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浦部法穂の憲法時評

 

「韓国併合」100年


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2010年8月26日

 今年は、「韓国併合」100年にあたる。1910年8月22日、「韓国併合に関する条約」が締結され、同29日に公布されて、以後36年間にわたる日本の韓国支配が始まった。もっとも、それより前に、日本は日露戦争の勝利を機に韓国を保護国化し(1905年)、統監府を設置して韓国の主権を完全に奪っていたから、日本の植民地支配は「併合」以前から始まっていたわけであるが…。ともあれ、この100年の節目にあたり、菅内閣は8月10日に首相談話を発表し、「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。」「この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明いたします。」と述べた。

 この首相談話に対しては、例のごとく「自虐的だ」とか「何度も何度も謝る必要があるのか」とか、あるいは逆に、「併合」が脅迫・強制による違法なものであったことに言及していないのは不十分だ、などという批判もなされている。これまで、日本の歴代首相は、1984年の中曽根首相の「深い遺憾の念」の表明に始まり、さまざまな表現で「反省」や「陳謝」を述べてきた。そして、1995年のいわゆる「村山談話」が「痛切な反省と心からのお詫び」を表明し、以後の内閣も基本的にこの「村山談話」を踏襲すると言ってきた。今回の「菅談話」も基本的には「村山談話」を踏襲するものだが、植民地支配が韓国の人々の「意に反して行われた」ことを明確に認めた点は、従来よりも一歩踏み込んだものとみることもできる。

 歴代首相が何度も何度も謝るというのは、たしかに尋常な姿ではない。謝ること自体というよりも、何度も何度も謝らなければならないことが、である。つまり、何度謝っても相手に本心からの謝罪と受け取られていないことが問題なのである。要するに、口先だけの反省と謝罪だとしか受けとめられていないのである。だから、本当に必要なことは、「反省とお詫び」を口にすることよりも、それを目に見える形で示すことである。そして、そのための鍵は、ほかならぬ日本国憲法のとくに前文に示されていると私は考える。

 1910年の「韓国併合」は、日清戦争後の1895年の台湾領有とともに、日本が、欧米帝国主義列強に支配されないために、みずからも帝国主義国家としての道を歩むことを選択したことの帰結であったといえる。NHKの大河ドラマ「龍馬伝」には、時代はさらに遡るものの、そのあたりの心情が描かれているように思うが、それがなにやら「崇高な理想」のごとく描かれていることに、私は何とも心地悪さを感じる。それはともかく、米・英・露・仏などによる植民地争奪戦が激しく展開されていた当時の帝国主義的国際秩序のなかで、日本は、奪われないために奪う側にまわるという選択をしたのであった。だからやむをえなかったとか、そうしなければ日本が米・英などの植民地になっていただろうから当時の選択としてはまちがっていなかったとか、という議論もあるが、歴史に「たら・れば」はないから、そういう議論は無意味だと思う。歴史的事実としてそうだった、という以上でも以下でもない。

 しかし、戦後の日本は、憲法前文において「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有すること」を確認し、その具体化として第9条で戦争放棄と戦力不保持を宣言した。つまり、欧米帝国主義列強に伍して植民地争奪戦を展開してきた帝国主義国家日本が、軍事力と軍事的手段をいっさい放棄して全世界の人々の平和的生存の実現を目指すことを、ここで宣言したのである。それは、一言でいえば帝国主義との決別宣言である。つまり、帝国主義は正しい道ではなかったということの宣言である。そうである以上、韓国や台湾に対する植民地支配も、中国やその他アジア諸国への侵略も、当然間違った行為だったと総括されるはずであり、また、英・米・露・仏などの欧米帝国主義にも否定的評価をしなければならないことになるはずである。それは、「自虐」でも何でもない、歴史に対する評価である。

 そのあたりを曖昧にし、「良い面もあった」などと逆に正当化するような発言をする政治家がいたり、教科書検定で事実を歪曲したり、あるいはアメリカのやることに何でも追随するだけでは、「反省と謝罪」をいくら口にしても、言葉だけとしか受け取られないであろう。植民地支配はそれ自体正しいことではなかったとするのが日本国憲法の立場であり、この憲法のもとでの政府はそのことを明確に認識しなければならない。そのうえで、憲法で宣言した全世界の人々の平和的生存の実現を本気で目指すことこそが、本当の意味の「過去の清算」なのではなかろうか。


 

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