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浦部法穂の憲法時評

 

「本物の野党」と「擬似野党」


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年7月8日

 参議院選挙が始まった。選挙前から「自民圧勝」などということがあちこちから聞こえてくると白けてしまうが、そんなことは言っていられない。マスコミでは、「与党」が過半数の議席(非改選を含めて)を占めることができるかどうかが焦点だ、などと言われ、対する「野党」は選挙協力も進まずバラバラである、というように、視聴者・読者に「野党」はふがいないと思わせるような報道・コメントが流されている。これでは「野党」に勝ち目はない。だが、今回の選挙の本当の焦点は、「与党」つまり自民党+公明党で過半数の議席に達するかどうかではない。逆に言えば、「野党」ががんばって「自・公で過半数」を阻止できたとしても、それでバンザイとなるわけではない、ということである。

 そもそも、いまの日本の政治は、「与党」・「野党」というくくりで何かを語れるような「まともな」政治ではない。「野党」とは、国語辞書では非政権党のことだとされているが、英語でいえばopposition partyである。つまり、単に政権に加わっていないというだけでなく、oppositionすなわち政権党の政策への明確な対抗軸をもっているのが、本物の「野党」なのである。しかし、いまの日本の「野党」は、政権に加わっていないというだけで決してoppositionとはいえないものが、うじゃうじゃしている。「与党」である自民党に対抗するのでなく、それを補完する「野党」が、いくつもうごめいているのである。たとえば、安倍自民党は「改憲」に意欲をみせるが、「世論」の反応などを見つつ、「与党」=政権党としては慎重に進めざるをえないという部分もある。これに対し、「改憲」をもっと積極的に進めるべきだと主張する「野党」は、「与党」自民党の煮え切らない姿勢を攻撃するかぎりでは、表面上「与党」に対抗しているようにみえるが、それは「改憲」をめざす「与党」自民党の政策に反対するものではなく、むしろそれを補完するものである。だから、そのような「野党」は、非政権党ではあってもoppositionではなく、したがって本物の「野党」ではないのである。いまの日本では、そういう「擬似野党」が非政権党の相当数を占めている。そのような「擬似野党」が議席を伸ばしその結果として「自・公で過半数」に達しなかったとしても、それは「与党」自民党のやりたいことをより一層やりやすくするだけである。

 いまから20年前、「政治改革」、「政権交代」のかけ声のもとに、細川・非自民連立政権が成立した。自民党がはじめて「野党」になったときである。このとき、しかし、社会党は議席を大幅に減らし、以後衰退の一途をたどることとなった。「擬似野党」ばかりで「与党」も「野党」もないといういまの状況は、このときから始まっている。その時期に、政治学者の篠原一は次のように言った(『世界』1993年9月号)。

 「現在のように、総保守化の傾向が強い場合には、政権の交代だけでなく、それを支えるグループの内に、内容的ちがいがでてこなければ、日本の政治の体質をかえることは不可能であろう。」
 「デモクラシーにとってより大きな問題は、野党のあり方のいかんである。……オポジションが十分に活動し、その提案をうけ入れうるほどシステムが柔軟性をもっていることが、デモクラシーにとってはもっとも大切なのである。」
 「現在のような総保守化の状態の下では、たしかな政策をもった政治勢力がたとえ少数でも、しっかりした政策的定点をもって存在することが重要であろう。……しっかりした政策定点をもった勢力が80議席か90議席いれば、これからの穏健多党制の時代にはそれなりの力を発揮できるだろう。」

 20年前に指摘されたこの政治課題は、何一つ実現されておらず、むしろ事態は悪くなっていくばかりである。それは、たとえば人権・平和を守るといった特定の価値観からみて悪くなっているというだけでなく、デモクラシーという、どの価値観に立つにせよ共通の土俵として設定されるべきもの自体が機能不全に陥っているという意味において、である。今回の参議院選挙の課題は、明らかである。気分やムードで「何となく自民党」は最悪、「よくわからないけれど何かしてくれるかも」で「擬似野党」も最悪。そうではなく、私たちが「本物の野党」と「擬似野党」をしっかり見分け、「本物の野党」の勢力を、少なくとも議席数的に意味のある数字まで伸ばすこと、これが課題であり、それができるかどうかが今回の選挙の「焦点」に据えられなければならないのである。そして、それを次の衆議院選挙でも実行し、「本物の野党」を作り上げていくことが、日本のデモクラシーにとって必須である。

 では、「本物の野党」とは何か。それは、先ほどの篠原の指摘にあるとおり、oppositionとしての「野党」である。それは単に党派的な意味でのoppositionではなく、基本的な政治哲学ないし思想におけるoppositionでなければならない。こんにち、支配権力側で主流の政治哲学・思想はいわゆる「新自由主義」である。だから、「本物の野党」は、「新自由主義」へのoppositionを明確にするのでなければならない。それと同時に、日本に特有の事情として、憲法へのスタンスがある。戦後日本の保守政治は、一貫して憲法を敵視してきた。しかもそれは、「前向き」に敵視してきたのではなく、きわめて「後ろ向き」に、旧体制へのノスタルジーともいえる敵視であった。そして、その傾向はこんにちいっそう深まっており、こうした憲法への敵視も、支配権力側の基本的な政治思想となっている。だから、「本物の野党」は、こうした憲法への敵視に対するoppositionでもなければならない。民主党が「本物の野党」になれるかどうかは、この二点でoppositionとしての立場を明確にできるかどうかにかかわっている。それができなければ民主党の再生はないと思うが、私たちの課題としては、党派的枠組みを超えてそういう「本物の野党」を作り育てていくことが必要とされよう。

 「言うは易く行うは難し」の典型のような議論だと思われるかもしれない。しかし、本当にそうだろうか。私は、多くの人が、まずは最も個人的な利害から考えるなら、そんなに難しいことではないはずだと思う。「天下国家」の観点からではなく、そこで言われていることが自分にとってどういう利害をもたらすのかを考えてみる。つまり、自分の利害を基準に考えてみればいいのである。ただし、その場合、今日明日の目先の利害だけでなく将来を見据えた利害を考えるという視点は、意識的にもつ必要がある。そのうえで、余裕があれば、その基準がどこまで普遍性をもつかを考えればよい。そうすれば、何でも市場における競争に委ねるべきだといった「新自由主義」政策の自分にとっての意味が理解でき、多くの人がそういう政策を支持するなどということにはなりえないはずだと思う。それを、「天下国家」で論じさせられると、日本経済にとってどうのこうので、自分の利益には反するのに納得させられてしまうことになる。「改憲」問題もそうである。「国防軍」をもつことが自分にとってどういう意味をもつのか。その「国防軍」には誰が入るのか。自分や自分の子どもが徴兵されて場合によっては戦地に送られることになってもいいのか。というように考えれば、そう簡単にこのような「改憲」には賛成できないはずである。「自分基準」はなんとなく身勝手な議論のようで後ろめたく感じるかもしれない。しかし、すべてそれだけでいいとは言わないが、まずは自分にとってどうなのか、そこから考えることで問題の核心が見えてくると思うのである。



 

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