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浦部法穂の憲法時評

 

「謝罪」も「反省」も「不戦の誓い」もなしで…


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年8月19日

 8月15日を「終戦の日」とか「終戦記念日」と呼ぶ言い方には、私は前々から違和感をもっていた。そこには、「敗戦」という事実を認めたくないとする意識が強く働いているように感じられるからである。8月15日か、降伏文書に調印した9月2日か、あるいは連合国に対してポツダム宣言受諾を通告した8月14日か、どの日をとってもいいが、いずれにせよそれは「敗戦」の日である。戦争が終わったという意味では「終戦」でもよさそうにみえるが、「勝って終わった」のと「負けて終わった」のでは、同じ「終戦」でも意味が全然ちがう。なのに、それをあえて「終戦」というどっちつかずの言葉で表現することは、「負けて終わった」という事実から目をそらすという意味をもつ。そして、現実に、日本社会にそういう効果をもたらしている。だから、いまだに過去を美化しあるいは正当化するような発言が有力政治家の口から平気で飛び出し、そしてそれを支持しあるいは煽りさえするマスコミが、とるに足りない「イエロー・ジャーナリズム」としてではなく、一人前の顔をして棲息しているのである。

 戦争は、所詮、暴力と暴力の対抗である。そこには、いかなる意味においても「正義」はない。だから、畢竟、「勝てば官軍、負ければ賊軍」ということになるしかないのである。戦争というものはそういうものだと、私は思う。同じ「終戦」でも「勝って終わった」のと「負けて終わった」のでは全然意味がちがう、というのは、そういうことである。勝って「官軍」になるのと負けて「賊軍」になるのでは、大きなちがいであろう。日本は、1945年の8月に無条件降伏したことで、「賊軍」になったわけである。「賊軍」にはいかなる「大義」もないことになるから、どんな言い訳もどんな正当化も通用しない。「すべて悪かった」と謝る以外に道はない。それを認めたくない、そうしたくないという意識が、「終戦」という言い方になっているのだと思う。「勝てば官軍…」なんておかしいじゃないか、というのは、ある意味まっとうな正義感覚であるし、私もそう思う。だから戦争なんかするものじゃないのだ。が、現実に戦争をし、そしてそれに負けた以上、「賊軍」の立場は否定できないのであり、あの戦争に関しては「すべて悪かった」と認めることからしか「戦後」は出発できない。それをあいまいにしてきたことで、68年も経ったというのにいまだに、ことあるごとに中国や韓国などとの関係を悪化させているのである。

 戦争に負けて「賊軍」になった国がその後生き延びていくためには、過去の国とは完全に断絶し、まったく別個の「人格」の新しい国として再出発しなければならない。さもなくば、「賊軍」の「汚名」を晴らすためにもう一度戦争をして勝つしかない。ドイツは、憲法上も、そして現実政治の中でも、ナチスを完全に否定的存在とすることで、前者の道を徹底した。日本の場合、日本国憲法は基本的に前者の道を宣言したのだが、しかし、憲法自身が、象徴という形に変えたとはいえ天皇の存在を継承したことによって、過去の「大日本帝国」との断絶を不徹底なものにした。その代わり、徹底した非武装条項(第9条)によって後者の道を完全に断つことを企図したわけである。しかし、過去との断絶の不徹底さは現実政治の中で増幅され、それにつれて、「賊軍」の立場を受け入れがたいとする心情がじわじわと染み出してきた。そして、「汚名」を晴らす道を閉ざしている憲法9条を変え、自衛隊を普通の軍隊にして、いざとなれば戦争も辞さずという方向に、いま、この国の政治は踏み出そうとしている。

 今年の8月15日、「全国戦没者追悼式」での式辞で、安倍首相は、1993年の細川内閣とその次の村山内閣以後自民党政権の時も含めてずっと継承されてきた、アジア諸国に対する加害責任と「深い反省」・「哀悼の意」、そして「不戦の誓い」を、言わなかった。「謝罪」の言葉も「反省」の弁も一切なく、「戦争をしない」とはあえて言わず、ただ戦場に散った「御霊」への「感謝」だけを前面に出した式辞であった。これは、「賊軍」となったことを認めず「汚名」を晴らす道を選ぶ、という宣言に等しい。少なくとも、諸外国にそう受け止められても仕方がないものであった。こういう政治を続けていたら、国際社会で孤立することになるのは必至である。私は、これまで何度も、「アメリカからも見放されるぞ」と言ってきたが、先の橋下大阪市長の「慰安婦発言」、つい先だっての麻生副総理の「ナチスの手口にならってはどうか」発言、そしてこの安倍首相式辞と、こんなことが続けば、本当にアメリカからも見放される日は遠くないと思う。

 「賊軍」の「汚名」を晴らすためにもう一度戦争をやって勝つ、などというのは、空想・夢想もいいところである。誰が考えても、そんなことは不可能だということはわかりそうなものである。だが、安倍首相が「強い日本を取り戻す」というとき、どうも本気でそう考えているように聞こえる。「日本維新の会」の石原共同代表などは本気でそう考えているに違いないと思うが、首相までもがそう考えているとしたら、この国は破滅の道を進むしかないことになる。なによりも、そんな過去の「汚名」を晴らすことに現在の政治の全精力を傾けるなど、まったく馬鹿げたことである。そういう馬鹿げた政治、そして国を滅ぼしかねない政治が、安倍政権の進める政治なのである。そこを見ずに、目先の数字だけで実体も実感も伴わない「景気回復」という言葉に踊らされて安倍政権支持なんてことを言っていたら、この国は本当に滅びると思う。年寄りの杞憂に過ぎないのならいいのだが……。



 

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