2024.03.15 オピニオン

「 刑事訴訟における『個人特定事項』の秘匿―令和5年刑訴法改正―」

辻本典央さん(近畿大学教授)



Ⅰ.令和5年刑訴法改正の概要

1.改正の目的

 刑事訴訟は、犯罪事実を解明し、犯人の迅速かつ適正な処罰を行うことを目的とする(刑訴=以下法1条)。そのために、犯罪の発生が認知されると、警察(及び検察)が捜査を行い(法189条2項)、検察官が起訴を行い(法247条)、裁判所が証拠調べを通じて事実を認定する(法317条、335条1項)。他方、訴追を受ける被疑者・被告人の側は、捜査・公判手続において、訴追側から提示される「事実」の存否をめぐり、自身の正当な利益を守るため、様々な防御活動を行う※1 。被疑者・被告人の防御に向けた利益は、本人が無辜の者である場合は当然であるが、真犯人である場合も、刑事訴訟の各段階において存する。そのために、被疑者・被告人には、刑事手続のあらゆる段階において、弁護人を選任し、それを通じて防御活動を行うことが、憲法及び刑訴法によって保障されている(憲34条、37条3項、法30条以下)。
 他方、刑事事件は、通常は被害者が存在し、その者の保護も求められる。被害者は、事件の当事者であるが、刑事訴訟の当事者ではない。刑罰は国と加害者との関係において科されるものであり、それゆえ、刑事裁判も、国側である検察官と加害者とされる被告人を当事者とするものだからである※2 。それゆえ、被害者の保護は、かつては、刑事訴訟の枠外でのみ図られるべきであり、刑事訴訟の枠内では部外者としての位置付けにすぎなかった。しかし、二次被害の防止や人格の擁護のためには、刑事訴訟の枠内での保護も求められるようになり、「犯罪被害者等基本法」(平16法161)の制定により、犯罪被害者の保護が国及び自治体の基本施策に位置付けられたことから、刑事訴訟法及び関連法令において重要な改正が重ねられてきた。中でも、今次の改正との関係では、すでに平成19年に被害者特定事項(住所・氏名等)について公開の法廷では非公開にできることが定められている(法290条の2)。これにより、特に性犯罪や児童保護の必要がある事例を典型にして、一定の保護が図られてきた。
 しかし、平成19年改正によっても、起訴状(法256条2項、3項)や逮捕状(法200条1項)など刑事訴訟で予定される書面においては、被害者の実名や、住所等の特定事項の記載が求められる。それゆえ、被疑者を逮捕する時点で令状を呈示する際に(法201条1項)、被害者の氏名等が被疑者の目に触れることになり、事後に被害者が危害を加えられるという事例が発生していた。また、起訴状の謄本は被告人に送達されることから(法271条1項)、既にその記載の段階から、検察官が被害者を匿名にするなど、刑事裁判における審判対象の特定との関係でもしばしば問題が提起されてきた。そこで、令和3年に法務大臣より「刑事手続において犯罪被害者の氏名等の情報を保護するため、早急に法整備を行う」ことが諮問され、法制審議会で検討された上で、今次の改正に向けた要項(骨子)として答申された。改正案は、令和5年に第211回通常国会で可決され、令和6年2月15日に施行された。

2.改正の内容

 本改正は、主に、①逮捕・勾留段階での令状手続等の場面と、②起訴状の記載の場面において、被害者の実名や住所等の個人情報を秘匿する措置を採ることができるようにするものである※3。

⑴逮捕・勾留段階での秘匿措置

 逮捕及び勾留は強制処分であり、基本的に令状に基づいて行われることになっている(法199条、207条・60条、62条)。この逮捕状及び勾留状には「被疑事実の要旨」の記載が必要である(法200条、207条・64条)。強制処分における令状主義は、捜査手続が適正に行われるよう事前の司法審査を行い、実際の執行の場面でもその判断に基づいて規律されることを求めるものであるとともに、処分を受ける被疑者に令状を呈示し、その内容を理解させることで、不服申立て等を通じた防御の準備を可能にさせることを保障するものである。そのため、被疑事実の要旨は、逮捕・勾留の理由が相当な程度のものであること(法199条1項、207条・60条1項)を示す根拠となる事実として、嫌疑対象である犯罪の構成要件に該当する事実が具体的に記載されなければならない。すなわち、犯罪の日時・場所・方法に加えて、被害者の特定が求められるのであり、従来、捜査実務において、逮捕状及び勾留状に被害者の実名等の情報が記載されることになっていた。それゆえ、被疑者に逮捕状を呈示する場面で、自ずと被害者の実名等の特定情報が被疑者の目に触れることになっていた。これを原因にして、被疑者が被害者の住所等を割り出してストーカーに及び、殺人にまで至るという事例も生じていた。

 本改正は、このような問題に対処するために、逮捕状及び勾留状の原本とは別に、被疑者に呈示するための抄本の発付を求めることができることとした(法201条の2、207条の2)。すなわち、逮捕状及び勾留状の原本の発付は、従来同様に、令状審査に基づいて捜査の適正を確保する機能を維持させるとともに、被疑者に対する抄本の呈示は、その防御の保障という機能において一歩後退させ、被害者の保護を図るというのである。このような措置は、不同意わいせつ罪や不同意性交等罪などの性犯罪と、児童買春・ポルノ処罰法などの児童福祉犯罪を主な対象とするが(法201条の2第1項イ、ロ、207条の3)、これに加えて、犯行の状況などから被害者の個人特定情報が被疑者に知れることにより、①被害者及びその近親者(以下、被害者等)らにおいて名誉又は社会生活の平穏が著しく害される虞がある場合、②被害者等の身体や財産に害が加えられるなどの虞がある場合にも適用される(法201条の2第1項ハ、207条の3)。例えば、街頭で発生した強制わいせつ事件で、当初は被疑者と被害者との間に面識がなかったが、逮捕時に被疑者において被害者をストーカーするなどの虞が認められる場合には、新規定により、逮捕状の呈示に当たっては、被害者の個人特定事項を秘匿した抄本を見せることができる。

⑵起訴状における秘匿措置

 起訴状には、被告人の氏名等の特定事項及び罪名に加えて、公訴事実が記載されなければならない(法256条2項)。そして、公訴事実の記載に当たっては、訴因を明示し、できる限り「罪となるべき事実」が特定されなければならない(法256条3項)。このようにして起訴状に明示・特定される罪となるべき事実(訴因)は、現在の刑事訴訟においては、裁判所の審判権限の範囲を画定するとともに、被告人の防御の範囲を告知する役割を持ち、これをもって審判対象とすると考えらている※4 。そのため、罪となるべき事実の記載に当たっては、日時・場所・方法等の事項をできる限り詳らかにすることが求められるが、そこには、基本的に、被害者を特定する事項として、その実名等の記載が求められる。前述のとおり、起訴状における被害者特定事項の記載については、既に平成19年改正によって一定の対応ができるようになっていたが、なおも問題点が残されていた。
 本改正は、起訴状についても、逮捕状及び勾留状と同様に、その原本には被害者の実名等の個人特定事項を記載しつつ、被告人への送達に当たっては、謄本に代えて、被害者の個人特定事項を秘匿した抄本を送達することを可能とした(法271条の2)。対象犯罪は、逮捕状及び勾留状の場合と同様に、性犯罪及び児童福祉犯罪に加えて、具体的事案における被害者等の保護の必要がある事案である。また、起訴状における被害者特定事項の秘匿措置は、起訴状提出後の手続においても同様の措置を採ることができることとなった。すなわち、検察官による証拠開示、弁護人による訴訟書類等の閲覧・謄写、被告人等からの裁判書や裁判調書・公判調書の閲覧及び謄本等の請求という場面である。例えば、起訴状の段階で被害者の個人特定事項について秘匿措置が採られた場合、判決の言渡しに際しても当該措置に基づいた内容にとどめられ、判決書の交付に当たっても被害者の個人特定事項が秘匿された抄本に代えられることになる。
 なお、起訴状の謄本に代えて抄本を被告人に告知する場合でも、弁護人に対しては謄本を送達しなければならない(法271条の3第1項)。この場合、弁護人は、「起訴状に記載された個人特定事項のうち起訴状抄本等に記載がないものを被告人に知らせてはならない」という条件が付される(法271条の3第2項)。ただし、このような措置によっても被害者等における身体や財産等が害される虞があるような場合には、弁護人に対しても、起訴状謄本に代えて、被害者等の個人特定事項が秘匿された抄本を送達することができる(法271条の3第3項)。

Ⅱ.被疑者・被告人の防御権への影響

 以上のとおり、本改正は、逮捕・勾留状及び起訴状という刑事訴訟における重要な書面において被害者等の特定事項を秘匿することを可能にさせ、これによって、従来生じていた被害者の身体、名誉、財産等に対する危害を防止するものである。他方で、このような秘匿措置により、被疑者・被告人における防御の保障が一定程度において弱められることになる。そこで、今後の運用に向けた課題と注意点をまとめておきたい。

⑴被疑者・被告人本人への影響

 まず、被疑者・被告人が自身に対する被疑事実及び公訴事実の詳細を知ることは、取調べに対する供述内容の判断に際して重要であることは間違いない。ただし、被疑者・被告人が被害者と面識がある事例では、令状や起訴状に被害者の氏名等が秘匿されていたとしても、防御に向けた判断に決定的な影響を与えるものではない。

 他方で、被疑者・被告人が被害者と面識がない事例や、特に被疑者・被告人が無辜の事例では、捜査や審判の対象が被疑者・被告人の認識において特定されないものとなるため、例えば事件を取り違えるなど、決定的な影響を与えることも想定される。それゆえ、各手続において、被疑者・被告人にそのような誤解をさせないような工夫が必要であり、被疑者・被告人の錯誤が捜査機関によって惹起されたり、そのような状態が利用されたと認められる場合には、自白の証拠能力を否定するなど(憲38条2項、法319条1項)の対応が求められる※5。

⑵弁護人への影響

 被疑者・被告人自身に被害者の個人特定事項が秘匿される場合、その防御の保障は、弁護人の活動に委ねられることになる。この比重は、通常の場合よりも大きいものとなる。
 第一に、起訴状において秘匿措置が採られる事例では、弁護人に対しては、原則として全てを記載した謄本を送達することとされている点が注目される。弁護人は、被疑者・被告人の単なる代理人ではなく、司法の一翼を担う機関であり※6、今回の改正は、弁護人のこのような位置付けを前提にしたものである。弁護人は、裁判所より付された秘匿条件を固く遵守することが期待されているが、これは訴訟法上の義務でもある。これによって、被告人の刑事訴訟における正当な利益は、弁護人を通じて保障されることになる。ただし、本改正は、特段の事情がある場合には、弁護人に対しても、被害者の特定事項を秘匿した抄本の送達ができることとした。この規定は、弁護人の司法機関としての位置付けを正しく理解しないものである。それゆえ、私は、この規定は憲法が保障する弁護人の援助を受ける権利(憲34条、37条3項、31条)に違反するものであると考える。弁護人の援助を受ける権利は、被疑者・被告人と訴追機関との格差を補い、法的専門家による援助を受けることで、被疑者・被告人の正当な利益を保護するものであるが、弁護人と訴追機関との武器対等性(ここでは、情報の対等性)が不可欠の条件だからである。それゆえ、少なくとも、この例外規定の適用は極めて抑制的になされるべきであり、その場合には、裁判所において、弁護人に対する十分な説明と、秘匿によっても弁護活動に決定的な支障を生じさせないための配慮が求められる。

 第二に、逮捕・勾留状において秘匿措置が採られる事例では、起訴状と異なり、弁護人に原本を送達する機会は定められていない。従来も、令状の呈示は被疑者本人になされるものであり、弁護人に対して被疑事実の要旨を通知することは法定されていない。それゆえ、弁護人が捜査段階において事件の概要を知るには、被疑者との接見等の機会を通じて、被疑者本人から情報を得ることとされてきた。したがって、本改正により、被疑者が被害者の個人特定事項を知らされない事例では、弁護人として当該事項を知る術がないことになる。この点について、確かに、捜査段階の弁護活動は、手続的には捜査機関の活動に対する受動的な役割にとどめられることから、公判手続の段階と異なり、必ずしも被疑事実の全てが弁護人に通知されなければならないわけではない。しかし、弁護人は、捜査段階においても、被害者との示談交渉を通じて不起訴処分を求めるなど、事実に対するアクセスが必要であることは否定できない。また、弁護士として捜査段階で事件を受任するかどうかの判断においても、事前に被害者のプロフィールを知ることは、利益相反の回避(弁護士職務基本規程27条、28条)のために不可欠である。それゆえ、捜査段階においても、被疑者に対して被害者の特定事項が秘匿される事例において、弁護人には当該事項に関する情報が提供されなければならない。その場合も、弁護人において、当該事項を被疑者本人には秘匿しておくべきことは、やはり、その司法機関としての地位から生じる義務として課される。

 

※1 辻本典央『刑事訴訟法』(成文堂、第2版、2024年)12頁。

 

※2 辻本(前掲※1)31頁。

 

※3 本改正について、川出敏裕「令和5年刑法及び刑事訴訟法の一部改正―性犯罪に係る刑事訴訟法の改正について」法教519号50頁。

 

※4 辻本(前掲※1)193頁以下。

 

※5 辻本(前掲※1)303頁。

 

※6 Beulke/Swoboda, Strafprozessrecht 16 Aufl., Rn 227, 辻本(前掲※1)18頁。


 

◆辻本典央(つじもと のりお)さんのプロフィール

旅行会社勤務を経て29歳で立命館大学に入学し、3年生の時に司法試験に合格。卒業後は京都大学大学院法学研究科に進み、刑事法を専攻。2005年に近畿大学法学部専任講師となり、現在は教授。2011年から2012年にかけて、ドイツ・アウクスブルク大学客員教授を務める。専門は刑事法全般(特に刑事訴訟法)。著書は、『刑事訴訟法』、『刑事手続における審判対象』、『刑事弁護の理論』(全て単著)。法学博士。趣味は洋画鑑賞、水泳、見る将(大山・中原時代からの筋金入り)。