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浦部法穂の憲法時評

 

足利事件


浦部法穂・法学館憲法研究所顧問
2009年6月15日

 1990年に栃木県足利市で発生した女児誘拐殺人事件で無期懲役の刑が確定し服役中だった菅家利和さんが、6月4日、千葉刑務所から釈放された。菅家さんが逮捕され有罪となった決め手は、本人の「自白」のほかにはDNA鑑定が唯一であったが、再審請求の即時抗告審で東京高裁がDNA型の再鑑定実施を決定、検察側と弁護側が推薦する2名の鑑定人による再鑑定が行われ、その結果、両者とも、真犯人が残したとされる遺留物と菅家さんのDNA型は一致しない、との結論を得た。つまり、逮捕・有罪の決め手とされた当初のDNA鑑定が誤りであったことを、検察側推薦の鑑定人も認めたわけである。そのため、東京高検も刑の執行を停止する措置をとらざるを得ないこととなったのである。91年12月に逮捕されてから実に17年半もの間、菅家さんは自由を奪われ人生を奪われたのであった。

マスコミは、一斉に、当時のDNA鑑定が精度の低いものであり、それを絶対視した捜査や裁判に問題があった、という論調でこのニュースを報じた。しかし、91年12月の逮捕時には、どの新聞もこぞって、「犯人」逮捕の「決め手」となったDNA鑑定を「100万人中の1人を特定できる」などと持ちあげ(読売91年12月1日朝刊など。実際は、血液型を併用して1000人中1.2人程度だったとされる)、菅家さんを完全に犯人扱いし、「極悪非道」の「変質者」呼ばわりしたのではなかったのか。そして、この事件のみならず、足利市および近隣で発生した未解決の他の3つの女児誘拐殺人事件(79年、84年、87年の事件)についても関連をほのめかし、さも「連続殺人犯」であるかの報道をしたのは、いったい誰だったのか。菅家さんは、取り調べの中で、79年と84年の事件についても「全面自供」している。しかし、この両事件は物証が得られず、また菅家さんのアリバイを裏付けるような目撃証言もあり、結局不起訴とされた。新聞各紙は、これまた、《自供しているのに、なぜ不起訴?》というトーンの記事で、菅家さんが犯人であることは間違いないと思わせる報道をしていたのである。
 ここには、日本のマスコミの、権力への絶大なる「信頼」が表されている。《警察の捜査には間違いはない》、《警察発表はすべて真実》というわけである。その傾向は、こんにちにおいても全然変わっていない。むしろ、捜査当局の発表をそのまま真実と決めつけて「犯人」を糾弾するという報道姿勢は、年々強まっているようにさえ思われる。今回の事件は、そうした報道のあり方にも大きく問題を投げかけるものであったはずである。しかし、日本のマスコミには、みずからの報道のあり方について反省するという気配さえも見受けられない。菅家さんの例だけでなく、2002年の富山連続婦女暴行事件、2003年の鹿児島・志布志町選挙違反事件など、警察による「自白」強要や自白調書でっち上げといった事例が明らかになっている。その都度、マスコミは、警察の捜査の行きすぎを批判してはきたが、ならば、こうした違法な取り調べが明らかになる・ならないにかかわらず、「犯人」と決めつける報道をする前に、「自白」強要やでっち上げはなかったのか、警察発表が本当に真実なのか等々の検証をすべきではないのか。

 「捜査当局への絶大な信頼」は、じつは、裁判所にもあてはまるのであり、こちらのほうが、むしろ、問題としては深刻だともいえる。裁判所が捜査当局に絶大な信頼を寄せているとなれば、ひとたび起訴されたなら、いかに無実であっても、確実な「無罪の証明」ができなければ、無罪判決を勝ち取ることは困難となる。刑事裁判においては、本来、確実な「有罪の証明」がなされないかぎり有罪とはされないのが原則である。「疑わしきは罰せず」である。足利事件の場合にも、もし裁判所が、「自白」やDNA鑑定の結果を無条件に信頼せず、それらが本当に確実な「有罪の証明」となりうるのかを慎重に吟味するという姿勢で審理に臨んでいたら、結果は異なったものとなっていたであろう。あるいは、少なくとも、最高裁での上告審において、弁護側が提出した「DNA型は一致しない」とする日大医学部教授の鑑定結果とそれをふまえた再鑑定申請を裁判所が真摯に受けとめていれば、菅家さんはもっと早くに自由の身となっていたであろう。最高裁は、これら弁護側提出の証拠や再鑑定申請には一顧も与えず、当初の不完全なDNA鑑定を証拠として用いることが許される、としたのであった。要するに、弁護側提出の証拠は信頼に値しないが捜査側提出のものは不完全であっても信頼できる、というわけである。そして、再審請求を棄却した宇都宮地裁決定(2008年2月13日)は、弁護側提出の前記日大教授の鑑定結果について「その証拠価値は極めて乏しい」とまで述べて、弁護側の主張は信頼できないという姿勢を露骨に示した。
 足利事件で浮き彫りになった問題は、捜査のあり方や科学捜査の評価といった点もあるが、私は、裁判所の姿勢の問題がきわめて重大だと思う。「捜査当局への絶大な信頼」を前提とした刑事裁判は、憲法の考え方にも反するし、なによりも刑事裁判として健全なものではない。捜査段階での証拠については、「まず疑ってかかる」くらいの姿勢で臨むべきなのである。1〜2ヶ月後には裁判員裁判が実際に始まる。裁判員として選ばれた人には、この「まず疑ってかかる」という姿勢を堅持して裁判に臨んでもらいたいと思う。

 

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