法学館憲法研究所は、憲法を系統的に研究し、個人の尊厳の実現をめざす非政府組織としての自由な研究機関です

法学館憲法研究所

Mail info@jicl.jp
 
今週の一言
憲法情報Now
 憲法をめぐる動向
 イベント情報
 憲法関連裁判情報
 シネマ・DE・憲法
 憲法関連書籍・論文
 ■今日は何の日?
憲法Voice
研究所・客員研究員紹介
中高生のための憲法教室

憲法文献データベース
日本国憲法全文
リンク集
 
事務局よりお知らせ
賛助会員案内
メールマガジン
ご意見フォーム
サイトマップ

浦部法穂の憲法時評

 

政権交代


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2009年9月3日

 予想どおりといえば予想どおりの民主党「圧勝」であった。8月30日に行われた衆議院議員総選挙で、民主党は308議席を獲得した。定数480に対し、64.2%の議席を占めたわけである。民主党の立候補者数は330人であったから、実に勝率9割3分3厘。対する自民党は326人の立候補者中当選者は119人で、勝率3割6分5厘。まさに民主党圧勝、自民党惨敗であった。これまで自民党は、1993年に「下野」することとなったときでさえ、衆議院第1党の座を他党に譲ったことはなかった。それが今回は、第1党の半数の議席にも届かない第2党に転落したのだから、まさに歴史的敗北といえる。4年前の「郵政選挙」で熱に浮かれたように自民党を大勝させた国民が、今度は前回の結果をほとんどそのままひっくり返した形で民主党を圧勝させたわけである。小選挙区制のもとでは、往々にしてこういう極端な結果になることもあるが、それにしても、みんなが一斉に同じ方向にワーッと流れるこの国の国民の体質を、またしても見せつけられた思いがする。私としては、民主党が単独で3分の2以上の議席(衆議院での「再議決」に必要な議席)にならなかったことが、まだしも「救い」だったとさえ思う。

 ともあれ、これで自民党から民主党への「政権交代」が現実のものとなった。日本の民主主義が「本物」になる第一歩だ、などとする見方も多い。民主主義にとって「政権交代の可能性」が必須の条件だとする見解は、昔から言われてきた。つねに政権交代の可能性があるという状況のもとでは、政権党もやりたい放題にはできない。失政があればすぐに政権を譲らなければならないことになるし、都合の悪いことは隠しておこうとしても反対党が政権を取れば暴露されることになるから隠し通すわけにもいかなくなる。こうした意味において、政権交代があれば、より民意に即した政治、あるいは国民に開かれた政治が期待でき、したがって、政権交代の可能性があることが民主主義にとっては必要だ、というわけである。90年代半ばに「政治改革」と称して行われた小選挙区制の導入とそれにあわせた政界再編は、まさにそうした掛け声のもとに推進されたものであった。
 たしかに、政権交代は、一般論としては、ないよりあったほうがよい。政権交代の可能性がないところでは民主主義は機能しない、というのは一面の真理である。しかし他方、現実的可能性をもって政権をめざそうとする政党は、選挙においてより多くの票を獲得するために、多数派の利害に即した政策や大衆受けのする政策を掲げることとならざるをえない。したがって、つねに政権交代の可能性があるという状況は、政党間の政策の違いがあまりないという状況でもある。政党間の政策の違いがあまりないということは、実際に存在する多様な民意が政治には十分に反映されないということを意味する。端的に言えば、少数派の民意は完全に切り捨てられる、ということである。民主主義というものを、単なる多数決主義としてとらえるならば、少数派は少数である以上切り捨てられるのは当然だということになるが、民主主義とは決してそのようなものではない。最終的には多数決によらざるをえないとしても、重要なのは、その過程で多様な民意をいかに汲み入れ調整していくかである。少数派の民意を顧みずに切り捨てたのでは、もはや民主主義とはいえない。したがって、政権交代があったから民主主義が前進したとか「本物」になったとかは、直ちにはいえないのである。
 実際、自民党も民主党も、基本的な立場は似かよっているし、それほど大きくかけ離れた政策を掲げているわけではない。憲法や平和と安全保障についても、それぞれ党内にいろいろな立場を抱えつつ、基本的には同じ方向を向いている。かつて、いわゆる55年体制のもとでは、日本の政治は、保守と革新という基本的立場の違いが鮮明な自民党vs.社会党の対抗関係を軸に展開されてきた。「改憲」対「護憲」という違いも明確であった。ここでは、少数派の民意を代表する反対党が政治的に一定の勢力をもち、政権党による多数派支配に対し一定のチェック機能を果たしてきた。そのかぎりで、少数派の民意も一定程度反映されてきたのであった。もちろん、政権交代の可能性がまったくなかったことによって、民主主義のあり方としては「いびつ」なものであったことは否定できない。しかし、93年の細川連立政権によるつかの間の「政権交代」とその後の「自社さきがけ」連立の村山政権をつうじ、少数派の民意を代表すべき立場の社会党は自壊し消滅した。つまり、「政権交代」を追求することによって、少数派の民意の反映という民主主義のもう一つの重要な要素が、ここで消滅させられることとなったのである。こうしたところから、私は、93年の「政権交代」について、「ない方がましな政権交代」だと述べたことがある(「政権交代と改憲論」全国憲法研究会編・憲法問題6号)。

 さて、今回の政権交代は「ない方がまし」なのか、それとも「あってよかった」政権交代なのか。少数派の民意を代表すべき政党がとうの昔に壊滅状態となり、政治的にはほとんど無力に等しい勢力にまで落ち込んでいる、という現状を前提にいえば、93年のときの状況とは違って、「ない方がまし」ということにはならないだろう。「ないよりまし」とはいえると思う。しかし、民主主義という観点からいえば、政権交代があったことだけで万歳というわけにはいかない。少数派の民意をいかに反映させていくかということが、民主主義にとってはきわめて重要だということを忘れてはならない。

 来年5月には、憲法改正のための「国民投票法」が施行される。鳩山首相が、ここ数代の「世襲政治家」首相のように短期間で投げ出すようなことをしなければ、民主党政権下での施行となろう。それまでに、この問題だらけの「国民投票法」を、せめて抜本的に見直し改正する、ということでもやったなら、「あってよかった」政権交代だと評価できるかもしれないが……。

 

[今週の一言][憲法情報Now][中高生のための憲法教室][憲法文献データベース][事務局からのお知らせ]
[トップページ]