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憲法関連トピックス
連載『デジタル社会と憲法』をはじめるにあたって
~個人・社会・国家の関係を共に組み立て直す~
2022年5月23日

山本龍彦さん(慶應義塾大学法科大学院教授)


  産業構造の変化は、憲法の変化と無関係ではない。むしろ両者は密接に関連してきた。
18世紀後半にイギリスで始まった産業革命は、機械制工業を急速に発展させ、資本主義社会を導いたと説かれるが、決してそれだけではない。教科書風にいえば、この産業革命が経済的格差を含む多くの社会問題を生み、憲法の中に社会権規定や労働権規定が書き込まれた※1。産業構造の根本的な変化が、消極的国家観を前提とした自由国家的憲法から、積極的国家観を前提とした社会福祉国家的憲法への転換―「近代立憲主義」から「現代立憲主義」への転換―を導いたのである。
 いま、産業革命に勝るとも劣らない社会経済構造の根本的な変化が起きている。
 「デジタル化」である。政府はこれを、Society1.0(狩猟)、2.0(農耕)、3.0(工業)、4.0(情報)に続くSociety5.0の到来と位置づけている。それが夢見がちなものであるとしても、IoT、ビッグデータ、AI、ロボットといったテクノロジーが、サイバー空間とフィジカル(現実)空間を高度に融合させた社会経済システムを実現させることは間違いないだろう。
 我々の「歴史」を、世界における人間の中心性が失われていく過程として描くイタリアの哲学者ルチアーノ・フロリディは、「デジタル化」を、よりラディカルに、インフォスフィア(情報圏infosphere)のなかに情報有機体(inforgs)としての人間が埋め込まれ、同じインフォスフィアの住人たるAIらと混じり合う「第4の革命」として位置づけている。彼によれば、太陽を中心としたコペルニクスの宇宙論が、宇宙における人間の中心性を失わせ、我々の自己理解に関する「第1の革命」を、ダーウィンの進化論が、生物界における人間の中心性を失わせ、「第2の革命」を、フロイトの無意識論が、意識世界における人間の中心性―「我思う、故に我あり」―を失わせ、「第3の革命」を起こした。そしていま、チューリングのコンピュータ科学とそれに続くAI技術の飛躍的発展が、インフォスフィアにおける人間の中心性を失わせ、「第4の革命」を起こしつつあるというのである※2。

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 この「革命」期に憲法を「再論」しなければならない理由はたくさんある。
例えば、プライバシー。フロリディがいうように、我々はいまや情報ネットワークシステムと接続している状態が<自然>であり、そのデータは常に収集されていると言ってよい。そこで集積されたデータはAIへとフィードされ、絶えずその私的な側面が分析(プロファイリング)されてもいる。その分析結果は、今後、レコメンデーションやターゲティングを超えて、個人の人格的能力や社会的信用力の評価などに使われ、AIによる新たな階層社会を生む危険もあるだろう。実際、AI・アルゴリズムによるスコアリングは、企業の採用や融資といった場面だけでなく、警察の犯罪予防(シカゴ市など)や裁判所の量刑判断の場面(ウィスコンシン州など)でも用いられている。AI・アルゴリズムを用いた自動的・確率的な人間の選別は、プライバシーを超えて、個人の尊重や平等原則をも動揺させよう。
 それから、思想・良心の自由および自己決定権。デジタル化とともに発展しつつあるのが、心理学や脳神経学といった認知科学である。近年は、こうした科学の知見を応用して、人間の認知領域に介入して、その意思決定を操作しようという試みも進む。心理学では、かねてより、人間には反射的で自動的な、処理速度の速い思考モード(システム1)と、論理的で反省的な、処理速度の遅い思考モード(システム2)があると考えられてきたが、近年のマーケティング、さらにはプロパガンダ等の「情報戦」は、前者(システム1)に攻撃を加える認知作戦―「制脳権」(川口貴久)をめぐる争い―の様相を呈してきていると指摘される。
 例えば、短尺動画アプリTikTokは、縦スクロール画面に利用者の嗜好に合った動画を次々とレコメンドし、閲覧のために画面を指でスワイプさせるUX(ユーザー体験)を導入しているが、このUXは、利用者の認知プロセスに直接働きかけてドーパミンを誘発し、スワイプする指を止められなくする、中毒性の高い「究極のスロットマシーン」(アニー・ゴールドスミス)とか、「デジタル・コカイン」(ジョン・クーツィール)などと呼ばれる。このような「ドーパミン誘発型UX(dopamine-triggering UX)」※3は、システム1を刺激し、自動的な「反射」を強制的に引き出す典型であろう。
 アメリカの憲法・競争法学者のティム・ウーは、システム1に介入して個人のアテンション(関心)を無意識下で「奪う」ことは、「認知侵害(cognitive impairment)」に当たり、憲法が伝統的に保障してきた「思想の自由(liberty of thought)」を侵害すると述べている※4。認知領域の標的化は、思想・良心の自由や自己決定権の意味を再考し、鍛え直す必要性を強く示している※5。
 インターネットがもたらした情報過剰時代における表現の自由も、そのアップデートを必要としている。この自由は、我々が情報に飢えていた情報過少時代に形成されてきたもので、言論空間に供給する情報量を増やすという観点から発話者(送り手)を守ることに重きが置かれた。現代社会においてもその重要性が失われることはないが、同時に重要となるのは、情報の受け手を、フェイクニュースやフィルターバブル(AI等が利用者の選好や思考を分析し、それに合わない情報を排除した閉鎖的情報空間)の否定的影響から保護し、「さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会」(最大判平成元年3月8日民集43巻2号89頁)を確保することである。言論空間にはあらゆる表現を受け入れる雑多性と寛容さが必要なのは言うまでもないが、現状のままではフェイクが飛び交い、分断が加速化する混沌の空間となり、民主主義もその存在が危ぶまれよう。アメリカでは、「発話者からシステムへ(From Speakers to System)」との議論があるが、フェイクニュースやヘイト言説などによって汚染されない、健全でrobustな情報空間(システム)をいかにデザインできるかも、表現の自由の現代的課題(「知る自由」の客観法的な意味)と考えることもできるだろう※6。それには、言論空間の「新たな統治者」となったプラットフォーム事業者にいかなる責務を負わせるかも重要となる※7。

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 いま、プラットフォーム事業者を「新たな統治者」と述べたが、彼らの権力性は言論空間に限定されるものではない。例えば、メタバース(仮想現実)における「法」(コード)を策定するのも、またプラットフォーム事業者である。今後、多くの者がメタバースの世界に没入し、そこで生活するようになれば、その行動の大半を国家法ではなくプラットフォームが策定した「法」によって規律されることになる。もちろん、欧州連合(EU)が試みているように、国家がメタバースを含むサイバー空間にも「主権」を宣言し(「デジタル主権(Digital Sovereignty)」)、その空間を支配すれば、そこにも民主的に構成された国家法が及ぶことになる。
 しかし、果たしてそれは可能なのか。
 2021年2月、オーストラリア政府は、プラットフォームに対し、メディアのニュース使用について正当な対価をメディアに支払わせる立法を行おうとしたが、Facebook(現Meta)はこれに憤慨し、対抗措置として、オーストラリアのユーザーに対するすべてのニュース・コンテンツをブロックするなどした。これは、Facebookを情報摂取の重要な源泉としていたユーザーにとって死活問題である。政府は、この反抗を受けて、当初予定していた法案を修正し、プラットフォーム側へと法案内容を譲歩せざるをえなかった。この出来事は、グローバル権力としてのプラットフォームを、一つの国家が―これまでの企業と同じように―規制することが困難であることを意味している。プラットフォームは、「だったらあなたの国でサービスを停止しますよ」を殺し文句に、国家を恫喝できるほどの力を有しているとさえいえる。彼らは、憲法の私人間効力論がこれまで想定してきた「社会的権力」とはまったく次元の異なる存在なのである。
 また、彼らを垂直的に規制することができたとして、果たしてそれが妥当か、という問題もある。2021年1月、トランプ大統領と、彼に刺激されて連邦議会を襲撃したトランプ支持派らを―アカウント停止というかたちで―抑え込み、民主主義の維持に一役買ったのもまたプラットフォームであった。ウクライナ侵攻に踏み切ったロシアは、FacebookやYouTubeにより、プロパガンダの拡声器だった国営メディアをブロックされたことで、得意の情報戦を封殺され、その暴力を一定程度抑え込まれた。このように、プラットフォームを、国家による権力濫用や暴走を抑制する<対抗>権力として―権力分立の新たなアクターとして―セットさせておくべきだと考えるならば、国家‐プラットフォームを垂直的関係においてとらえるのではなく、水平的関係においてとらえるべきだということにもなろう※8。そこで求められるのは、従来の「規制」概念を超えた、プラットフォームに対する新たな統制メカニズムであり、プラットフォームの存在を前提とした憲法的統治構造の再編である。

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 以上、デジタル化を踏まえ、憲法論をアップデートないし再構築しなければならない理由をごく簡単に述べてきた。こうした問題意識は、少なくとも欧米では共有されている。例えば、2022年1月、欧州委員会は、デジタル時代に必要となる権利等を掲げた『デジタル時代のデジタル権利および原則に関する宣言(European Declaration on Digital Rights and Principles for the Digital Decade)』を公表した(2022年夏に欧州議会、理事会で採択予定)。同宣言は、(1)人間中心のデジタルトランスフォーメーション、(2)連帯と包摂、(3)選択の自由、(4)デジタル公共圏への参加、(5)安全・セキュリティ・エンパワーメント、(6)持続可能性の全6章から構成され、第2章で接続可能性(connectivity)の保障、第3章で自己決定権を保障するためのアルゴリズムの透明性確保、第4章で偽情報対策に関するプラットフォーム事業者の責務、第5章で自己情報コントロール権の保障が掲げられている。
 また、米国の科学技術政策局(the White House Office of Science & Technology Policy, OSTP)は、2021年10月に、『AI権利章典(the AI Bill of Rights)』の制定を提案した。ここでは、同局長らが、AI権利章典の必要性に関して述べた次の言葉を引用しておきたい。

 「憲法を承認した直後、アメリカ人は権利章典を採択した。それは、今まさに創造された強力な政府からの保護を目的とするものだった。そこでは表現・集会の自由、適正手続……などの権利が列挙された。我々は、その歴史を通じて、これらの諸権利を再解釈し、再確認し、周期的に拡大させてきた。この21世紀、我々は、今まさに創造された強力なテクノロジーからの保護を目的とする『権利章典』を必要としている」※9。

 日本も、こうした認識から逃れられないはずである。もし、デジタル化と憲法に関する議論をおざなりにすれば、テクノロジーによって立憲主義は簡単に乗り越えられてしまうだろう。そこでは法ではなくアルゴリズムが、個人よりもシステムが尊重されるからである。
Constitutionの動詞(constitute)は、ラテン語で、「共に(con)組み立てる(statuere)」ことを意味する。デジタル化による社会経済構造の根本的な変動を受けて、いま必要なのは、我々がその主権者的精神をもって、個人と社会と国家の関係―そこにはプラットフォームも入るかもしれない―を共に組み立て直すことではないだろうか。もちろんそれは、憲法改正を前提とするものではない。憲法学のこれまでの議論から学び、謙虚に、かつ大胆に、このデジタル時代に憲法の基本的諸価値が最善に実現される関係性とはどうあるべきかを構想する。そうした「憲法論」こそが重要なのである。
 この連載は、これからのデジタル社会の中心になっていくであろう若手研究者に、デジタル化と憲法を考えるにあたって必要なテーマを、瑞々しい感性をもって自由に論じてもらうことを目的としている。ぜひご期待いただきたい。

※1  山本龍彦編著『AIと憲法』(日本経済新聞出版社、2018年)4頁。
※2  ルチアーノ・フロリディ(春木良且ほか訳)『第四の革命』(新曜社、2017年)。
※3  Annie Goldsmith, ‘The Perfect Slot Machine’: TikTok’s Most Addictive Design Features Are Being Cloned Across the Internet, The Information, April 15, 2022.
※4  Tim Wu, Blind Spot: The Attention Economy and the Law, 82 ANTITRUST L. J. 771, 779-781(2019).
※5  小久保智淳「『認知過程の自由』研究序説 : 神経科学と憲法学」法学政治学論究126号(2020年)375頁。
※6  Jeremy K. Kessler & David E. Pozen, The Search for an Egalitarian First Amendment, 118 COLUM. L. REV. 1953(2018).
※7 Kate Klonick , The New Governors: The People, Rules, and Processes Governing Online Speech, 131 HARV. L. REV. 1598(2018).
※8  予備的な考察として、山本龍彦「プラットフォームと戦略的関係を結べ」Voice2020年6月号70頁以下、同「デジタル化と憲法」PHP「憲法」研究会『憲法論3.0―令和の時代の『この国のかたち』』(PHP総研、2022年)65頁以下参照。
※9 Americans Need a Bill of Rights for an AI-Powered World, Oct. 22, 2021, OSTP BLOG.

◆山本龍彦(やまもと たつひこ)さんのプロフィール

慶應義塾大学法科大学院教授。
慶應義塾大学法学部卒業。慶應義塾大学法学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学博士(法学)。慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI) 副所長。総務省「プラットフォームサービスに関する研究会」委員、経済産業省「データの越境移転に関する研究会」座長なども務める。主な著書に『憲法学のゆくえ』(日本評論社、共編著)、『おそろしいビッグデータ』(朝日新聞出版)、『AI と憲法』(日本経済新聞出版社)、『憲法学の現在地』(日本評論社、共編著)など。




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