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浦部法穂の憲法時評

 

「アベノミクス」で救われるのか?


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2013年1月24日

 わずか半月あまりの間に「アベノミクス」なる言葉が完全に定着したかのごとくである。安倍首相の「アベ」と「エコノミクス」を合体させた言葉で、要するに安倍政権の経済政策のことなのだが、その「アベノミクス」が、日本を救う切り札であるかのごとくに巷間もてはやされている。はたしてそうなるのだろうか。「アベノミクス」という言葉からは、1980年代のアメリカで言われた「レーガノミクス」(レーガン政権の経済政策)が連想されるが、この「レーガノミクス」は、結局アメリカに財政赤字と貿易赤字という「双子の赤字」をもたらし、アメリカ経済をガタガタにした、とも評されている。「レーガノミクス」はスタグフレーションつまり不況下のインフレの抑制が目的で、他方「アベノミクス」はデフレ脱却が目的ということで、置かれた状況が異なるし、したがってその中身も、似ている部分はあるものの同一ではない。しかし、「レーガノミクス」の例にみるように、どうも「○○ノミクス」などと呼ばれるものは、成功する見込みのないもののようにしか聞こえない。そう思うのは私だけなのか、「アベノミクス」に対する評価や期待は、マスコミ等で語られるところを見るかぎり、かなり高いようである。

 この不況を脱して何とか生活を楽にしてもらいたい、というのは大方の国民の切実な願いであろう。そのために、「アベノミクス」は、大胆な金融緩和と公共投資の拡大、そして成長産業の特定と支援で、デフレを脱却し経済成長を図る、というわけである。そして、その具体的な数値として、2%という物価上昇目標を掲げる。問題は、これが筋書きどおりに行くかどうか、そしてなによりも、これによって私たちの生活が楽になるのかどうか、である。つまり、「アベノミクス」で私たちが救われるのかどうかである。とりあえずいまは、円安株高が進行し、なんとなく「いいぞ、いいぞ」という雰囲気がこの日本社会に漂って、世論調査では「アベノミクス」を評価する国民が半数近くに上るという数字も出ているが、そういう雰囲気だけで支持するのはきわめて危険である。

 結論から言うと、私は、「アベノミクス」で私たちは救われないと思う。それは、いまの不況、私たちの生活に即していえば、雇用が増えない、給料が下がり続ける、社会保障の水準もどんどん切り下げられる、等々の状況は、モノを作って売ることで経済成長を続けるという成長戦略そのものの限界がもたらしたものであって、お金をジャブジャブ市場に流したところで、また「それ行けどんどん」で公共事業を際限なく進めたところで、あるいは円安誘導で輸出企業の売り上げを増やしたところで、根本的な対策にはなりえないと思うからである。その証拠に、近代以後、工業製品を製造し、そして次から次へと新しい製品を開発して「豊かな社会」を築いてきた先進国が、いま、軒並み不況に陥っている。失業あるいは非正規雇用の拡大とか賃金の低下という現象は、日本だけの現象ではなく、先進国共通の現象になっているのである。そういう現実のなかで、いかに「大胆」に行ったとしても手法としては従来と変わらない金融・財政政策や、製造業中心の産業政策で、この状況が変革できるわけはないと、私は思う。

 私たちの身の回りから考えてみよう。いまの私たちの生活のなかで、どうしても必要なモノ、あるいはこれがなければ生活の快適さや豊かさが実現できない、というようなモノは、もうほとんどなくなっているのではないか。テレビやその他家電製品も、パソコンも、携帯やスマホも、車も、新しいものが出れば欲しいと思うことはあるかもしれないが、別に新しく買わなくてもいまあるものでそんなに不自由は感じないという人の方が多いのではないか。なにせ、乗用車の普及率はいまや80%、テレビはほぼ100%といわれる時代である。50インチや60インチもの大型テレビがどうしても必要というわけではなかろうし、それがなければ生活の豊かさが実感できないというものでもなかろう。要するに、こうした工業製品の国内需要は、これからはそんなに増えることはない、むしろ減少していく可能性の方が大きい、ということである。それは、先進国どこについても言えることなのである。つまり、先進国はモノがあふれているのであって、これ以上の需要拡大の余地は非常に小さくなっているのである。だから途上国に売り込んで、ということになるのだが、途上国も経済発展を遂げていくなかでいつまでも製品を輸入するだけの地位にとどまるわけにはいかない。当然、しだいに国内生産へとシフトしていくから、先進国がモノを作って途上国に売り込むことで経済成長を図るという図式も、だんだんうまくいかなくなる。これに、地球上の資源の限界という問題が顕在化することで、資源の不足・高騰がおきるから、この図式はいっそううまくいかなくなる。もうすでにうまくいかなくなっている、というべきだろう。だから、先進国はどこもみな、不況から脱することができない、あるいは、数字のうえでは好景気のように見えても人々の生活は苦しくなるばかり、という状態に置かれているのである。

 ではどうしたらよいのか。これまでの経済は、次々と新しい工業製品を生み出すことで成長し、同時に私たちの暮らしを豊かにしてきた。しかし、こんにち、それらの製品はほとんど行き渡り、新しく生み出される製品も私たちの生活にどうしても必要なものではなくなった。だから、そういうものをいくら作っても需要には限界があり、もはやそれによって経済成長を図ることは不可能であると同時に、私たちの生活を豊かにすることもできなくなっている。とすれば、これからは、私たちの生活にどうしても必要なモノやサービスを供給する産業を重点的に育成していくことが必要になるのではないか。まさに、産業構造の大転換である。それなくしては、いま私たちの —そして先進国の「99%」の人々の— 前にある苦境からの脱出は難しいのではないかと思う。そのためには、私たち自身が、私たちの生活にとってほんとうに必要なモノやサービスは何なのかを、企業の側からの提供を受け身的に待つのでなく能動的に、考え、求め、そして場合によってはみずから作り出していくことが必要であろうと思う。あえて断言しよう。「アベノミクス」に期待し頼っても、私たちは絶対に救われない。



 

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