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浦部法穂の憲法時評

 

「右翼の軍国主義者」


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年10月7日

 安倍首相は、9月25日、アメリカの保守系シンクタンク「ハドソン研究所」の「2013年ハーマン・カーン賞」受賞に際しての演説(ニュー・ヨーク)で、「私を右翼の軍国主義者と呼びたければ、どうぞそう呼んでいただきたい」と言った。まさに胸を張って・・・。過去に、レーガン、チェイニー、キッシンジャーといった人たちが受賞しており、外国人としては初受賞ということで、よほど嬉しかったのであろうが、はしゃぎすぎもほどほどにしてもらいたいものである。「ハーマン・カーン賞」は「保守的な立場から国家安全保障に貢献した」指導者に贈られる賞だとされているが、もちろんそこでいう「国家安全保障」とはアメリカという国の「国家安全保障」のことであって、アメリカ以外の国の「国家安全保障」に貢献したからといって授賞対象になるものではない。だから、これまで外国人の受賞者がなかったのであり、今回、安倍首相が受賞したということは、日本の首相がアメリカの安全保障に大きな貢献をしたと評価された、ということを意味する(それも、アメリカの「保守」陣営の立場から見て)。つまりは、アメリカの「タカ派」の軍事的要求に全面的に服従する日本の首相だと評価された、ということである。こんな評価を、安倍氏は喜んで、大はしゃぎで、受け入れているわけである。一体全体、一国の首相が、外国の一民間組織から、その国の安全保障に多大の貢献をしたとして表彰されて浮かれているなんぞ、みっともなくはないのだろうか。

 ともかく、そこで彼は、「右翼の軍国主義者」と呼びたければ呼べ、と開き直った。だから、これからは遠慮なくそう呼ぶことにする。実際、この「右翼の軍国主義者」は、そのレッテルに恥じない働きをしている。集団的自衛権の「解禁」で米軍と一緒になって地球上のどこにでも自衛隊を派遣し軍事行動を行えるようにする。武器禁輸原則を撤廃して兵器の国際共同生産に加わるとともにそれをどこにでも売れるようにする。「日本版NSC」(国家安全保障会議)と「特定秘密保護法」で情報隠し・情報操作に万全を期し軍事行動をやりやすくする。そして「改憲」によって9条の縛りをなくし自衛隊を「国防軍」に衣替えして「普通の軍隊」にする。「右翼の軍国主義者」の首相がいま推し進めようとしているのは、こんなことである。紛れもなく、軍国主義へまっしぐら、である。

 そんな「右翼の軍国主義者」を、しかし、日本国民の6割くらいが支持しているという。それは、彼の経済政策が景気を上向かせたと、国民が信じ込まされているためである。「アベノミクス」なるものによって極端な円高が是正され、輸出企業の業績が回復して株高にもつながった、として、なにやら景気が良くなったような雰囲気が作り出されている。それで多くの国民の生活が楽になったわけではないのに、そういう雰囲気が「右翼の軍国主義者」の首相への支持につながっているのであろう。多くの国民は、彼が「右翼の軍国主義者」であるから支持しているというわけではない。彼の経済政策によって景気が良くなり自分たちの生活も楽になるかもしれない、という期待で支持しているのだと思う。だが、話は古くなるが、600万人もの失業者を抱えていた1930年代のドイツで、1933年1月にヒトラーが政権について以後わずか3年で完全雇用の状態に改善され、そうした経済政策上の成果がヒトラーに対する国民の大きな支持の一つの理由になった、といわれている。そうしてヒトラーを支持したドイツ国民が、その後どのような運命をたどったかは、語るまでもなかろう。「右翼の軍国主義者」を経済政策だけで支持していると、同じ目に遭うことになりかねない。

 それが単に杞憂ではないことを暗示するような出来事が10月2日にあった。この日、伊勢神宮では、20年に1度とされる式年遷宮のクライマックスとなる内宮の「遷御の儀」が行われた。「遷御の儀」は伊勢神宮の「ご神体」を新しい社殿に移す儀式で、式年遷宮のなかで最重要の宗教儀式である。この宗教儀式に、「右翼の軍国主義者」の首相が参列した。現職首相の参列は、1929年の浜口雄幸首相以来84年ぶりだという。その当時は、政教融合の「国家神道」体制の時代である。そして、その「国家神道」体制が、戦前の日本軍国主義の精神的支柱となったのである。浜口雄幸首相の上記儀式参列から2年後、1931年9月にいわゆる「満州事変」が始まり、以後、日本はまっしぐらに破滅への道を進んでいったのであった。84年ぶりの参列で、「右翼の軍国主義者」の首相は、その時代に日本を戻そうとしているのであろう。2年後にはいったい何が起きるのかと、不安がよぎる。でも、そんなことになれば、7年後の東京オリンピックは開催できないことになるだろうに。ちょうど、1940年の場合と同じように。

 日本国憲法は、そういう戦前の反省をふまえて、厳格な政教分離を規定した。だから、首相が「遷御の儀」などといった宗教儀式に参列することは、憲法に違反するのである。しかし、政府は、私人としての参列であるから憲法に違反しない、と言っている。が、こんな言い訳は通用しない。「遷御の儀」には一般の私人は参列できない。「右翼の軍国主義者」の首相が参列できたのは、首相だから、なのである。神宮側は、彼が首相だから「首相として」招待したはずである。少なくとも、一般の目にはそう映る。形式論理としては、「首相だから」参列できたということは、ただちに「首相として」参列したことを意味するわけではない、という理屈も成り立ちそうである。だが、憲法が求めているのは、そんな形式論理ではない。まちがっても戦前の轍を踏まないように、宗教とくに神道と政治がはっきりと距離を置くこと、それこそが憲法の求めるところなのである。そういう意味で、首相が大っぴらに宗教(とくに神道)の儀式に参加したり宗教行為(とくに神道のそれ)を行ったりすることは、首相とその宗教との距離が近いことを公に示すことになるから、それじたい許されないとすべきなのである。言い換えれば、首相が大っぴらに行う以上、「私人として」は、成り立つ余地がない、ということである。どうしても「私人として」宗教行為をしたいということなら、公にならないようにひっそり行うか、きちんと休暇を取って(その分の給与も、もちろん返上して)、公用車も使わず、警護が必要なら自費でボディ・ガードを雇って、取り巻きの番記者の随行も認めず、その他「私人として」の形式を万端整えたうえで、行えばよい。

 それにしても、こんな「右翼の軍国主義者」を自認した首相に対して、日本のマスコミの反応は恐ろしく鈍い。「従軍慰安婦」発言の大阪市長といい、支持率の高い政治家には思い切った批判もできないというのが、日本のマスコミの体質なのだろうか。それも怖い話である。



 

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