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浦部法穂の憲法時評

 

「自衛隊」と「国防軍」のちがい


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年2月7日

 自民党は、昨年の4月に発表した新改憲案(2012年4月27日付「日本国憲法改正草案」、以下「自民党新改憲案」という)で、「国防軍の保持」を明記した(「自民党新改憲案」第9条の2第1項「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」)。これについて、安倍首相は先日の国会答弁で「自衛隊は国内では軍隊と呼ばれていないが、国際法上は軍隊として扱われている。この矛盾を実態に合わせて解消することが必要だ」と述べて、「自衛隊」を「国防軍」とする憲法改正に意欲を見せた。安倍首相は「平和主義と戦争放棄は守る」とも言ったが、そのことと「国防軍」にすることとには矛盾はないのだろうか。「自衛隊」という名前を「実態」に合わせて「国防軍」という名前に変えるだけだ、と言いたいのかもしれないが、「自衛隊」と「国防軍」では、たんに名称のちがいというだけでない大きなちがいが出てくる。そもそも戦力の不保持を定めた憲法のもとで「実態」は軍隊にほかならない実力組織をもっていること自体が大きな矛盾なのだが、そのことにはさしあたり目をつむったとして、「自衛隊」と「国防軍」ではなにがちがってくるだろうか。それは、一言で言えば、「自衛隊」であるが故に課されてきたさまざまな「制約」が「国防軍」ではすべてなくなる、ということである。では、自衛隊にはどんな「制約」が課されてきたのか。

 まず第1は、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」にとどまらなければならない、ということである。これは、歴代政府が自衛隊を合憲としてきた一番基本的な論拠にもとづく「制約」である。これまで政府は、憲法9条2項がいっさいの「戦力」の保持を禁じているということ自体は否定してこなかった。自衛のための戦力なら持てる、という解釈をとってきたわけではないのである。なのに、なぜ自衛隊は合憲だといえるのか。その出発点は、憲法9条は独立国家に固有の「自衛権」まで放棄したものではない、という命題である。この命題が成り立つためには、そこでいう「自衛権」の内容はなにか、そしてそのような意味の「自衛権」が国家の固有の権利だといえる根拠はなにか、などの前提論理が必要で、それなしに当然視できる命題ではない。しかし、そういう難しいことをいっさい言わなければ、この命題は、もしどこかから攻められたときになにも抵抗できないというのはおかしいだろうという、俗受けしやすいものになる。そういう俗受けする形でこの命題を提示し、だからこの「自衛権」を行使するための手段として「自衛のための必要最小限度の実力」をもつことは憲法上認められる、とするのが政府の論理なのである。したがって、憲法が保持を禁じている「戦力」とは「自衛のための必要最小限度の実力」(=自衛力)を超えるものをいうのであり、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」であるから憲法9条2項の「戦力」にはあたらず憲法に違反するものではない、というわけである。この論理を前提とするかぎり、自衛隊が「自衛のための必要最小限度の実力」にとどまらなければならないというのは、自衛隊にとって絶対守られなければならない「制約」だということになる。

 もっとも、おそらく誰もが感じているように、現実にはこれは何の「制約」にもなっていない。どこまでが「自衛のための必要最小限度の実力」でどこまで行ったらこれを超えることになるのか、その客観的な物差しはどこにもないからである。だから、現実の軍備が「必要最小限度」を超えていないかどうかという議論は、机上の議論でしかない。ただ、机上でしかないとしても、「自衛隊」であるかぎりは、いったんこの議論を経なければ、つまり「必要最小限度」だと言わなければ、現実の軍備を正当化できない、というかぎりで、軍備の拡張・増強に一定程度「制約」的に働く余地はある。もし「国防軍」になってこの「制約」がなくなれば、軍備の拡張・増強は「必要性」だけで議論されることになる。「必要最小限度」を議論するのと「必要性」を議論するのとでは、おのずから後者のほうが「自制」のきかないものになろう。いま、「北朝鮮だ」、「中国だ」で、ただでさえ「自制」がきかなくなってきているのに、これ以上きかなくなったら、いったいこの国はどうなるだろうか。

 第2に、自衛隊が自衛隊であるかぎり、つまり、あくまで「自衛力」であって「戦力」ではないとする以上、その行動・活動は、当然「自衛」の範囲に限定されなければならない。だから、自衛隊に許されているのは、日本に対する急迫不正の侵害があったときに、これを排除するための必要最小限度の実力行使だけだ、ということになる。要するに、自衛隊のできることは、日本がどこかから攻撃されたときに、それに対抗して攻撃を斥けることだけだ、ということである。だから、当然、自衛隊が日本の外へ出て行って実力行動をすることは許されない。つまり、自衛隊の海外出動は憲法上許されない、ということになるのである。また、日本が攻撃されていないのに自衛隊が実力行動をすることも、当然許されない。したがって、日本が直接攻撃されたわけでもないのに「同盟国」が攻撃されたというのでその「同盟国」と一緒になって実力行動をすることも、「自衛」の範囲を超え許されない。つまり、いわゆる「集団的自衛権」の行使は憲法上認められない、ということである。

 この第2の「制約」も、いまやほとんど骨抜きにされていることは、大方の人が知っているとおりである。海外出動の禁止は、「国際貢献」だ、PKOだ、「テロとの戦い」だ、というかけ声のもとに、つぎつぎとその「制約」の縄が解かれ、自衛隊の海外派遣は、いまやニュースでもいちいち取りあげられない、あたりまえのことになった。そして2006年の自衛隊法改正で、自衛隊の海外活動は「国土防衛」とならぶ「本来任務」に格上げされた。それでも、この自衛隊の海外活動が武力行動にあたるものならば、それは憲法に抵触する、ということで、自衛隊の武器使用には一定の制限が設けられ、また、武力行使と一体化した活動は認められないなどのことは、「たてまえ」としてはかろうじて残っている。「国防軍」なら、そんな「たてまえ」さえも不要になる。また、集団的自衛権については、「自衛隊」のままでも何とかこれを認める理屈が編み出せないか、というので、政権の側では「研究」が進められている。「自衛隊」ではなく「国防軍」にすれば、そんなことに頭を悩ませる必要はまったくなくなるだろう。

 というわけで、日本国憲法の平和主義は、こんにちまでに一つひとつ徐々に徐々に骨抜きにされ、もはや形をとどめない「皮一枚」の状態になっているといえるが、「自衛隊」を「国防軍」に変えることは、その「皮一枚」さえもはぎ取ってしまうことになるのである。それは、平和主義との完全な決別である。そういう方向に政治が進もうとしているいま、自衛隊はなくすべきだと考える人だけでなく、自衛隊は必要だと考える人も、いま一度「自衛隊」という存在の原点に立ち返って、そのあり方を問うてみる必要があると思う。そうでなければ、日本は、簡単に「戦争できる国」になってしまうだろう。そして、そうなったら、今度はあっという間に、単に「できる」ではなくて「戦争する国」になってしまうであろう。



 

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