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浦部法穂の憲法時評

 

オリンピックと国旗・国歌


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2010年2月4日

 もうすぐ冬季オリンピックが始まる。浅田真央選手はトリプル・アクセルを成功させることができるだろうか、などと気にしている人も多いかもしれない。かくいう私も、成功させて欲しいと願っている。別に浅田真央さんと知り合いでもないのに、会ったことも話したこともないのに、考えてみれば不思議な話である。オリンピックともなれば、どこの国の人々も、自国の選手の活躍を期待し応援するのが普通であろう。もちろん、他国の選手でもすばらしいパフォーマンスに対しては拍手喝采を惜しまない、という人も多いと思う。私も、フィギュア女子でいえば、キム・ヨナ選手の演技にはいつも魅せられるし、オリンピックでもあの華麗かつパーフェクトな演技を見せてもらいたいと思っている。

 オリンピックでは、表彰式の国旗・国歌がつきものである。日本の選手が優勝すれば、一番高いところに「日の丸」の旗が揚がり、それとともに「君が代」のメロディーが流れる。「日の丸」、「君が代」は、1999年に制定された「国旗・国歌法」によって法律上「国旗」、「国歌」としての位置づけを与えられることになったが、それが、戦前の天皇主義国家の、とりわけ軍国主義日本のシンボルとして重要な役割を果たしてきたものであったことから、「国旗」、「国歌」としてふさわしいものであるのかどうかについては、当時も、それ以前にも、そして今も、いわば国論を二分する形の議論が絶えない。そうであったとしても、オリンピックという舞台での日本選手の活躍をたたえる意味で掲げられ演奏されるのだから、そこまで目くじらたてる必要はないじゃないか、という考え方もあろう。

 もちろん、優勝者をたたえることには素直であってよい。それを表す意味で国旗が掲揚され国歌が演奏されることも、それだけを取り出してみれば、ことさらに異を唱えるべきことではないといえるかもしれない。しかし、国旗・国歌にまつわる歴史や問題を考えもせず、あるいは知らないままに、無邪気に(?)旗を掲げたり歌を歌ったりするならば、とくにそれが歴史的に「負の遺産」の付きまとったものだった場合には、他の人の思わぬ怒りを買い、場合によっては国際礼儀の問題にまで発展しかねないこととなる。

イギリスの歌手ピーター・ドハーティが、昨年11月28日にドイツのミュンヘンで行われた音楽祭に出演した際、ナチス・ドイツ時代の国歌(Deutschland, Deutschland uber alles)を歌い、観客のヤジを浴びてステージから引きずり下ろされた、という事件があった(AFPBB News 2009.12.1)。その後、ドハーティは広報担当を通じて「国歌にまつわる問題を知らず、気分を害したのであれば深く謝罪する」として謝罪のコメントを発表したという(AFPBB News 2009.12.2)。ドイツの国歌は、ハイドンが作曲したメロディーに、1841年にホフマンという人が歌詞をつけた「ドイツの歌(Deutschlandlied)」といわれている歌である。1841年には、まだ「ドイツ」という国は存在しなかったから、もちろん、国歌として作られたものではなかった。ホフマンは、「ドイツ統一」の願いを込めて、3番までの歌詞を作ったが、その1番で、「統一」されればドイツは世界に冠たる存在になるという意味で ”Deutschland, Deutschland uber alles, uber alles in der Welt“ という歌い出しの詞を書いたのであった。ドハーティが歌ったのは、この1番の歌詞で、ナチス・ドイツ時代には「世界に冠たるドイツ」と歌い上げるこの1番の歌詞が国歌とされていた。戦後は、この1番の歌詞は覇権主義的な野望を表すもので国歌として不適切であるということで歌われなくなり、現在では「統一と正義と自由」という言葉で始まる3番の歌詞が国歌として歌われている(2番の歌詞は女性差別的だということで、これも不適切とされている)。ドハーティは、ドイツ国歌にまつわるこうした歴史的な事情を知らずに1番の歌詞を歌って、観客を激高させステージから引きずり下ろされる羽目になったわけである。

 ひるがえって日本では、「日の丸」、「君が代」にまつわる歴史的な「負の遺産」にはことさらに目隠しする形で、学校での(とくに、入学式や卒業式における)国旗掲揚・国歌斉唱の強制が、日に日に強められてきている。《国旗・国歌の尊重は国際社会の常識であり、どこの国のものであれ、国旗・国歌を尊重するということは、国際礼譲からいっても必要なことだ。だから、児童・生徒に国旗・国歌を尊重する態度を身につけさせる必要がある》というようなことを、文科省や教育委員会は「強制」の正当化理由とする。しかし、国旗・国歌にまつわる歴史や問題についてきちんと教えることなく、ただ尊重せよというだけでは、逆に「国際礼譲」に反する結果をもたらすことにもなる。ドハーティがステージから引きずり下ろされたという事件は、このことを雄弁に物語るものだといえる。彼は、ドイツ国歌にまつわる歴史や問題を知らなかったために、ドイツの聴衆を激高させるような、まさに「礼譲」に反することをしてしまったのである。

 バンクーバー・オリンピックを楽しみつつ、「日の丸」が揚がり「君が代」が演奏されることを無邪気に喜ぶのではなく、国旗・国歌についてあらためて考えてみてはどうであろう。

 

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