2024.07.29 オピニオン

「『人質司法』と人身の自由」

玉蟲由樹さん(日本大学法学部教授)



角川人質司法違憲訴訟

 出版大手KADOKAWAの元会長である角川歴彦氏は,東京五輪での贈賄の嫌疑をかけられ,東京拘置所に226日間にわたって勾留されたことを不当として,2024年6月27日に東京地方裁判所に国家賠償請求訴訟を提起した。この訴訟において,角川氏は検察官の勾留請求や裁判官の勾留決定,さらには裁判官の保釈請求却下などが違法であることを主張すると同時に,それらが憲法上の権利を侵害しており違憲であるとも主張している。
 角川氏に対して行われたような,被疑者・被告人に対する長期間にわたる勾留は,国際的に批判を受ける「人質司法」の要因の一つとされる。人質司法は,とりわけ事実を否認したり,供述を拒否したりする被疑者・被告人が刑事訴訟法60条1項2号などにいう「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある」とされて勾留され,起訴後も容易に保釈されずに長期の身体拘束を受ける状況を指す。つまり,自白を得るために被疑者・被告人の身体を「人質」にしているとされるのである
 人質司法の状況を広く世界に知らしめたのは,2019年に起こったカルロス・ゴーン被告人の国外逃亡事件であった(これについては,以前の記事も参照)が,その後も,プレサンス事件や大川原化工機事件など人質司法が疑われる事件は引き続き起こっている。いずれも,事実を否認したり,供述を拒否したりする被疑者・被告人に対して長期にわたる身体拘束が行われたケースであり,逮捕・起訴と並んで勾留の妥当性が議論となってきた。
 角川氏が提起した訴訟は,長期にわたる勾留の違法性を問うとともに,勾留制度のもとで長年にわたって行われてきた運用が憲法に違反することを問題とする初めての訴訟であり,憲法の人権保障と刑事訴訟法上の勾留制度の運用の関係についての重要な問題提起を含んでいる。そこで,本稿では,憲法学の観点から刑事訴訟法上の勾留制度の運用のどこに問題があるのかを論じたいと思う。

 

人身の自由と勾留

 刑事施設およびこれに代わる留置施設に被疑者・被告人の身柄を拘束する「勾留」は,憲法上の人身の自由保障ときわめて強く衝突する。人の身体的な活動の自由を核心とする人身の自由は,それが侵害されると経済的な活動は言うに及ばず,家族生活や社会活動への参加など様々な活動が阻害されることから,人権保障全体の前提条件として重要な意味をもつ。人身の自由が容易に制約されるような社会においては,憲法がいくら他の自由権を保障しようともほとんど意味をなさないのである。また,人身の自由が不当に制限され,人が国家の意思に隷属させられているような状態は,単なる自由の制限を越えて,人の尊厳に対する侵害であるともいえる。
 このため,日本国憲法34条は,「何人も,正当な理由がなければ,拘禁され」ないことを定めている。刑事手続上の勾留も人の身柄を拘束することを意味する「拘禁」に含まれることから,勾留処分を行うにあたっては当然に「正当な理由」が要求される。これを受けて,刑事訴訟法は,勾留について,「被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合」を前提に,「被告人が定まつた住所を有しないとき」,「被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき」,または「被告人が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき」に裁判所は勾留することができると定める(刑訴法60条1項)。その意味で,これらの勾留事由は憲法34条の「正当な理由」の具体化といえるだろう。
 たしかに,実効的な刑事訴追と訴訟を通じた刑罰権の適正な発動を確保するためには,被疑者・被告人の逃亡や罪証隠滅を防止する上で,身柄を拘束することが必要な場合はある。しかし,刑事訴訟法上の勾留事由が存在していることのみをもって,人身の自由に対する重大な介入が憲法上正当化されると解すべきでもない。とりわけ,このことは「…と疑うに足りる相当な理由」がきわめて抽象的な「…のおそれ」のレベルで理解され,これによってきわめて形式的な理由づけでの勾留が容認されるような場合に問題となりうる。これらの勾留事由は,勾留の必要性を基礎づける一般的に類型化された理由とはなっても,個別具体的なケースにおいていかなる勾留をも正当化するようなものではないだろう。人身の自由の重要性および勾留が人身の自由の剥奪そのものであることに鑑みれば,勾留は「最終手段」とされるべきものであり,個別具体的な勾留処分の正当性判断にあたっては,その必要性や相当性を厳格に問う必要がある。

 

勾留制度の憲法適合的運用

 以上のように,勾留制度の運用には,厳格な憲法適合的解釈が求められる。このとき重要と思われるのは,(1)勾留事由に関する抽象的な「おそれ」解釈の排除,(2)勾留が長期化した場合の正当性判断の厳格化,(3)被疑者・被告人の態度(否認・供述拒否など)を考慮要素とすることの禁止である。
 まず,(1)については,人身の自由に対する不当な介入を防ぐためにも,勾留の必要性判断には,罪証隠滅・逃亡の現実的可能性の程度が高いことの具体的かつ実質的な論証が必要である。これを欠いた抽象的な「おそれ」解釈は,罪証隠滅や逃亡を疑うに足りる「相当な理由」を満たすものではないとともに,憲法34条にいう拘禁の「正当な理由」ともなりえない。検察官が,罪証隠滅・逃亡の単なる「おそれ」のみを理由として勾留請求を行い,裁判官がこれについて実質的な審査をせずに勾留処分を行うような運用は,憲法上の要請に合致しない。
 (2)については,勾留期間が長くなれば長くなるほど,勾留の必要性・相当性の判断が厳格化することを意味している。勾留の長期継続はそれだけで人身の自由に対する制約が累積していくこととなり,それに伴って制約の正当化根拠がより強く要求される。また,手続が進行するなかでは,罪証隠滅・逃亡の現実的可能性が減少し,勾留の必要性もまた失われることが考えられる。それにもかかわらず,勾留当初の理由づけを漫然と維持して勾留を継続することは,明らかに不当であろう。裁判官は勾留長期化により自由保障の要請が強くなることを考慮して勾留制度を運用すべきであり,勾留延長のたびにその必要性・比例性を厳格に審査すべきである。
 そして,(3)については,被疑者・被告人には自白の義務はなく,逆に「何人も,自己に不利益な供述を強要されない」(憲法38条1項)との保障があることからすれば,不供述や否認,さらには無罪主張などを根拠に罪証隠滅・逃亡を疑う「相当な理由」があるとすることには憲法上問題がある。不供述や否認,無罪主張は被疑者・被告人に認められた憲法上の権利の正当な行使である以上,実質的にこのことのみを理由としていると考えられる勾留処分は必要性・相当性を満たすものではなく,憲法34条にいう「正当な理由」に当たらないばかりか,38条および適正手続保障を定めた31条に違反する。

 

「人質司法」の抜本的解消に向けて

 上記の(1)~(3)の要請に反するような勾留制度の運用は,憲法上の人身の自由保障に反するというべきであろう。そして,こうした勾留制度の違憲的運用が「人質司法」を引き起こしていることからすれば,「人質司法」の抜本的解消のためには,何よりも勾留制度の運用を憲法適合的なものへと変えていくことが求められる。角川氏が提起した訴訟は,「人質司法」の問題点を白日の下にさらし,日本の刑事司法を見直す重要な転機となりうるように思われる。
 角川氏は,保釈請求が幾度となく却下されるなかで,「ここには基本的人権はない。人間の尊厳が根底から奪われている」と感じたという。「人質司法」に晒された当事者の率直な実感であろう。豊富な人権カタログをもち,公正な刑事司法手続を整備した日本国憲法のもとで,このような無権利にも等しい状況に置かれることがあってはならない。
 かかる自由や尊厳への危機を是正し,この先,角川氏と同じような思いに苛まれる者を出さないようにすることは,裁判所を含めた公権力の責務であるように思われる。そして,このことは,勾留制度の憲法適合的運用によって十分に実現可能なはずである。

 



◆玉蟲由樹(たまむし ゆうき)さんのプロフィール
日本大学法学部教授。専門は憲法学。著書等に『人間の尊厳保障の法理』(尚学社、2013年)、
『憲法演習サブノート210問』(共著、弘文堂、2021年)、「個人の尊厳と自己決定権」愛敬浩二編『講座 立憲主義と憲法学 第2巻 人権I』(信山社、2022年)。