1947年5月3日、日本の最高裁判所は法律の憲法適合性を審査する機能、すなわち「違憲審査権」を付与され(憲法81条)、爾来、憲法の最高法規性(同98条)を維持し、時には市民の憲法上の権利を保障する役割を担っています。「憲法の番人」とも称される当該憲法保障機能は、しかしながら、必ずしも発揮されていません。日本国憲法施行以来、法令を違憲と判断した判決が2022年2月時点でたった10件であることはその一つの証左といえるでしょう。
本稿は「違憲判断過小のより根本的原因と今後の改善策を探ろうとする」(161頁)ことを目的としています。著者はこれを「人の問題」と「制度の問題」に分けて論じています。
前者は端的に最高裁裁判官の任命、人事の問題に焦点を当てるものです。すなわち、アメリカ合衆国が当該人事において大統領のみならず議会(上院本会議)の関与がある一方、日本の場合は最高裁長官を内閣の指名に基づき天皇が任命、その他の裁判官を内閣が任命するという建付けになっている点が比較法の観点で指摘されます。本稿著者は、日本がアメリカの例に倣い、裁判官の指名において少なくとも国会における質疑応答がなされるべきで、とりわけ憲法保障という本質的な任務に照らして憲法の素養を試す内容であることが必須であると主張します。加えて、退職後の事後的な検証―在職中に憲法に関する見識の高さを示したか等―をし、場合によっては任命した内閣の政治責任を問うという徹底した検討等が提案されます。
後者は本稿の大変ユニークな点です。著者は「政府の憲法に反する活動によって広く政治社会の基本構造をゆがめる事態が生じた場合においてそれを正す」という最高裁判所に託された重要な使命として、「客観訴訟」を挙げます。やや専門的な話になりますが、裁判所法3条は「裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する」と規定し、「法律において特に定める権限」として選挙訴訟・住民訴訟(=客観訴訟)が存在します。これは、当事者の権利保護を争う(「法律上の争訟」)「主観訴訟」に対し、個人的利害関係のない者が公益擁護の観点から提訴できる裁判を意味します。
著者によれば、主観訴訟において最高裁が憲法保障の機能を発揮することに消極的である一方、法的には例外的な裁判として位置付けられる客観訴訟では「何故か果敢に違憲判断をしている」(167頁)。その理由を憲法の基本原理、すなわち市民社会と国家を規律する法という性格から読み解き、さらにこれまでの判例の蓄積や裁判官の態度等を考慮すれば、客観訴訟を法律により整備することで最高裁の憲法保障機能の活性化がなされるのではないか、という重要な問題提起をします。
本稿では、つとに指摘される日本国憲法における「司法消極主義」の内容をより具体的・原理的に紐解き、さらにはその活性化に向けたアプローチとして客観訴訟の法整備を中心とする提言がなされている点が特徴的です。「違憲であることが明白であるにもかかわらず、それが正されない現象」として本稿では憲法53条後段の規定に反する政府の行為、すなわち、野党議員の内閣に対する臨時国会召集の要求に応じないケース等が挙げられます。こうした権力担当者の行為を是正し、憲法秩序、ひいては私たち市民社会の法秩序の維持、権利保障の活性化にあたり、本稿は強力な憲法理論的素地を提供してくれます。
【書籍情報】岩波書店が発行する雑誌『世界』2022年2月号。【特集2】日本司法の "独自進化"に収載。執筆者は渋谷秀樹(立教大学名誉教授)。定価は935円(本体価格850円)。