2021.03.29 書籍・文献紹介

書籍『戦後教科書運動史』

T. M



 本書は、戦後(アジア太平洋戦争後)の日本における「教科書運動史」について、その原点と到達点を示し、子どものための教科書をめぐる本質的な問題点とこれに対する著者の提言がまとめられた一冊です。

 本書が取り扱う時代は明治維新後から現代までと広範にわたります。このことは、教育における教科書の役割が、日本の政治・経済や外国(主としてアメリカ)との関係の歴史的展開と不即不離であるということの証左であり、現在の「教科書問題」を見定めようとするとき、歴史を紐解き確認する必要があることを意味しています。本書で指摘される具体的な問題点としては、文部省設置(1871年)、検定制度(1886年)、教育勅語の発布(1890年)、小学校教科書の固定化(1903年)等が挙げられ、本書はこれらの出来事を補助線として、教科書(教育)が子どもたちの戦争動員に果たした役割を丹念に追います。そして戦後においては、1956年の勤務評定導入、1958年以降の道徳教育の実施、文部省の学習指導要領による政府の教育統制強化、教科書採択制度の広域化による教科書の「準国定化」、政府・財界の要請にそった「期待される人間像」を育成するための教育の強制等が、(旧)日米安保体制強化のための国防意識と、国内における「経済大国」化、天皇制国家主義意識を育成する教育の推進等の役割を果たしたことが確認されています。

 一つの局面のみを取り上げるのではなく、大きな視野で教科書問題をトレースすることで、教科書を通じた教育的統制が、ときの国家的政策の動向と常に軌を一にしていることがわかります。それは総じていえば、戦後日本の軍国主義、国家主義からの脱却、そのシンボルともいえる日本国憲法および教育基本法に基づいた日本の民主主義教育が、国家権力によって徐々に、しかし確実に抑圧・統制されていく過程そのものを意味しています。

 なお、本書はとくに文部省による教科書検定をめぐる一連の裁判(いわゆる「家永教科書裁判」)の経緯について詳細に整理され、本判決の意義が示されています。当時の原告や証言に立った論者たちの主張は決して旧いものではなく、まるで今日の問題を見通したような内容であり、その重みを確認することができるのも本書の魅力の一つです。

 本書の最後には、2021年4月から使用される中学校教科書の採択結果が確定したことを受け、「教育基本再生機構」がかかわる育鵬社版教科書(「史実を歪曲する歴史教科書」、420頁)につき、当該教科書を不採用とする自治体が相次いだ事実に触れています。この点、著者は「教科書採択の民主化・透明性をめざして教育委員会での議論の公開・傍聴を求め、教職員や市民の教科書に対する意見を尊重させようと取り組んできた全国の人びとの運動の成果にほかならない。」と評価しています(420頁)。2020年、本書の出版年は東京地裁でのいわゆる「杉本判決」(1970年7月17日)から50周年にあたります。節目の年に、教科書の教育や社会における位置付け、役割、そしてこれまでに直面した困難を歴史的に紐解き、教育の在るべき姿について再検討することが大切です。本書はこの作業にとって重要な一冊だと言えるでしょう。

 

はじめに

第一章 戦前・戦中の教科書とその役割

第二章 戦後改革の中の教科書

第三章 第一次教科書「偏向」攻撃

第四章 「冬の時代」の教育と教科書

第五章 「冬の時代」を終わらせる家永教科書裁判の開始

第六章 杉本判決後、七〇年代の教科書の改善

第七章 八〇年代初めの第二次教科書「偏向」攻撃

第八章 八九年の学習指導要領・検定制度改悪と九〇年代検定

第九章 「検定に違法あり」最高裁の最後の判決が認定

第十章 九〇年代の教科書の改善と第三次教科書「偏向」攻撃

第十一章 教育基本法改悪の動きと反対運動の広がり

第十二章 「教育再生」政策から生まれた新検定基準

第十三章 道徳の教科化と子ども不在の新学習指導要領

第十四章 日本の教科書制度は何が問題か

第十五章 私たちの求める子どものための教科書制度

あとがき

 

【書籍情報】2020年12月、平凡社。著者は俵義文。定価は1600円+税。