映画『精神0』と「仮設の映画館」
花崎哲さん(憲法を考える映画の会)
山本医師の精神科医としての仕事のモットーは「病気ではなく人を看ること」「本人の話に耳をかた向ける」「人薬(ひとぐすり)」。しかし、その山本昌知医師が82歳にして突然引退することになります。彼を慕う患者たちは、先生のいないその先を不安に思い、とまどいを隠せません。そんな風に引退を間近にした山本先生の日常を淡々と撮りながら、彼に起きた「変化」をとらえようとしています。引退した山本さんを持っていたのは、妻、芳子さんとの二人の新しい生活でした。
相田監督の「観察映画」を見るのは、私は『牡蠣工場』(シネマDE憲法2016年2月15日)に続いて2作目です。ナレーションがなく、音楽もなく、作為が一切ないまま、ただひたすら対象のありのままの姿をとらえていきます。そこに人々の会話、言葉のやり取り、あるいは動作仕草の一部始終を、ずっとそこにいて聞いている、見ている、といった風情なのです。ドキュメンタリーでありながら、当人たちに何かを聞き出すようなインタビュー的なものがほとんど無いことにも今回は気がつきました。
何も変わったことが無いような日常を延々ととらえていくのですが、今回は山本先生の引退という、変わっていくものが厳然とあります。そのなかで山本先生、患者さんたち、奥さんの気持ちがどう変わっていくのかが画面から静かに想像されてくるのです。
映画、とくにドキュメンタリーを見るときには、「知らないこと、自分とは違っていることに興味を持ち、自分たちと同じことに感動する」といいます。
山本さんと奥さんとの「新しい生活」を見ていくうちに、山本医師がどうして仕事を辞め、奥さんとずっと一緒にいる生活に踏み切ったのかが分かるような気がしてきます。見る人見る人によって、おそらくその感じ方は違っているのでしょうけれども、それぞれに自分のことの置き換えて考えていくことができるのだと思います。
観察映画はそうした「考える映画」なのかなと思います。自分を含めた社会のことを考える映画で、そこに静かな感動があります。
この映画は、5月2日からシアター・イメージフォーラムにて全国順次公開が予定されていました。それが「新型コロナウイルス感染対策」のために中止、または延期になりました。相田監督は、そうした動きに対して強い警戒感をもっています。
「日常と自由を手放さぬために、映画の灯を取り戻す」想田和弘監督、ミニシアターを救う“仮設の映画館”を始動。(朝日新聞デジタル webマガジン「&M」)
そうした中で、相田監督は配給会社の人たちと一緒に考え、「本来の公開日5月2日から『精神0』をネット上の“仮設の映画館”で配信する」という構想を作りました。「仮設」という言葉を使った意味は災害の時の避難所や仮設住宅のような意味からでしょう。
この構想のミソは、休館していても映画館が収入の道を確保できる点にあるといいます。
「これは休館が長期化すればするほど、必要なやり方。お金の流れとしては通常の劇場公開モデルと同じなので、“観客”の支持さえあれば持続可能です」
私たちの「憲法を考える映画の会」の上映会も、4月29日に予定していた第56回の映画の会と5月17日に予定していた「憲法映画祭2020」が中止または延期になりました。そうした中で、「この相田監督のような方式もあるよ」と勧めてくれた方もいました。でも私はちょっと違うのかな、と思っていました。私たちが大切にしたいのは、映画を見ること以上に、一緒に集まってみんなで見ることにあると思っていたからです。でも、それは相田監督も同じでした。
「コロナ禍の収束後には本物の劇場で『精神0』を公開したいと考えている。“仮設の映画館”で鑑賞した人も劇場に足を運び、あらためて『映画館っていいもんだなあ』と実感してもらいたいという。映画と映画館は不可分と信じるからだ。『電車やバスや車で劇場まで出掛けて、赤の他人同士がひしめき合ってひとつのスクリーンに見入る。場内で誰かがクスッと笑い、ひとりで観ていたらまったく気づけなかったユーモアやギャグに一緒に反応する。そして帰りがてら誰かと感想を語り合い、家に帰って感動を反芻(はんすう)しながらブログに書いたりツイッターでつぶやいたりする。そうした行為すべてが、映画を映画たらしめているんです』」(朝日新聞デジタル webマガジン「&M」)
この文章の表題に「『映画を観る』とは時間と空間の共有 『人は「感応」を求める生き物』」とあります。この不自由な時期、そうした人と人との関係性、社会や文化っていったい何か、そして映画や芸術はその中でどのような役割をもっていくのかを考えてみたいと思います。
【出演】
山本正知
山本芳子
【スタッフ】
製作:柏木規与子
監督・製作・撮影・編集:相田和弘
配給:東風
日本/米国映画 128分 2020年作品