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浦部法穂の憲法時評

 

6億円のむだ遣い


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2014年3月27日

 3月23日に行われた大阪市長選挙は、投票率23.59%で過去最低。そのうち、白票4万5098票を含む無効票は6万7506票で、こちらは過去最大。これら無効票を除いた有効投票率は20.4%。当選した橋下氏の次に票を集めたのが、白票だった。また、無効票は今回の選挙自体を批判する言葉などを書いたものがほとんどだったという。橋下氏の得票は37万7472票。大阪市の当日有権者数は211万4978人だったから、橋下氏の得票率(絶対得票率)は17.8%ということになる。今回の選挙は、「大阪都構想」の実現を急ぎたい橋下氏が、「非協力的」な市・府議会野党を、「民意」によってねじ伏せようという意図のもとに、自ら辞表を出して仕掛けた選挙であった。これに対して、野党側は「大義のない選挙だ」として、対立候補は立てずに「無視」を決め込んだ。だから、選挙は橋下氏の「独り相撲」で、当選は投票前から決まっており、焦点は、大阪市民が橋下流のやり方をどういう形でどう評価するか、であった。

 結論から言えば、さすがに大阪市民も、今回の橋下氏の「ダダ」には、はっきり"NO"を突きつけた、ということだと思う。「市議会が自分のいうことを聞いてくれないから辞職して選挙だ」などというのは、子どもの「ダダ」と同じようなものである。それに、かりに市長選に勝ったとしても市議会の構成は何ら変わらないのだから、状況は選挙前と同じである。つまり、無意味な選挙なのである。橋下氏としては、選挙に勝てば、それが自分の「大阪都構想」に対する「民意」だとして議会をねじ伏せることができる、と読んだのかもしれない。だが、80%近くの市民が棄権もしくは白票等の批判票を投じて今回の選挙に意味を見出さなかったのだから、そんな選挙に勝ったところで「民意」を盾に議会をねじ伏せるなど、不可能である。橋下氏の読みは完全に外れたのであり、橋下氏もそのことは認めざるをえないだろうと思う。

 大阪市長選にかかる経費は6億円ほどだという。今回のような無意味な選挙——選挙をやってみても状況は何ら変わらないという意味で無意味であると同時に、市民もその意味を認めなかったという点でも無意味な選挙——でも、大阪市は6億円もの公金を使うことになったわけである。大阪府市の財政状況は、非常に厳しい。だから、削れるところはどんどん削ってスリム化を図ろう、というのが、橋下氏の主張であり、これまでやってきたことだった。「大阪都構想」もその流れのなかにある主張である。そうして、橋下氏は、4000万円足らずの文楽に対する補助金も削減し、大阪フィルへの補助金も府知事時代には6000万円ほどの府からの補助金を全額カット、大阪市長になってからも1億円ほどの市からの補助金を年々削減、等々、そのほか、自分が無駄と考える補助金等は、容赦なくカットもしくは削減してきた。にもかかわらず、自分の「ダダ」を通すために6億円ものお金を平気で浪費したのである。橋下氏が「ダダ」をこねて強行した無意味な選挙のために大阪市は約6億円の無意味な支出を強いられたわけで、大阪市民は、橋下氏に対しその返還を求めるべきだと思う。

 地方自治体においては、議会も首長も、ともに住民の直接選挙によって選ばれる。だから、両者ともに住民の「代表」であり、そういう意味で「二元代表制」といわれる。だが、同じく住民の「代表」といっても、「代表」の中身が両者では本来違うはずである。議会は議決機関であり、首長は執行機関である。住民を「代表」して、さまざまな課題に対応するための施策を議論し決定するのが、議会の役割である。首長は、そうして決定された諸施策を、住民を「代表」して執行する役割を担う。これが、憲法制度上のそもそもの基本構造である。同じく住民の「代表」だといっても、諸施策を決定する権限は議会にあるのであって、首長にはない。首長は、こういう施策を是非やりたいと考えるのだったら、議会における議論を通じて多数の支持を取り付ける努力をしなければならないのである。それができなかったからといって、選挙に訴えて議会の頭越しに「民意」を調達しようという橋下流のやり方は、議会の権限の簒奪であり、議会制そのものの否定につながる。議会が決定し首長が執行するというこの基本構造を、いま一度再確認する必要があろう。

 同じようなことが、国の政治においても言える。安倍首相は、集団的自衛権を行使できるようにする「憲法解釈の変更」を、閣議決定で行おうとしている。集団的自衛権の行使容認というような国のあり方の根本に関わる決定は、本来、国会での十分な議論を経て(さらにもっと「本来」からいえば、憲法改正の手続きによって)なされるべきものである。それを内閣だけで決めようというのである。ほかにも、原発再稼働に向けたエネルギー基本計画や武器禁輸原則の見直しといった重要な問題も、閣議決定によって決めようとしている。重要な問題ほど、国会での議論を避けて内閣だけで決めようとしているように見える。ここでも、国会が決定し内閣がそれを執行するという憲法制度の基本構造が、完全に忘れ去られている。首相を国の「指導者」と呼び、あるいは地方自治体の長を「リーダー」に見立てて怪しまないマスコミ、そして、なにかにつけトップの「リーダーシップ」を強調し求める社会の風潮が、その背後にあるように思う。



 

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