本書は、日経メディカルOnline『色平哲郎「医のふるさと」』の連載記事を元に編集して纏めたもので、著者は、長野県佐久市にある、長野県厚生農業協同組合連合会傘下の佐久総合病院の医師である。
この佐久総合病院は、「農村医学」というものを日本で初めて確立し、国際的な学問にまで発展させた故・若月俊一医師の強いリーダーシップの下に築かれた病院であり、「農村医学のメッカ」とまで言われている。
1900年以降、互助の精神で生産支援と生活向上を目指すべく設立された、現在の農協の前身である「産業組合」は、大正デモクラシーの下、農民自身が担い手となっていった。農民たちは無医村、医師不足への切々たる思いから、組合で医師を招き、医療事業も経営するようになる。その草分けは島根県の組合だった。互いに支えあう協同組合方式の医療は、人々の暮らしが窮するほどに全国へ広がっていき、1944年、佐久総合病院が開設される。
1945年3月、若月医師が外科医長として赴任した当時、木造の小さな 20床の病院には、松岡院長と若い女医さんだけ、外科手術は長野市まで行かなければできず、入院患者は1人もいなかった。若月医師は、毎日朝から晩までメスを握り、入院患者も増えた。しかし、あまりにも多い手遅れ患者や農民の健康犠牲の精神を変革するため、出張診療をはじめ、診療の後は演劇や人形劇、コーラスなどで健康教育を行った。
農民に寄り添い、農薬中毒、農具による外傷、寄生虫病などの農村特有の疾病の研究すすめ、1952年には日本農村医学会が設立され、若月医師が会長となる。また、それまで蚕や米のお金が入った時に支払っていた医療費が、保険制度の改正で窓口徴収となってしまったことを契機に、病気を未然に防ぐ目的で、八千穂村の全村健康管理を開始する。
1988年には、医学・医療都市を意味する「メディコ・ポリス」を提起する。医療・福祉システムを整備し、教育研究施設を充実させ、住民の生計をも確保する。保険・医療・福祉を軸とした、自立的な地域自治共同体である。そして、病院を次々と近代化していき、人口1万数千の町に、「医療および文化活動をつうじ、住民の命と環境を守り、生きがいのある暮らしが実現できるような地域づくりと、国際保健医療への貢献」を目指す1,000床の病院を作り上げるという奇跡を成し遂げた。
本書では、若月イズムを継承し農村医療を実践する著者が、より良い「ケア」のために重要な視点を幅広い分野から提示し、そもそも医療とは何か、医者とは何か、「医の原点」を問いかけます。「ケア」は「キュア」よりも広い「ヒューマン・ケア」のことであり、本書で語られる事柄や心に響く「言葉」の数々は医学・医療の分野を超えて、人間が尊厳をもって生きていくために、ひいては、「人々の平和」のために重要な指摘であり、考え方でもある。
憲法を学び法曹になった者の責任と、医学を学び医師・医学者になった者の責任は似ている。加藤周一氏によると、「プロとは、ほんらい、数百年前の欧州中世の学術語・ラテン語に由来するプロフェッションのことで、先人から受け継いだ知識、技術を、『世俗の権威づけ』や、『金儲けの道具』にしない。そんなプライドとこだわりを自律的に保つ、国家から独立した団体自治を担う専門職能集団のこと。」なのだそう。
私たちは、「プロ」の良心に期待すると同時に、「プロ」が自由に活躍できる社会を作っていく必要があるのだろうと思う。そして、良いケアのために、私たちが良いケアを求めつつ、現状のケアを批判的に読み解く能力を身につけることが重要であるのと同様、良い政治、良い司法のために、わたしたちは制度政策、司法を批判的に読み解き、自ら動き出す必要がある。
もくじ
序 メディカルリテラシーとその先
I 若月俊一生誕 100周年の日に
II 終末期患者の「自分らしさ」とは?
III 今、思い返したい「農民とともに」の精神
IV 経済格差という「毒」
V 「人間らしさ」とはいったい何なのか
VI 認知症者の「パートナー」になれるか?
VII 「アルマアタ宣言」から40年
VIII 「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か
IX 目指せ! 看護師副院長
X コロナ禍で注視される医療従事者の「専門家自治」
あとがき
補遺
【書籍情報】2022年01月、あけび書房。著者は色平哲郎(JA長野厚生連・佐久総合病院 地域医療部 地域ケア科医長)。定価は2,200円(本体価格2,000円)。