法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
 憲法をめぐる動向
 イベント情報
 憲法関連裁判情報
 シネマ・DE・憲法
 憲法関連書籍・論文
 ■今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

浦部法穂の憲法時評

 

天皇の政治利用


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2009年12月24日

 今月15日に行われた中国の習近平・国家副主席と天皇との会見が、「天皇の政治利用」として問題とされている。天皇と外国要人との会見は最低でも1か月前に申し入れるという「1か月ルール」が政府からの強い要請で破られたことについて、宮内庁長官が、大事な国だからといって特別扱いすることは天皇の政治利用につながりかねない、との懸念を表明したことで、問題が明るみに出た。習近平氏が次期国家主席とも目されている大物であり、中国側が民主党の小沢幹事長に天皇との会見を要請していた、などの事情も「政治の圧力」を窺わせる。

 宮内庁長官の言い分は、天皇の行う国際親善は国の大小や政治的重要性で取り扱いに差をつけずにやってきたのであり、それを政治的な判断で破ることは「政治利用」につながりかねない、というものである。これに対し、小沢幹事長は、天皇の行為は「内閣の助言と承認」にもとづいて行うと憲法に書いてあるのだから、内閣が決めたことに宮内庁の役人が反対するのは筋違いだ、どうしても反対なら辞表を出してから言え、などと反論した。小沢流の「官僚排除」・「政治主導」論がここでも持ち出されているが、この場面での「政治主導」は、それこそ筋違いである。「政治主導」で天皇を動かすことは、まさに天皇の政治利用であり、そうした政治利用を排除しようというのが憲法の立場である。「1か月ルール」自体には、もちろん法的・理論的な根拠があるわけではない。単なる慣例上のルールである。だから、ルール自体の意義からいえば、そんなに厳格に守らなければならないものでもないといえよう。しかし、いったんルールが設定されそれに従った運用がなされている以上、政治的な判断によってそのルールを守ったり破ったりすることは、政治の恣意を許すことになり、権力の乱用につながる。だから、一般的にも、政治はルールに従うべきだということができるが、政治の恣意が絶対に入り込んではならない天皇に関しては、一層そうなのである。
 というわけで、今回の論争に関しては、宮内庁長官の言い分のほうに軍配を上げるべきだが、しかし、問題の本質は、「1か月ルール」云々ではなく、もっと深いところにある。それは、一言でいうなら、憲法の定める天皇像がきちんと理解されていない、ということである。憲法は、天皇を「象徴」であるとし(1条)、「この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」(4条)としている。そして、天皇が行う「国事に関する行為」(国事行為)は、6条および7条に列挙されており、これにはすべて「内閣の助言と承認」を要するものとする(3条)。6条・7条に列挙された天皇の国事行為は、実質的な権限をいっさい伴わない形式的・儀礼的な行為である。その意味では、天皇の行う国事行為は、本来なくても全然構わないような行為である。憲法は、そういう実質的意味のない形式的・儀礼的行為であっても天皇単独では行うことはできず、「内閣の助言と承認」のもとに内閣の責任において行わせることとし、天皇を徹底的に政治的無権能化しているのである。

 ここで重要なことは、憲法は、天皇が行いうるのは憲法の定める国事行為「のみ」に限られるとしていることである。それは、天皇自体が政治的な力をもつことを排除すると同時に、内閣が天皇の権威を政治的に利用することを排除するためである。「内閣の助言と承認」があれば天皇に何をさせてもよいということでは、内閣による天皇の政治利用を防げないから、憲法は、「この憲法の定める国事に関する行為のみ」を行うと定めたわけである。天皇は、歴史的に、権力を基礎づける権威の源泉であったといえるが、天皇の権威による権力の基礎づけは、日本国憲法が基本原理とする国民主権の原理に反する。国民主権原理のもとでは、権力を基礎づけるのは「国民の意思」だけである。天皇の政治利用は、政治的主張や施策の正当化に天皇の権威を利用することであり、それは国民主権原理の破壊につながりかねないものである。だから天皇の政治利用は排除されなければならないのである。

 日本国憲法は、国民主権を基本原理としながら、しかし、旧天皇制とのいわば妥協の産物として、象徴天皇なる存在を認めた。そのため、天皇の権威が機能する場を限定的な形で認めることとしたのである。それが4条の「のみ」という規定の意味である。つまり、天皇の権威を借りることは、憲法6条・7条の場合に限って認めるが、それ以外にはいっさい認めない、ということである。したがって、6条・7条に掲げられたもの以外の行為を天皇に行わせることは、憲法の認める範囲を超えて天皇の権威による基礎づけを行おうとすることにほかならず、それ自体が国民主権原理に反する「天皇の政治利用」だということになる。

 ところが、これまでの政治も、そして憲法学説の多くも、憲法が「のみ」と規定しているにもかかわらず、憲法の定める国事行為以外の公的行為を認めてきた。国会開会式での「お言葉」、外国公式訪問、外国元首その他の要人との会見、国内巡幸等々である。これら国事行為以外の公的行為は、その時々の政治的必要性にもとづいて、時代とともに拡大してきた。歴代の政府は、こういう形で、まさに、天皇を政治利用してきたのである。こうした現実の前に、いまさらこれら公的行為を否定して憲法の規定どおりの「のみ」に限定するなどというのは非現実的だ、という声も根強く、学説においても、象徴という地位にあることを根拠に、あるいは公人一般に要請される儀礼的行為の範囲内で、国事行為以外の公的行為も認められるとする説が多数を占めているようである。しかし、天皇の政治利用を問題にするのであれば、今回の「1か月ルール」云々ということ以前に、そもそも外国要人との会見のような、憲法に定められた国事行為以外の公的行為を天皇に行わせること自体を問題にすべきなのである。憲法は、「1か月ルール」なんかより、はるかに重要なルールなのだから。


 

[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]