本書は、憲法学者長谷部恭男・早稲田大学大学院法務研究科教授の戦争論です。
著者は、戦争とは「突き詰めれば国の社会契約、つまり相手国の憲法原理への攻撃を意味する」とジャン=ジャック・ルソーの言葉を現代流に言い換えて定義し、昨今の9条改憲をめぐる安易な議論を念頭に、「9条をめぐる問題は複雑で、条文を読み上げたり法の一般原則を唱えたりするだけで解決するほど簡単でないことを認識する必要がある。」「戦争とは何かを身をもって知らない人間は、まずは戦争の歴史、戦争とはどのようなものか、法によってどこまでコントロール可能か等を書物等を通じて勉強するしかない」と指摘します(p2)。本書ではまず第1章において、9条の背景にある思想や制定の経緯について、平和主義と正戦論の交錯をアウグスティヌスの正戦論、グロティウスの正戦論、転換点であるパリ不戦条約、不戦条約の文言を受けた日本国憲法という流れで解説し、憲法9条が個別的自衛権の行使を否定していないとする見解を示しています。
第2章では、根底的な価値観の対立の典型例としてイングランドをカトリック化しようとしたスペインの無敵艦隊の失敗とカトリック化を阻止しようとしたオランダの無敵艦隊の遠征を取り上げています。
第3章、第4章では、フランス革命に始まる戦略の根本的変革と、それが各国の政治体制にもたらした根本的な変動が描かれ、大衆の政治参加や福祉国家政策という現在当然だと考える国家の役割に関する観念が、戦争の遂行方法の転換からもたらされたものであることが明らかにされています。
第5章では、冷戦下の米ソ代理戦争の典型であるヨーム・キップール戦争(第四次中東戦争)が描かれます。第二次大戦以降で最大の戦車戦であり、戦争の機械化と技術の高度化が国家や政治のあり方に影響をもたらしたことが示されています。
第6章では、交戦規則の改定がカギとなったフォークランド紛争が取り上げられています。
第7章では、核兵器の戦略的使用が正当化され得るか否かという問題、そうした問題自体の意味を否定しようとする「戦争=地獄」理論、広島・長崎への原爆投下や冷戦の終結が憲法学にどのような意味をもっていたかなどが取り上げられています。
第8章、第9章では、朝鮮戦争の発端と経緯、それらが現在の日本にとって持つ意味、朝鮮戦争が第三次世界大戦を回避するための限定戦争として遂行されたこと、シヴィリアンコントロールの意義が問われた戦争であったことなどが詳しく描かれています。
第10章では、米西戦争を取り上げ、憲法原理を守るために遂行されるはずの戦争で水責めなど憲法原理を損なう手法がとられていたことなどが明らかにされています。
第11章では、対テロ戦争における法的議論、テロリズム概念の変容、ドローン狙撃やサイバー攻撃など近年の軍事技術に関わる諸問題を取り上げています。
第12章では、軍事行動にあたって政治指導者や兵士が直面する道徳的判断の特質を一般的な道徳的判断と比較しながら分析されています。規範は相互に衝突し、価値は時に比較不能であり、判断をAIやロボットに完全に置き換えるわけにいかないことも明らかにされています。
終章では、本書で論じられてきた事例や考え方から、日米安全保障条約やこれからの安全保障のためにどうすればよいのか、本書で紹介された事例や考え方から得られる教訓が語られています。「人々の暮らしの安全のためにこそ拵えた国家なのであれば、いざとなればルソーが提案するように、憲法原理を脱ぎ捨てた自分たちの生物学的な生存をはかるために、憲法原理を捨て去ることも必要となります。1945年8月に日本がしたことは、それでした。逆に国家の存亡がかかる場面でもないのに、憲法原理を安易に捨て去るようなことをするのは、道理が立ちません。」(p222)というのは正にその通りだと思います。
本書は、これからの安全保障のあり方を考える上で重要な視点を示してくれる一冊です。
目次
はしがき
第1章 平和主義VS.正戦論
―国際法の歴史から9条の問題を考える
第2章 イングランド制服の挫折と成功
―宗教の対立と立憲主義への道
第3章 『戦争と平和』とナポレオンの戦法
―国民動員国家の幕開け
第4章 ビスマルクとドイツ帝国
―兵の大量動員と国民国家の誕生
第5章 核戦争寸前だったヨーム・キップール戦争
―第二次世界大戦以降で最大の戦車戦
第6章 フォークランド紛争
―イギリスに薄氷の勝利をもたらした交戦規則の改定
第7章 核兵器と体制変動
―冷戦の終結が憲法学に問いかけるもの
第8章 朝鮮戦争を考える―その1
―なぜ連邦会議の承認なく戦争を始められたのか
第9章 朝鮮戦争を考える―その2
―揺らぐシヴィリアン・コントロール
第10章 憲法原理は守られているか
―アメリカ帝国主義の憂鬱
第11章 アメリカの戦争に法はあるか
―テロとの戦い、ドローン狙撃、サイバー攻撃
第12章 戦争と道徳的ディレンマ
―決断と悔恨の狭間で
終章 憲法と戦争の密接な関係
【書籍情報】2020年7月、文藝春秋。著者は長谷部恭男。価格は1600円+税。