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浦部法穂の憲法時評

 

司法修習生の給与廃止


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2010年6月17日

 司法修習生に対しては、これまで給与が支給されてきたが、今年の11月から(新64期の修習生から)、それが廃止され、修習資金の貸与制に移行する。司法修習生には修習専念義務が課されており、アルバイトはいっさい認められない。そのため、修習期間中の生活を保障するために、これまで給与が支給されていたのである。今年の11月以降も、修習専念義務には変更がない。にもかかわらず、給与は廃止され、それに代わって、希望者には修習資金(「司法修習生がその修習に専念することを確保するための資金」。要するに生活資金のこと)を貸し付けるという制度に変更されたのである(2004年の裁判所法改正。この部分の施行日が今年の11月1日)。「お金は十分あるから大丈夫」という人以外は、修習期間中の生活資金は国から借りるしかないこととなり、法科大学院や学部在学中の奨学金や教育ローンなどの借金に、さらに修習期間中の借金が上積みされるということになるのである。

 「これでは、貧乏人は法律家になれない」、「弁護士が借金の返済に追われるようでは、お金にならない仕事を使命感をもって引き受ける弁護士がいなくなる」などとして、日弁連や各地の弁護士会は、給費制の維持を求める取り組みを進めているが、一般にはほとんど知られていない。知ったとしても、「自分が法律家の資格を得るための修習なんだから、それで給料もらえるというほうが恵まれすぎだったんじゃないの」という感想をもつ人のほうが、あるいは多いかもしれない。貸与制への制度変更も、その名分は「受益者負担」である。具体的な修習資金の額は、基本額で月額23万円とされており、1年の修習期間中これを借りれば総額276万円となる。これは無利息で、修習終了後6年目から10年間で返済することとされているから、1年あたりの返済額は27万6千円(毎月2万3千円)となり、法律家という職業にある者にとっては、借金の返済としてはそれほど無理な数字ではなさそうにもみえる。ただ、在学中の奨学金などの返済が重なれば、かなりの額にはなろう。

 しかし、ほんとうの問題は、そういうことではない。つまり、無理な借金を背負わせるというほどのものではないとか、いや、奨学金などとあわせれば相当な額になるとか、したがってまた、「貧乏人」でも法律家になれないわけでないとか、いや、難しくなるとか、そういう問題ではないのである。根本的な問題は、この国が、あるいはこの国の社会が、「人材育成」ということを、公共的な関心事としてとらえず、もっぱら個人的な利益の問題としてとらえている、という点にある。「受益者負担」という言葉がすんなり受け入れられるのは、まさにそれ故である。

 このことは、教育に対する公財政支出の国際比較に、顕著に見てとれる。OECD(経済協力開発機構)の「図表でみる教育」(2009年版)によれば、教育機関への公財政支出の対GDP比は、日本は3.3%で、OECD加盟28か国中27位である。28か国の平均は4.9%であり、アメリカでも5.0%と平均を上回っているのに比べ、日本の低さは際立っている。とくに、高等教育についてみると、日本の高等教育段階における公財政支出の対GDP比は、わずか0.5%で、28か国中最下位である(OECD平均は1.0%、アメリカも1.0%)。その結果、高等教育段階での教育支出の67.8%が私費(私的部門)負担となっている。ドイツやフランスなどは、私費(私的部門)負担は15〜16%程度であり、OECD平均でも私費(私的部門)負担割合は27.4%である。しかも、日本の場合、私費(私的部門)負担67.8%の内訳をみると、51.4%が家計負担、16.4%がその他の私的部門の負担となっており、高等教育支出の半分以上が家計によって負担されている。アメリカも、私費(私的部門)負担割合は66.0%と高いが、民間奨学金などが充実しているため、家計負担は36.3%にとどまっている。

 以上の数字からわかることは、日本では、高等教育は、それを受ける個人の負担で成り立っており、国や社会全体でそれを支えようという発想に乏しい、ということである。これは、言いかえれば、将来を担う人材の育成ということに、国や社会がほとんど関心をもっていないということである。こうして、高等教育を受けるのはもっぱら個人的な利益のためとする受けとめ方が一般的となり、そのために、高等教育を受けた「エリート」たちが、自分の個人的な利益を拡大することばかりに一生懸命で、社会公共のために尽くすという「エリート」としての本分を忘れてしまうことになっているのではないかと思われる。そして、そのことが、さまざまな分野で「本物のプロフェッショナル」の不在という現象を招いているように思うのである。いまの日本社会の閉塞状況は、このことも1つの大きな要因となっていると思う。

 司法修習生の給与廃止問題は、司法修習生という狭い範囲だけの問題ではない。それは、「人材育成」ということに対する私たちの考え方の根本に根ざす問題なのである。次代を担う人材の育成が社会の発展のために不可欠であることは、誰も否定しないであろう。そういう意味で、人材育成は、個人の私的利益のためというよりも、公共の利益のために必要なものなのである。「受益者」は、育成される個人というよりも、社会全体なのである。とすれば、国や社会全体でそれを支えるのは当然のこととなろう。司法修習生の給与廃止という、多くの人には一見無関係なような問題も、以上のような意味において、根本的なところでの発想の転換を迫るものなのである。

 

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