映画『オッペンハイマー』(原題:Oppenheimer)
花崎哲さん(憲法を考える映画の会)
アカデミー作品・監督賞を受賞したこともあって、この映画は、とくに反核運動などに関わっている人たちには関心が高かったようです。いち早く映画館に足を運んだ人たちから、いろいろとその感想や印象を聞きました。
若い世代の人は「原爆の開発過程を知って興味深かった」。そして歳をとった世代の人は、優れた作品だが、「ヒロシマ・ナガサキが描かれていない、被害者の視点が欠けている」という不満もあったようです。もし、あの時代を知っている、直接、戦争、原爆の被害を知る世代の人が、この映画を見たらどのような感想をもったのでしょうか。
【作品の解説】
一人の天才科学者の創造物は、世界のあり方を変えてしまった。そしてその世界に、私たちは生きている。
第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加した J・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだった―。世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは。
今を生きる私たちに、物語は問いかける。
(映画『オッペンハイマー』公式ホームページ〈STORY〉より)
映画は、戦後のレッドパージ(赤狩り)当時の、議会公聴会のオッペンハイマーへの「尋問」の場面から始まります。オッペンハイマーの水爆開発への否定的な主張に、核開発競争の相手のソ連との関係を疑った公聴会です。そして、そこでのオッペンハイマーと原爆開発の同僚達の証言を軸に、彼らの原爆開発の「成功」に至る過程とその後が語られていく構成になっています。その中心になった彼自身のその時々の内心の揺れ動きが描かれていきます。
科学者としての原子爆弾開発の第一人者になることへの意欲。野望にも近い名誉欲。ドイツ、ソ連との原爆「開発」競争。原爆開発の成功を強いる軍部、政治家への反発。かつての共産主義へのシンパシー、その仲間への複雑な愛憎。疑われながらも科学者としての意識、科学の真理探究をこうした形で「役立てて」いいのかといったジレンマ。そして登りつめた「成功」とその後に来る疑問と底知れない不安。彼のほとんど無表情な感情を表さない表情の内にあるものは何か。作り手が描きたかったものはきっとここにあるのだろうと思いました。とてつもない光の当たる舞台のまん中に立たされ、時代の中で翻弄された一人の人間の内に拡がる混乱、困惑そのものを描きたかったのではないでしょうか。
ふと「最先端科学と軍事の接合」(森達也さんのこの作品へのレビューから)という言葉から、今、軍事産業と結びついて研究を進める研究者が増えていることを思いました。それが国の施策でもあります。研究者は自分の研究をしたいがために、国、あるいは軍事産業から研究助成を受け研究に利用している。自分がやっていることが直接・間接に戦争、人殺しの道具の「開発」につながるのを自覚しないままに、あるいは自覚してその道を選んでいるのか、そこに困惑はないのか、と。
オッペンハイマー自身も原爆の開発されたその瞬間まで、原爆そのものがまったくどんなものかわからなかった、彼の予想とイメージしかなかったわけです。その威力も、危険も、汚染のことも、研究者として当然知っていたが、想像を超えていた。オッペンハイマーが感じたのは、まさに手におえない強力でどう猛な猛獣、悪魔を檻から解き放ってしまったおそれ、おののきなのでしょうか。
原爆実験の成功に歓喜する研究者の仲間たち。それはきっとその当時のアメリカ国民の歓喜そのものを表しています。これで憎き敵を降伏させることができる。これでアメリカは最強の国になれる。アメリカは最強の国でなければならない。一瞬にしてアメリカをかつてない超大国にさせた。
そしてわが国は、その「核抑止力」を信奉する国として戦後80年間を経て、今に至り、その依存度をますます強めていっているわけです。
ふと、アメリカ人の多くは、原爆、核に対して、あるいはヒロシマ・ナガサキに対してどのような意識・認識を持っているのだろうと考えました。おそらくこの映画に描かれた原爆開発当時と今も変わっていないでしょう。
それはスミソニアン航空・宇宙博物館にエノラゲイを展示しても、そのもたらした原爆被害や歴史的背景を見せよう、考えさせようとしなかったことにも表れています。アメリカが、あるいは他の核開発・保持国が、この80年間、原爆について描いた映像にどんなものがあるのかをあらためて見てみたいと思いました。
それにしてもオッペンハイマー自身に、熱狂的な原爆開発の渦から離れて、水爆開発に消極的な判断をさせたものは何なのでしょう。この映画を見る限り、それは実戦に使われたヒロシマ・ナガサキの惨状そのものではなかったようです。少なくとも、映画はそうは描いていません。
精魂を込めて行って来た科学研究の果てにあるもの、つまり「世界を破壊」してしまうものを作りだしてしまったことへの「怯え」ではないでしょうか。真理を求めた科学研究ではなく、果てしない軍拡競争の果てに、世界自体が壊されていってしまうというイメージが、彼の中で強まっていったのではないでしょうか。
オッペンハイマーの抱いた危機感と同じものが、あの時代の中で作られた「日本国憲法第9条」につながると私は読み取りました。
核開発、軍拡ではなく、政治・外交による国際協調によってしか、個々の国の平和や、世界は成り立っていかない、戦争を無くすことはできないことを。
核開発を止めること、そうでなくては世界が壊れてしまうと、核時代の到来とその危険をいち早く気付いたのが、オッペンハイマーだったのではないか、と私は自分なりに解釈しました。
【スタッフ】
監督:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス チャールズ・ローベン クリストファー・ノーラン
製作総指揮:J・デビッド・ワーゴ ジェームズ・ウッズ トーマス・ヘイスリップ
原作:カイ・バード マーティン・J・シャーウィン
脚本:クリストファー・ノーラン
撮影:ホイテ・バン・ホイテマ
美術:ルース・デ・ヨンク
衣装:エレン・マイロニック
編集:ジェニファー・レイム
音楽:ルドウィグ・ゴランソン
視覚効果監修:アンドリュー・ジャクソン
【出演者】
J・ロバート・オッペンハイマー (演 - キリアン・マーフィー)
キャサリン・“キティ”・オッペンハイマー(演 - エミリー・ブラント)
レズリー・グローヴス(演 - マット・デイモン)
ジーン・タトロック(演 - フローレンス・ピュー)
ルイス・ストローズ(演 - ロバート・ダウニー・Jr.)
イジドール・ラビ(演 - デヴィッド・クラムホルツ)
アーネスト・ローレンス(演 - ジョシュ・ハートネット)
ジョヴァンニ・ロッシ・ロマニッツ(演 - ジョシュ・ザッカーマン)
フランク・オッペンハイマー(演 - ディラン・アーノルド)
ジャッキー・オッペンハイマー(演 - エマ・デュモン)
エドワード・テラー(演 - ベニー・サフディ)
ロバート・サーバー(マイケル・アンガラノ)
ケネス・ベインブリッジ(演 - ジョシュ・ペック)
ハンス・ベーテ(演 - グスタフ・スカルスガルド)
セス・ネッダーマイヤー(演 - デヴォン・ボスティック)
アルベルト・アインシュタイン(演 - トム・コンティ)
ニールス・ボーア(演 - ケネス・ブラナー)
パトリック・ブラケット(演 - ジェームズ・ダーシー)
ヴェルナー・ハイゼンベルク(演 - マティアス・シュヴァイクホファー)
ヴァネヴァー・ブッシュ(演 - マシュー・モディーン)
ボリス・パッシュ(演 - ケイシー・アフレック)
ケネス・ニコルス(演 - デイン・デハーン)
ウィリアム・ボーデン(デヴィッド・ダストマルチャン)
ロージャー・ロッブ(ジェイソン・クラーク)
ヘンリー・スティムソン(演 - ジェームズ・レマー)
ハリー・S・トルーマン大統領(演 - ゲイリー・オールドマン)
(2023年制作/180分/アメリカ映画)
公式ホームページはこちら
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【上映情報】https://theaters.jp/17287
丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー他、全国上映中