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浦部法穂の憲法時評

 

ベーシック・インカム(その1)


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2009年11月26日

 今年も年末が近づいてきた。昨年の年末には、「年越し派遣村」が注目を集めたが、今年も、厚労省の調査によれば23万人以上の人が職もなく失業給付も切れて無収入の状態で年越しを迎えることになるという(11月16日読売新聞)。生活保護の捕捉率(生活保護基準以下の生活をしている人のうち保護を受けている人の割合)も、高く見積もって20%程度であるという。2008年の生活保護受給者数は159万人だが、これが20%程度の数字だとすれば、実際に保護を必要とする人は約800万人ということになり、約640万人の人が生活保護から漏れていることになる。憲法25条が、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障しているにもかかわらず、これだけ多くの人が、それとは無縁の状態に置き去りにされているのである。

 こういう状態をもたらした「犯人」を指摘するのは、さほど難しくはない(いろいろな見方があり、それらがともに「正解」であるにしても)。だが、ではどうしたらいいのかとなると、これぞという解決策は、簡単には出てこない。そんな折りに、「ベーシック・インカム」という言葉を目にした(直近では、先の衆議院選での「新党日本」のマニフェスト)。正直なところ、話にならない「ばらまき」政策ぐらいにしか思っていなかったが、イギリス、ドイツなどヨーロッパを中心に、学問的にも政策的にも真剣に議論されている構想であることを知り、ほんの少しだが勉強してみた。これが「これぞという解決策」なのかどうかは、ほんの少しの勉強ではまだわからないが、少なくともまともに考えてみる価値のある構想だと思う。

 「ベーシック・インカム」(Basic Income = 以下、BIと略す)構想とは、国(あるいは州や自治体)が、すべての個人に、就労の有無、資産や所得の有無・多寡をいっさい問うことなく無条件に、人間としての最低限度の生活に必要なお金を支給する、という構想である。要するに、働いていても働かずに遊んでいても、貧しくても裕福でも、最低限度の生活のためのお金は、全く同じに貰える、というわけである。もちろん、その財源は税金である。となると、これはとんでもない話のようにみえる。なぜ金持ちにまで税金から生活費を支給する必要があるの? 働かずに遊んでいても生活費は国が面倒みてくれるとなれば誰も働かなくなるんじゃないの? 第一、ただでさえ財政難なのにそんなことできっこないでしょう。――これらの疑問は、全くもっともである。

 にもかかわらず、BI構想がまともに考えてみる価値のあるものだというのは、一つには、それが、労働と所得(あるいは生存)との関係についての既成観念の転換を迫るものだという点にある。「働かざる者食うべからず」という言葉に表されるように、私たちは、自分が生きていくために働くと考えてきた。つまり、生活費を稼ぐために働くというわけである。もちろん、労働は、単に生活費を稼ぐためというだけでなく、自己を社会のなかで実現していくという意味をも持っている。しかし、労働が、生活費を稼ぐためという意味を持たされているかぎり、人は何よりも生きていかなければならないのだから、そちらのほうが自己実現という意味よりも優先されざるをえないことになる。つまり、自分のやりたい仕事でなくても、あるいは自分の価値を正当に評価されていないと感じる仕事であっても、それしか働く場所がなければ、生きていくためには仕方なく働くしかないことになるのである。BI構想は、人間としての最低限度の生活費を保障することによって、労働と生存との関係を切り離し、自分のやりたい仕事(活動)や意義があると感じられる仕事(活動)を選択することを可能にし、社会のなかでの自己実現という労働の持つ意味を、より発揮しやすくさせることになる。

 こうした考え方の背景には、人間としての最低限度の生活を営むことは万人に認められるべき基本的人権であるという、憲法論的にはすでに自明のことを前提としつつ、しかし、こんにちでは、まずは各人に労働の機会が与えられることによってこの権利は実現されるという伝統的な考え方が、もはや妥当しえない状況になっている、という認識がある。ますます進むIT化・ハイテク化は、人間による労働をますます不要にし、労働の場は少なくなる一方であり、「完全雇用」はもはや不可能だ、というわけである。したがって、労働による生存権保障という考え方は、いまや非現実的だということになる。そうであれば、労働と生存を切り離し、労働とは無関係に、生存権は生存権として保障されるべきこととなる。だから、BI構想は、働いているかどうかや、労働からどれだけの収入を得ているかどうかなどを考慮に入れるべきではないと考えるのである。

 実際的な観点からいうと、労働機会は減少する一方で「完全雇用」はもはや不可能だという認識からすれば、年金や失業保険のような「社会保険」制度は、そもそも将来的に持続不可能な制度だということになる。事実、年金制度の破綻の懸念は、日本だけでなく、ヨーロッパにおいても深刻な問題となっている。さらに、貧困に対する救済策としての生活保護は、厳格な資力調査や「社会の落伍者」的意識(自他ともの)による「スティグマ」など、かねてよりその問題性が指摘されていたところである。BI構想は、年金も失業保険も生活保護もすべてBIとしてまとめてしまおうというものであるから、現在の諸制度が抱えるこれらの問題を解消させることにもなる。また、生活保護という形での最低生活保障の場合、働いて収入を得ればその分生活保護費から減額されることになるから、勤労意欲が失われ、その結果「貧困と失業の罠」に陥るということも、大きな問題として指摘されてきた。これに対して、BIの場合には、就労の有無や所得の有無・多寡にかかわりなく支給されるのであるから、働いて収入を得ればその分確実に裕福になれる。だから、労働へのインセンティブはむしろ増す、というわけである。

 このようにみてくると、BI構想は「究極の福祉国家」構想のようにみえる。しかし、じつは、それは、ある意味「新自由主義的」でもある。実際、ヨーロッパでのBI賛同者は、「右」から「左」まで、きわめて幅広いといわれる。そのあたりは、次回に考えてみる。

【つづく】


 

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