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浦部法穂の憲法時評

 

「日本を孤立と軽蔑の対象に貶める」のはどっちだ


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年4月8日

 「日本維新の会」が3月30日の党大会で決定した綱領は、支離滅裂でお粗末きわまりないものである。だから、まともに相手にする価値もないのだが、国会にそれなりの議席をもつ政党だから、まったく無視するわけにもいかないだろうということで、あえてとりあげることにする。なによりも、その憲法に関する記述である。曰わく、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」。こんなハチャメチャな文章が「基本的考え方」の第1に掲げられているのである。一体全体、日本はいま「孤立と軽蔑の対象」になっているのだろうか。あるいは、日本国憲法下の日本はずっと「孤立と軽蔑の対象」になってきたとでもいうのだろうか。そんなふうに「卑下」して自分の国をみるべきだといいたいのだろうか。それこそ「自虐」もいいところではないのか。

 「日本維新の会」は、要するにいまの憲法が気にくわないのである。アメリカ占領軍によって押し付けられたもので日本の伝統や歴史・文化を無視しているとか、とくに9条非武装条項の「非現実性」とかのことを、現憲法を否定すべき理由とするのであろう。もっとも、こういう「憲法観」は「維新の会」だけのものではない。自民党やその他「改憲派」に共通する見方でもある。昨年4月に出された自民党の「改憲案」にも、こうした「憲法観」がかなり明白に現れている。そこでは、日本という国を「長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家」であると規定し、「国防軍」の保持を明記するとともに、「天賦人権説にもとづく規定振りを全面的に見直し」て(自民党発行の「日本国憲法改正案Q&A」)「公益及び公の秩序」による権利制限を定めている。国民主権も平和主義も人権保障も、現憲法が「人類普遍の原理」ないし「普遍的な政治道徳の法則」(憲法前文)として採用した基本原理のすべてを、大きく変質させあるいは否定する内容の「改憲案」である。かつての「帝国」復活を夢見るものだとさえいえる。「維新の会」の場合は、その「夢想」の程度が自民党よりも激しいということなのだろう。

 このような内容の「改憲案」は、「人類普遍の原理」からの離脱を指向するものである以上、国際的には、常識はずれの異質なものとみなされることになろう。だから、かりにもしもこのような内容の「改憲」が成立したならば、日本は、国際社会においてきわめて異質な存在として「孤立」することを避けられないであろう。そして、そのような選択をした日本および日本国民は、国際的な常識も理解できないのかということで「軽蔑の対象」にされるであろう。自民党や「維新の会」がめざしている「改憲」こそが、むしろ「日本を孤立と軽蔑の対象に貶める」ことになるのである。

 自民党にせよ「維新の会」にせよ「改憲派」が現行憲法を非難する際に言う常套句は、占領軍によって押し付けられた憲法だという、いわゆる「押し付け憲法論」である。だが、この議論は、「そこで言われていないこと」に注目したとき、その本質が浮かび上がる。現行憲法の成立過程を歴史的な事実としてみたとき、制定時において占領軍(アメリカ)によって「押し付けられた」という側面は、たしかにある。そして、占領軍によって「押し付けられた」ものが、もう一つある。日米安全保障条約である。この日米安保条約は、サンフランシスコ平和条約と同時に締結されたもので、アメリカが日本国内に「いつでも、どこでも自由に」軍隊を駐留させることができる、ということを定めたものである。これを受け入れることが日本独立(占領終結)の条件であったから、当時の日本には、これを拒否するという選択肢は事実上なかったともいえる。だから、憲法について、占領軍の示した憲法案を拒否するという選択肢は当時の日本には事実上なかったから「押し付け」だというのなら、日米安保条約についても、やはり同じ意味で「押し付け」だというべきことになる。しかし、「押し付け憲法論」を唱える「改憲」論者の口から、安保条約も「押し付け」だから破棄すべきだとか「自主的」な安保条約に変えるべきだといった主張は、ほとんど聞こえてこない。1960年の安保改定も、無制限な基地提供条約としての基本的性格をなんら変更するものではなかった。日米安保条約は、現実政治の場では、憲法と同程度に、場面によっては憲法以上に、この国の基本的な有り様を規定してきた。アメリカから「押し付けられた」ということを問題にするのなら、安保も憲法と同程度に問題にすべきものなのである。「押し付け憲法」は言うが「押し付け安保」は言わない「改憲派」は、要するにアメリカに正面から挑む気はないのである。実際、普天間飛行場ひとつも撤去させられず、従属的な「地位協定」の改定を言い出すことさえできないのだから。

 そういうふうにみれば、彼らのいう「自主憲法」云々がまったくの嘘っぱちか、さもなくば無責任な「妄想」だということがわかる。「改憲派」はいろんなことを言っているが、結局は9条を変えて軍隊を持てるようにしようというのが最終的な「落とし所」である。そしてそれは、日本の軍事的役割の拡大を求めるアメリカの意向に沿うものである。だから、いまの「改憲」論は、要するにアメリカの要求に従った「改憲」論であり、決して「自主的」なものではないのである。現憲法が「押し付け」だというのなら、「改憲」もまた、アメリカからの「押し付け」なのである。「押し付け憲法」の「押し付け改憲」では、あまりに屈辱的ではないのか。そのうえに「人類普遍の原理」を捨て「帝国」復活をめざすかのようなことを言って国の品位を汚すのは、恥の上塗りである。「維新の会」共同代表の石原慎太郎氏は朝日新聞のインタビューの中で、「日本は強力な軍事国家になるべきだ」とか「核武装を議論することも、これからの選択肢だ」などと言っている。いったいどこまで日本を「貶める」つもりなのだろうか。こんな政党には、即刻「退場」願うべきである。



 

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