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浦部法穂の憲法時評

 

安倍晋三と14人の「無識者」たち


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2014年5月22日

 「紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子どもたち。彼らが乗る米国の船をいま私たちは守ることができない」。だから「集団的自衛権」が必要だと、安倍首相は、米軍艦に母と子らが乗り込む絵を描いたパネルまで用意して、国民に訴えた。まったく笑っちゃう話である。一体全体、海外の日本人が武力紛争の危険に巻き込まれたときに、アメリカの軍艦に救出してもらうしかないなどと、本気で考えているのだろうか。軍艦よりも民間航空機や民間船舶で救出するほうが遥かに安全なのに(軍艦なら、当然「敵」の攻撃対象になる)、軍艦で打ち合いをしながらでなければ救出できないような事態になるまで傍観しているつもりなのだろうか。「国民の生命や安全」に責任を負うべき一国の首相がそんな考えでいるとしたら、首相の資格はない。あのパネル図は、安倍氏がみずから首相失格を告白したようなものである。そんな話でコロッとだまされるほど、国民はバカではないと思う。それに、2004年にイラクで「日本の自衛隊撤退」を要求するファルージャ武装グループの人質となった日本人3人について、「自己責任」だと言って助けようとしなかったのは、誰だったのか。

 5月15日、安倍首相の私的諮問機関「安保法制懇」が、「集団的自衛権」の行使を「憲法解釈の変更」によって認めるよう求める報告書を提出した。これを受けて、安倍首相は同日夕に、上記のパネル図を用いた記者会見を開いたのであった。「安保法制懇」の結論は、はじめから決まっていたものなので、報告書には何の驚きもない。が、予想以上に出来が悪い。「集団的自衛権を認めるべし」とする理由くらい、もう少し論理的に書くかと思ったが、「我が国を取り巻く安全保障環境の変化」の一言だけである。それと「集団的自衛権」がどう関係するのか。かりに、中国や北朝鮮の動きが日本にとって軍事的な脅威になっているとして、だからアメリカが攻撃されたときに自衛隊を派遣してアメリカを助けなければならない(集団的自衛権)、という論理は、いったいどこから出てくるのか。中国や北朝鮮が日本に攻撃を仕掛けてくるかもしれないと言っておいて、それがなぜアメリカを守らなければならないという話になるのか。「抑止力」を高めるため? 安倍首相も記者会見で、さかんに「抑止力」、「抑止力」と言っていた。アメリカが攻撃されたときに日本が助けに行けば日本が攻撃されたときにはアメリカが必ず助けに来てくれる、そういうように関係が強固になれば「抑止力」も強化される、ということなのだろう。だが、こんな「お人好し」の感覚は、それこそ「国益」の絡み合う国際関係の舞台で通用しない。アメリカはアメリカの「国益」に適えば日本を助けるだろうし、そうでなければ助けない。それだけの話である。

 「安保法制懇」は14名の「有識者」で構成されているということになっているが、上記の点だけを見ても、とてもとても「有識者」とは言えない。知識も見識も持ち合わせていない「無識者」の集まりだといわざるをえない。とどめは、《個別的自衛権も憲法の「解釈」によって認めてきたのだから、集団的自衛権も政府が新しい解釈を示すことで認められる》という旨のくだりである。事態に応じて政府が「解釈」を変えれば何でもできる、というのなら、憲法なんか要らない。14名の「無識者」たちは、憲法に関してはまったくの無知だと断言できる。そもそも、「安保法制懇」は安倍首相の「私的諮問機関」である。つまり、安倍氏が個人的に集めただけのもので、それが何をしようと何を言おうと、公的な意味合いは微塵もない。だから「無識者」ばかりを集めても成り立っているのである。そんなところが出した「報告書」を、「政府の憲法解釈」の変更の根拠やきっかけにすることは、安倍氏による政府の私物化にほかならない。5月15日の「茶番」は、「茶番」のままに終わらせるべきである。

 それにしても、安倍氏やその取り巻きは、いったい何がしたいのだろうか。何のために自衛隊をそこまで戦地に送りたいのだろうか。「国民の生命や安全を守る」と言いながら、国民の一人であることに間違いのない自衛隊員の命をあえて危険にさらす。自民党の石破幹事長は、自衛隊員が戦闘で命を落とすことに「政治家は覚悟を決めるべきだ」などと発言している。安倍氏も石破氏も、アメリカが攻撃されたらアメリカを助けるために自分が先頭に立って戦場に乗り込もうなどというつもりは、もちろんまったくない。自分は絶対安全な場所にいることが当然だという前提で、自衛隊員に死を厭わず戦えと命じるのである。彼らにとって、自衛隊員は「生身の人間」ではなく自分たちを守るための「駒」でしかないのである。「集団的自衛権」に賛成という人の多くも(「集団的自衛権」に限らず一定の武力行使が必要だと考える人も)、同様の感覚でいるのではないかと思う。しかし、安倍氏や石破氏は安全な場所に居続けられるかもしれないが、「一般人」はそうはいかない。いつなんどき「駒」のほうに回されるかもしれないのだ(前回の『憲法時評』参照)。絶対安全な場所にいられる人たちの口車に乗せられて、自分もそうだと錯覚しないほうがよい。石破氏のいう「政治家の覚悟」というのは、自衛隊員が戦死して政府に対する批判が高まり内閣がつぶれるとか、次の選挙で落選するとかの「覚悟」である。そんなものと人ひとりの命を天秤にかけているのが、彼らの本音なのである。そんな連中の言うことは絶対信用してはならない。

 最近の中国や北朝鮮の動きから、日本の「安全保障環境」は厳しさを増していると、さかんに言われる。本当にそうなら、原発再稼働など、とんでもないことである。もし「敵」が原発を狙ってミサイルを撃ち込んできたら、この国はどうなる? それでも原発再稼働を進めるというのなら、中国や北朝鮮の「脅威論」がウソなのか、それとも「国民の生命・安全を守る」というのがウソなのか、そのどちらか(あるいは両方?)だと思うが・・・。



 

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