連載 デジタル社会と憲法 第18回「デジタル主権」
河嶋春菜さん(東北福祉大学総合福祉学部准教授)
キーワード:デジタル主権、フランス、EU
デジタルプラットフォームの有用性
動画や音楽の視聴、レストランの予約、タクシー配車、道案内、仕事探しなど、私たちの生活に不可欠となっているサービスは、GAFAM(Google(Alphabet), Amazon, Facebook(Meta), Apple, Microsoft)をはじめとするデジタルプラットフォーム(DPF)によって提供されている。ただし、DPFを重宝しているのは個人や企業だけではない。DPFは、いまや国家にとっても不可欠な存在になっている。たとえば、日本政府が公官庁のデジタル化を進めるために導入したガバメントクラウドは、Amazon、Google、MicrosoftなどのDPFクラウドを利用している。市民生活に関係する事業でも、たとえばGIGAスクール構想(→本連載第2回)を実現するために、地方公共団体はノートやプリントフォルダに代わるデジタル上の文房具や生徒管理システムを備えたサービスを構築する必要があったが、それを提供したのはGoogleやMicrosoftなどのDPFであった。また、地方公共団体(→本連載第15回)のなかには、LINEで防災や母子保健情報を提供したり行政サービスの問合せ窓口を置いたりしているところもある。
DPF—テックジャイアントからテックモンスターへ
このように、国は民間企業であるDPFのサービスを使って行政の合理化を図り、DPFは国にサービスを提供して事業を拡大している。国とDPFが、win-winの状況であるともいえるだろう。しかし、そう楽観視もできない。冒頭に掲げたDPFのサービスは、これまで国が様々な形で規制を及ぼし(放送、タクシー、通信、道路情報や交通情報の収集)、提供してきたサービス(職業紹介)である。DPFのサービスがよく利用されるようになると、その領域に国のコントロールが及びにくくなるという状況が生じてしまうため、国にとっては、DPFの台頭によってネットワーク空間における権力が奪われているともいえる。実際、DPFは国の統制が及ばない程に巨大化し、国の専売特許だと考えられてきた領域にまで力を拡大している。DPFが国家に匹敵する「権力」をもち始めている状況については、すでに本連載の冒頭で描かれている(→連載『デジタル社会と憲法』をはじめるにあたって)。
本連載の企画者である山本龍彦さんは、DPFが統治に影響を与える状況を注意深く観察した上で、国家がトマス・ホッブズによって旧約聖書に登場する海の怪物「リヴァイアサン」に例えられたことを引き合いに出し、DPFをそれに対抗する陸の怪物「ビヒモス」に見立てた※1。DPFは、もはや「巨人」と化した大企業=テックジャイアントとしてのみ見積ることはできず、「怪物」=テックモンスターとなり、国家のように国民(ユーザー)から信託を受けてデジタル空間の統治を担っている。そして、リヴァイアサン(国家)とビヒモス(DPF)との権力闘争が、国家が国家たる所以である領域にまで及ぶとき、「デジタル主権」の問題が引き起こされる。
デジタル主権とは何か※2
デジタル主権はヨーロッパ諸国とEUで2005年頃から主張されるようになった概念である。EUがデジタル主権を具体的に推し進める政策を打ち出したものとして、2019年に行われた欧州委員会のUrsula Von der Leyen委員長による演説の一説が取り上げられることが多い。
「私たちはヨーロッパの幸福と欧州の価値を守らなければなりません。デジタル時代において、我々はヨーロッパの途を歩み続けなければならないのです」
「ヨーロッパの途」を歩むために必要な施策として、ヨーロッパ自身がAIを含む技術を開発・保有すること、研究を促進すること、デジタルインフラを整備すること、個人データ保護とAI対策を含むデータ規制を徹底すること、サイバーセキュリティを強化する政策を進めることが宣言された※3。すなわち、ヨーロッパが外国のDPFに対抗することができるように自らをエンパワーメントし、主権を守ることが目指されているのである※4。
主権(Sovereignty)とは、16世紀後半にフランスのジャン・ボダンが提唱した概念であり、国家には「至高的で、絶対的で、不可分な」権力がなければならないといった、その権力のことである。つまり主権は、国家権力が対外的にも対内的にもほかの権力から解放され、独立して権力を行使することができるという意味をもつ。その後、主権には、(ア)国家が対外的に他国から独立しているという意味と、(イ)対内的に、国家の統治のあり方に関する最終的な決定権の所在という意味が見出され、(イ)の意味では、国民に統治の決定権を見出す国民主権が基本原則となっている。欧州委員長が提唱したデジタル主権は、第1に、外国のDPFの台頭を前に、EU(諸国)がデジタル空間の統治権を死守しようとして打ち出した(ア)の意味での対外的政治スローガンであり、外国とDPFの支配を排除しようとする意図が込められている。
デジタル主権政策の浸透
デジタル主権への志向は、政治的スローガンにとどまらず、立法のなかにも現れている。たとえば、『EU一般データ保護規則』(GDPR)では個人データの越境移転が制限されているが、これには DPFによる支配とDPFを通じた外国政府による支配を排除するという効果があるともみることができる※5。次の事例が恰好の検討素材になろう。EUに拠点をおくアメリカ企業によって本国へ移転されたデータがアメリカ法に基づき同国政府による監視対象となりうる場合に、同国の個人データの保護がGDPR上の保護と同等の水準にないという理由でデータ移転を禁止するEU裁判所判決がある(「プライバシーシールド」事件※6)。GDPRは、EU市民の個人データ保護を目的とする立法ではあるが、個人データの越境移転を制限することによって、外国の政府やDPFがEU市民の個人データを利用して利益を得ることを防ぐことにもなる。「アメリカやアメリカ企業に『我々の』データを自由に利用させることは……我々の主要な資産と決定権の重要な部分を明け渡してしまうこと、すなわち、一言でいえば、我々の主権を放棄することである」※7。
法の形成や執行という側面をみたとき、主権には、国家が法的拘束力のあるルールを制定し、領域内のアクターたちに従わせることができることを意味している。GDPRもデータ保護に関するEUの主権の法的現れであるともいえよう。国家レベルでも、EUでデジタル主権の先鋒にたつフランスに法的拘束力によってDPFの活動を制限する例がある。ケンブリッジアナリティカ事件を受けて2018年に制定された「フェイクニュース規制法」は、一定規模以上のDPFに対して、選挙中の宣伝活動の依頼元情報や報酬額、アルゴリズム等の開示を義務付けている※8。このように第2の意味としてのデジタル主権は、国家が法の力によってDPFの活動をコントロールできることをいう。
新型コロナウイルス感染症—もう1つの闘い
EU(諸国)がデジタル主権を主張したそばから新型コロナウイルス感染症が蔓延し、各国はデジタル技術を駆使して感染症対策を行うことになった。国家はウイルスと闘うなかで、DPFとも直接対峙することになったのである。
日本は、GoogleとAppleが提供するAPI(Application Programming Interface)を採用して接触確認アプリを開発したが※9、多数のEU諸国もアメリカ企業である両社のAPIを採用した。これらの国はデジタル主権を掲げていたにもかかわらず、外国DPFの接触確認アプリシステムを採用したのである。
Google/AppleのAPIは、迅速なアプリ開発が可能になることや利用者を確保しやすいという感染症対策としての効率性に加え、中央サーバーではなく各端末でデータを処理する分散方式がとられた点で、プライバシーフレンドリーなシステムであったという利点があった。個人データへの影響が小さいことをもって、デジタル主権への弊害も小さいと判断されたのかもしれない。
一方、フランスはGoogle/AppleのAPIを使うことを拒否して、独自の接触確認アプリを開発するという「主権的解決」の途を選択した※10。フランスのデジタル担当政務長官が述べたところによれば、「公衆衛生政策は国の責任で行うべきであり、そのシステムやアルゴリズムを決め、プライバシーを守るのも国の役割である」。DPFのAPIを採用することは、すなわちDPFが決めた仕様(=コード※11)を受け入れることであり、感染症対策をDPFの設定した枠組みのなかで行うことを意味していた。フランスは、公衆衛生を国家の役割の中核にある役割の1つに据えたうえで、そのシステムや個人データ保護の枠組みは自ら決定しなければならないと考えて外国DPFの関与を退けようとしたのである。たしかにフランス憲法では、公衆衛生と人権との調整は国家が担うべき役割として規定されており(1946年憲法前文11項)、国にとって、国民との重要な約束事の1つである。対外的なデジタル主権は、国家が国民によって定められた統治の基本原則に拘束されるという対内的主権(国民主権)にも連なる。
禍転じて福と為す?
個人データ保護へのリスクを防ぐために独自の接触確認アプリを開発したフランスに対し、皮肉にも、EUの欧州委員会は不要なデータまで中央サーバーに送信しているという理由で強く批判した。結局フランスはアプリシステムを修正し、一部にGoogleなどのAPIを取り入れた新しいバージョンをリリースすることになった。外国DPFを完全に排除するという第1の意味でのデジタル主権は、デジタル社会においてあまりに無垢で盲目的であり、実現することはできない。しかし、接触確認アプリのケースの場合、国家が決めたルールに従わせるという第2の意味でのデジタル主権が維持されたかも怪しい。第1のデジタル主権を放棄することは、外国DPFが設定したシステム(=ルール)に従属することをも意味したからである。
結局、デジタル空間において、国家は何について支配力をもっていれば、デジタル主権を維持しているといえるのだろうか。国家の支配力(主権)の源泉は、国民である。国民の目からみれば、最小限の人権制限で公衆衛生を維持するという秩序さえ実現されるならば、その具体的なツール(システムやアルゴリズム)をコントロールするのが国家か外国DPFかという点はあまり重要でないかもしれない。リヴァイアサンとビヒモスの権力闘争は、最終的には、国民(ユーザー)がどちらの怪獣を信頼するかという点に帰結する。そうとなれば、国家は外国DPFをあたまから排除するのではなく、最適な秩序の維持のためにDPFに力を発揮させつつ、非倫理的なDPFによる秩序からの逸脱(のみ)をコントロールする方法を模索する途へと向いていく。
EUのAI法規則(AI Act)など※12近年のDPF規制法では、DPF自身に適切なルールを設定させそれを遵守させるとともに、逸脱があったときに国家が制裁を行うというアプローチがとられている。国家(連合)が直接DPFをコントロールするのではなく、DPFとの協調によってこそデジタル空間の統治を行おうとする枠組みであろう。さて、デジタル主権はもはや過去の考え方になったのか※13。筆者には、デジタル主権が、国家がいかにして国民の信託に応えるかという、国家内部の問題へと変容しているようにもみえるのである。
※1 山本龍彦「近代主権国家とデジタル・プラットフォーム—リヴァイアサン対ビヒモス」山元一編『講座 立憲主義と憲法学〔第1巻〕』(信山社、2022年)。
※2 慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)「【開催報告】欧州で進む「デジタル主権」議論とプラットフォーム規制のゆくえ」(2023年11月8日最終閲覧)およびPauline TÜRK et Christian VALLAR (dir.), La souveraineté numérique, Mare & Martin, 2018参照。
※3 Ursula VON DER LYEN, "Check against delivery" (27 November 2019).
※4 Benois BERTRAND, « La souveraineté numérique européenne ? »RTD eur., 2021, p. 249.
※5 Elsa KOHLHAUER, « La politique des données : regard critique sur la souveraineté numérique », RUE 2023, pp. 354-355.
※6 CJEU, GC., 16 July 2020, ECLI:EU:C:2020:559.
※7 Michel VIVANT, « Souveraineté numérique », Rec. Dalloz 2023, p. 1513.
※8 奥村公輔「フランスの国民投票運動におけるインターネット利用の規制」レファレンス852号(2021年)43頁~46頁。
※9 山本龍彦「新型コロナウイルス感染症対策とプライバシー : 日本版接触確認アプリから考える」憲法問題 32号(2021年)105頁~116頁。
※10 曽我部真裕「『接触確認アプリ』の導入問題から見える課題」法律時報1154号(2020-07) 1頁~3頁などを参照。
※11 ローレンス・レッシグ(山形浩生訳)『CODE 2.0』(翔泳社、2007年)参照。
※12 寺田麻佑「偏見や差別を防ぐEU『AI法』最終案採択、日本でも顔認証AIなどが制裁対象の可能性」日経XTECH(2023年9月12日)。
※13 KOHLHAUER前掲注3)。
◆河嶋春菜(かわしま はるな)さんのプロフィール
東北福祉大学総合福祉学部准教授。帝京大学法学部助教、慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)特任准教授等を経て現職。主な著作として、「憲法上の公衆衛生とは何か・試論」長谷川憲=植野妙実子=大津浩編『プロヴァンスからの憲法学―日仏交流の歩み―』(敬文堂、2023年)265頁~278頁など。