対象化し、思考をリフレッシュするために「再入門」という表題を付しました。

 9条擁護の護憲運動のリフレッシュのための1冊です。

 

2 9条の「影」を見据えて――日本国憲法と植民地主義をめぐって

 いきなり9条の「影」などと言うと、反発を買うことも少なくありません。改憲派が9条にあれこれ難癖をつけてきましたから、護憲派としては9条全面擁護にならざるをえないからです。

 しかし、確認しておくべきことは少なくありません。その一つが植民地問題です。

 第1に、憲法前文は戦争への反省を明確に打ち出していますが、植民地支配には言及していません。私たちは、戦争と植民地支配の両方の反省を含んでいると解釈しますが、明文化されていません。

 第2に、憲法改正の審議を行ったのは第90回帝国議会ですが、その衆議院には、沖縄県選出議員もいなければ、旧植民地出身者の議員もいませんでした。衆議院議員選挙に際して、旧植民地出身者を有権者から除外し、同時に沖縄県民も除外したからです。

 2つの点を考慮する必要があります。

 1つには、フロリダ州を除外してアメリカ憲法の改正を行えるか。バイエルン州を除外してドイツ憲法(ボン基本法)の改正を行えるか。

 2つには、そもそも沖縄県とは、琉球王国を潰して日本に併合した結果として設置された県です。つまり、植民地的な位置にあったのではないか。昭和天皇が沖縄をアメリカに貸し出すと述べた「天皇メッセージ」をどう読むか。

 そもそも日本国憲法には、どこが日本であるのか書いてありません。領土規定がないのです。憲法が適用される範囲が示されていません。韓国憲法には韓半島が領土であると明記されています。普通の憲法には領土規定があります。

 大日本帝国憲法にも領土規定がありませんでした。「ここが日本だ」と書いていないので、いつでもどこでも領土を増やすことができました。琉球併合、台湾割譲、韓国併合など、憲法改正は必要なく、どんどん領土を増やしたのです。自由に侵略できる憲法でした。

 日本国憲法にも領土規定がありませんから、いつでも沖縄を除外したり、「沖縄返還」と称して「復帰」させることができました。「沖縄を除外してつくった平和憲法は素晴らしい」とみんなが考えているのです。とても不思議な話です。

 第3に、憲法前文は「日本国民」を主語に語られています。憲法第3章は「国民の権利」を語ります。ところが「国民」とは誰なのか、憲法は語りません。憲法10条は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」としています。つまり、誰であるのかわからない「国民」が憲法を制定したことになっているのです。とても奇妙な話です。

 憲法で国民の意味が明らかになるのは第1条です。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」となっているのですから、「臣民」や「赤子」から格上げされたとはいえ、国民の「総意」で天皇制が聳え立つ枠組みになっているのです。

 第4に、憲法第3章の「国民の権利」には、外国人、特に旧植民地出身者が含まれませんでした。それどころか、憲法施行前日の1947年5月2日に発出された外国人登録令(後の外国人登録法)によって、旧植民地出身者の国籍や在留資格その他の基本的人権が根こそぎ奪われた事実をどう見るか。

 こうした事実は長い間、無視(ないし軽視)されてきました。憲法学がこの問題を議論し始めたのは21世紀になってからのことです。誰であるのかわからない「国民」、旧植民地出身者を除外することだけ明確な「国民」――その「国民」の「主権」と「天皇制」の下で、憲法学は日本国民だけの人権と平和を語ってきました。その帰結が「ヘイト・スピーチといえども表現の自由だ」という異常な差別学説となって現れます(前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』、『ヘイト・スピーチ法研究原論』ともに三一書房)。

 沖縄については、さらに考えるべきことがあります。私たちは平和憲法を語り、日本は平和国家であると考え、平和主義の擁護を訴えてきました。しかし、沖縄が米軍施政権下にあった時期に、本土の米軍基地を沖縄に移転して、本土の米軍基地が縮小したことによって、私たちは平和国家と唱えることができたのではないでしょうか。沖縄に米軍基地の70%が集中している現状は、私たちの平和主義の「影」を如実に示しているのではないでしょうか。

 歴代政権は日米同盟と在日米軍基地によって日本を守ると称していますが、翁長雄志沖縄県知事(当時)が「その日本に沖縄は含まれているのですか」と尋ねた時に、安倍首相は応答しませんでした。答えは明白です。

 

3 軍隊のない国家――ピース・ゾーンを求めて

 「9条は世界で唯一の平和憲法」という言葉が平和運動の現場で語られてきました。憲法前文の平和的生存権と9条の戦争放棄と戦力不保持が重要な条項であることは言うまでもありません。

 しかしブルンジ憲法をはじめとして、平和権規定は他にいくつも存在します(前田朗「ブルンジ憲法の平和的生存権」『世界へ未来へ9条連ニュース』254号、2016年)。

 戦争放棄憲法ならイタリア憲法などが代表例です。フィリピンやカンボジアにも平和憲法があります。

 軍隊不保持憲法はリヒテンシュタイン、コスタリカ、キリバス、パナマにもあります。一番古い非武装憲法は1921年のリヒテンシュタイン憲法です。1946年の日本国憲法よりも25年前です。リヒテンシュタインが軍隊を廃止したのは1868年のことでした。

 軍隊のない国家は日本以外にも多数あります。

 2005年4月、ジュネーヴの国連欧州本部で開催された国連人権委員会(当時。後に人権理事会に改組)の折、会議室で「軍隊のない国家27カ国」というセミナーが開かれました。「27カ国って……本当にそんなにあるのか。ヴァチカン、アンドラ、リヒテンシュタイン、コスタリカ、パナマ、モナコ……」と指折り数えながら会場に向かいました。講師はクリストフ・バーベイでした。「軍縮を求める市民協会」の運動家でスイス人です。バーベイは軍隊のない国家27カ国の事例を紹介し、その歴史、地理的条件、文化をさらに研究する必要性を説きました。

 バーベイは2005年には27カ国を列挙していましたが、現在では次の26カ国を掲げています(アルファベット順)。

 アンドラ、クック諸島、コスタリカ、ドミニカ国、グレナダ、ハイチ、アイスランド、キリバス、リヒテンシュタイン、マーシャル諸島、モーリシャス、ミクロネシア、モナコ、ナウル、ニウエ、パラオ、パナマ、サモア、サンマリノ、ソロモン諸島、セントキッツ・ネーヴィス、セントルシア、セントヴィンセント・グレナディンズ、トゥヴァル、ヴァヌアツ、ヴァチカン。

 軍隊のない国家を数えるためには、国家とは何か、軍隊とは何かを定義しておかなくてはなりません。クリストフ・バーベイ著『非軍事化――軍隊のない国家』(オーランド諸島平和研究所、英文)は、そうした定義を試みたうえで、軍隊のない国家について多角的に論じています。

(1)法的基準が明示されている場合として、コスタリカ、キリバス、パナマは憲法が軍隊を設立しないことを明示しています。

(2)憲法が軍隊について沈黙する形での非武装として、ナウル、トゥヴァル、ヴァチカン、アイスランドがあります。

(3)憲法は沈黙しているが国際協定によって示されている場合として、アンドラ、モナコ、クック諸島、ニウエがあります。

(4)国際協定によるが憲法が沈黙していない場合として、パラオ、マーシャル諸島、ミクロネシアがあります。

(5)憲法には言及がなく他の関連条項が軍隊に言及している場合として、ドミニカ国、グレナダ、モーリシャス、ソロモン諸島、セントルシア、セントヴィンセント・グレナディンズがあります。

(6)憲法・法律が軍隊の存在と組織に言及しているため、法的基準のない場合として、ハイチとサンマリノがあります。

 バーベイは法的基準とは別に事実基準を採用して、識別に工夫を凝らしています。警察との関係や、再軍備した国家についても検討しています。

 私は軍隊のない国家27カ国を訪問して、『軍隊のない国家』(日本評論社、2008年)を出版しました。そこで明らかにした事実とバーベイが明らかにした事実を比較すると、次の点で差異があります。

(1)モルディヴが再軍備したことです。私は2005年8月から調査旅行を開始し、モルディヴには2006年2月に訪問しました。ところがバーベイによると、モルディヴは2006年4月に再軍備したと言います。

(2)バーベイは警察力の調査を行って、軍隊のない国家の判定を行っています。私は軍隊とその他の実力組織との比較を考えましたが、実際に警察力の規模を調査していません。モルディヴやモーリシャスの沿岸警備隊が強化されている事実は入手していましたが、それ以上の調査ができませんでした。セントキッツ・ネーヴィスの警察力増強がネーヴィス分離独立論との関係で起きていることは私も意識しており、首都郊外の防衛隊を調査に行きました。

(3)私はハイチを軍隊のない国家に算入しませんでした。ハイチには軍隊と武装勢力の間の激しい紛争が起き、その結果として国連PKOが駐留しています。国連PKOによってかろうじて公共の安全が維持されている状態です。もう少し様子を見てから判断しようと考えました。バーベイはPKOの20年に及ぶ歴史を踏まえて、ハイチを軍隊のない国家としているようです。

 最後に私自身の関心事項を2点列挙しておきます。

(1)私の最大の関心は、世界の軍隊のない国家に9条の影響があったかどうかです。

 結論として、9条の影響はどこにも確認できませんでした。9条が世界の平和憲法にも、軍隊のない国家にも影響を与えていないのは、私たちの努力が足りなかったのではないでしょうか。

(2)多様なピース・ゾーンの意義を再検討する必要があります。

 第1に個人のレベルの平和主義、市民的不服従です。9条があるからではなく、非暴力・非武装平和主義だから私たちは9条擁護なのです。

 第2にピース・ゾーンです。バルト海のオーランド諸島は1世紀に及ぶピース・ゾーンです。フィリピンやコロンビアではピース・サンクチュアリやピース・コミュニティの試みがあり、日本では無防備地域宣言運動の取り組みがありました。

 第3に軍隊のない国家です。

 第4に軍隊のない国家の国際的領域です。太平洋やカリブ海地域には軍隊のない国家が多数存在します。コスタリカとパナマは隣国です。国境を超えたピース・ゾーンの設定が課題です。

 第5に世界全体の非軍事化、脱軍事化の協調です。非核地帯条約や核兵器廃止条約との接合も考えていきたいと思います。

 以上のような多様なレベルでピース・ゾーンを考え、そこにおける9条の意義にふたたび光を当てることが必要です。

 

4 平和への権利宣言

 2016年12月16日、国連総会は平和への権利宣言を採択しました。賛成131、反対34、棄権19です。主な反対はアメリカ、EU諸国、日本です。

 「すべての人は、すべての人権が促進及び保障され、並びに、発展が十分に実現されるような平和を享受する権利を有する」(第1条)のように、宣言の条文に「平和を享受する権利」が書き込まれました。

 従来の国際法では、平和と安全の維持が国連の目的として掲げられてきました。国連憲章第1条第1項が「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること」と規定しています。平和と安全は国家間の関係であり、平和に対する脅威や侵略行為のない状態を指していました。「状態としての平和」です。

 平和への権利宣言は「すべての人」の権利として「平和を享受する権利」を掲げました。国家間関係としての平和ではなく、「すべての人」の権利としての平和です。「状態としての平和」ではなく、「権利としての平和」です。

 平和への権利宣言を求める世界キャンペーン運動は2006年にスペインのNGO「スペイン国際人権法協会」によって始められ、国連人権理事会で議論が始まりました。日本のNGOも早い段階からこれに加わり、国連及び日本国内で平和への権利の普及に努めました。また2017年7月、国連総会は核兵器禁止条約を採択しました。ここでも日本政府は反対しましたが、NGOは条約採択に向けて努力を積み重ねました。日本政府の反対にもかかわらず、平和を求めるNGOは国際平和運動との連帯を強めてきました。

 平和への権利宣言採択を求める世界キャンペーンを始めたのは、2005年2月に結成されたNGOのスペイン国際人権法協会です。2003年のイラク戦争本格化を阻止できなかったことから、平和への権利を国際法化する取り組みです。スペインで何度も会議を開き、国連人権理事会に乗り込んでロビー活動を展開しました。世界各地で開催した会議のたびに宣言をまとめました。ルアルカ宣言、ラプラタ宣言、ヤウンデ宣言、バンコク宣言、ジョハネスブルク宣言、サラエボ宣言、アレクサンドリア宣言、ハバナ宣言、名古屋宣言、ビルバオ宣言、バルセロナ宣言を積み重ね、平和への権利の概念を明確化するとともに、各地の平和運動団体に協力のネットワークをつくっていきました。

 日本でも市民・法律家が、平和への権利国際キャンペーン日本実行委員会(共同代表・海部幸造、新倉修、前田朗、事務局長・笹本潤)を発足させました。日本実行委員会には日本国際法律家協会(JALISA)、日本民主法律家協会(JDLA)、国際人権活動日本委員会(JWCHR)、日本友和会(JFOR)をはじめ多くのNGOが結集しました。

 世界中から1000を超えるNGOが連携して、2010年12月10日、国連人権高等弁務官事務所との協力のもと、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)で国際シンポジウムを開き、サンティアゴ宣言をまとめ上げました。

 これを受けて、国連人権理事会諮問委員会が国連平和への権利宣言草案をまとめて、人権理事会に提出しました。コスタリカやキューバがまとめ役となり、NGOが後押しをして、数年がかりでついに2016年12月、国連総会での採択に結びつきました。

 宣言前文は「平和とは、紛争のない状態だけでなく、対話が奨励され紛争が相互理解及び相互協力の精神で解決される積極的で動的な参加型プロセスを追求し、並びに、社会経済的発展が確保されること」を認めて、現代平和学における平和概念の発展を継承することを示すと同時に、「人類社会すべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であることを想起し、平和が人間の固有の尊厳に由来する不可譲の権利の完全な享受により促進される」として、人権の基礎的理解を明示します。

 平和の構築には多様で多元的な目標設定と努力が不可欠なので、貧困の根絶、持続的経済成長、持続可能な開発、各国内及び各国間の不平等の是正、武力紛争予防、武力紛争予防の文化の促進、男性と対等な条件での最大限の女性参加、人権及び宗教と信念の多様性の尊重、寛容及び平和の文化を促進する世界対話等に言及します。その上で宣言前文は「平和の文化及び正義、自由、平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、かつ、すべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神を持って果たされなければならない義務である」と述べます。

 第2条は「国家は、平等及び無差別、正義及び法の支配を尊重、実施及び促進し、社会内及び社会間の平和を構築する手段として、恐怖と欠乏からの自由を保障すべきである」としています。

 平和への権利に対応して国家の責務を示した条項です。平和を国家間関係だけでなく、社会内及び社会間の平和として把握しています。恐怖と欠乏からの自由は大西洋憲章や日本国憲法前文にも用いられています。

 第3条は次の通りです。

 「国家、国際連合及び専門機関、特に国際連合教育科学文化機関(UNESCO)は、この宣言を実施するために適切で持続可能な手段を取るべきである。国際機関、地域機関、国家機関、地方機関及び市民社会は、この宣言の実施において支援し、援助することを奨励される。」

 宣言の実施を国家、国連、専門機関に求めています。UNESCOに言及しているのは、UNESCOが長年にわたって平和の文化に関するキャンペーンを実施してきたからです。

 第4条は「平和のための教育の国際及び国家機関は、寛容、対話、協力及び連帯の精神をすべての人間の間で強化するために促進されるものである。このため平和大学は、教育、研究、卒後研修及び知識の普及に取り組むことにより、平和のために教育するという重大で普遍的な任務に貢献すべきである」と定めます。

 平和教育についても国家や国際機関の任務を示すとともに、平和大学を明記しています。ここに言う平和大学はコスタリカにある固有名詞の国連平和大学です。

 国連という国際政治の場で採択された平和への権利宣言は、当初準備された草案のかなりの部分を削除したため、内容面では不満の残る宣言となりましたが、今後の国際平和のための土俵設定ができました。

 平和への権利宣言はできましたが、シリアの内戦は悲惨な状態です。アルメニアとアゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ紛争も深刻です。世界は内戦、テロリズム、人種・民族差別、環境汚染による破壊の只中にあります。平和への権利を世界で実現するために、NGOの連帯がますます重要です。

 

5 9条のセールスマン

 軍隊のない国家の調査と国連平和への権利宣言採択運動を通じて、私が痛感したのは、世界史における9条の意義を理解し、世界に向けて発信することの大切さでした。

 9条の歴史を見ると、植民地主義を克服できていないことや、沖縄に9条が「適用」されていないことをはじめ、「影」の部分もありますが、それでも憲法前文の平和的生存権と9条の平和主義(戦争放棄、軍隊不保持)は世界に先駆けた平和憲法としての意義を有します。

 ところが、私たちは国内で9条を実現できていません。日米安保条約と自衛隊という2つの軍事組織が世界最強の軍隊として日本に駐留しています。

 私たちは国際社会に9条を十分発信してきたとも言えません。世界には非武装憲法や平和権を掲げた憲法があり、軍隊のない国家があります。しかし、9条の影響を受けた国は1つもありません。私たちが十分活用してこなかったためではないでしょうか。世界に向けて9条のセールスマンになるべきだったのに、それができていません。

 国連平和への権利宣言を作る運動に私たちも加わりました。しかし、2006年に平和への権利宣言キャンペーンが始まるよりも前に、私たちは何をしてきたでしょうか。もっと前から国連人権機関に平和的生存権や9条を持ち込んでキャンペーンを展開するべきだったのではないでしょうか。実際には9条を世界に広げようという運動はありましたし、2008年には「9条世界会議」という取り組みもしましたが、さらに発展させる必要があります。

 私たちは9条の理念を、国内でも国際社会でも十分に活用して、内外の平和運動をさらに活性化させる歩みを始めなくてはなりません。

 


◆前田 朗(まえだ あきら)さんのプロフィール

 

1955 年、札幌生まれ。中央大学法学部、同大学院法学研究科を経て、現在、東京造形大学教授(専攻:刑事人権論、戦争犯罪論)。朝鮮大学校法律学科講師、日本民主法律家協会理事、NGO 国際人権活動日本委員会運営委員、救援連絡センター運営委員。

 

著書に『増補新版ヘイト・クライム』、『ヘイト・スピーチ法研究序説』、『ヘイト・スピーチ法研究原論』、『ヘイト・スピーチと地方自治体』、『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』[編]、『ヘイト・クライムと植民地主義』[編]、『思想はいまなにを語るべきか』[共著]、『憲法9条再入門』 (以上、三一書房)、『軍隊のない国家』(日本評論社)、『パロディのパロディ─井上ひさし再入門』(耕文社)、『旅する平和学』、『メディアと市民』、『思想の廃墟から』[共著](以上、彩流社)等。