本書は、2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で発生、重度の知的障害者ら19人が殺害され、26人が重軽傷を負った「やまゆり園事件」を4年かけて追いかけたドキュメントです。
本事件においては、事件の凶悪性もさることながら、本園の元職員(植松聖・当時26歳)の犯行であったこと、そしてそこには「障害者は生きるに値しない」、「意思疎通が取れない方は社会にとって迷惑になっていると思った」という驚くべき動機が潜伏していたことなどが社会を震撼させました。
「やまゆり園事件」の裁判(横浜地裁)は2020年1月8日に初公判、同年3月16日に死刑判決という驚くべきスピードで展開しました。一般的には、植松氏の死刑という「サンクション」によって本事件が一定程度の「解決」をみたとされているかもしれません。しかし、本事件の本質的問題点はまったくの「未解決」と言えます。すなわち、26歳の青年をこうした思想・行動へと駆り立てたものの正体は今も明らかにされていません。そして、本裁判の被害者の一部を除き匿名のまま裁判が進行したこと、彼の凶悪的行為を支持する言説がインターネットや拘置所にいる彼に宛てた手紙の中に数多くみられたという事実など、社会全体の問題として引き受けるべき事柄が不問に付されたままなのです。こうした言説や行動を生み出した背景こそ問われるべきでした。
本書は、神奈川新聞取材班による数多くの植松氏との接見の記録、関係者へのインタュー、専門家の知見などにより、本件がもたらした普遍的かつ深刻な課題をあぶりだしています。「やまゆり園事件」は一回切りの特殊な事件ではなく、社会の病理の縮図的側面を有する問題を提起しているのです。
本書の「おわりに」には、以下のように記されています。「障害者を無意識に差別する『優生思想』は誰の心の内にも潜んでいないか、命は本当に『平等』なのか、真の『共生社会』実現には何が必要か―。そうした『問い』を常に意識し、取材に当たってきた。その答えはまだ、見いだせていない。」。本件を風化させないため、そして再発を防止するためには、当該「問い」に社会全体が真摯に向き合い続けるという、地道かつ本質的な作業が欠かせないのではないでしょうか。
目次
第1章 2016年7月26日
未明の襲撃/伏せられた実名と19人の人柄/拘置所から届いた手記とイラスト
第2章 植松聖という人間
植松死刑囚の生い立ち/アクリル板越しに見た素顔/遺族がぶつけた思い/「被告を死刑とする」
第3章 匿名裁判
記号になった被害者/実名の意味/19人の生きた証し
第4章 優生思想
「生きるに値しない命」という思想/強制不妊とやまゆり園事件/能力主義の陰で/死刑と植松の命
第5章 共に生きる
被害者はいま/ある施設長の告白/揺れるやまゆり園/訪問の家の実践/〝成就〟した反対運動/分けない教育/学校は変われるか/共生の学び舎/呼吸器の子「地域で学びたい」/言葉で意思疎通できなくても/横田弘とやまゆり園事件
終章 「分ける社会」を変える
【書籍情報】2020年7月、幻冬舎。著者は神奈川新聞取材班。定価は1800円+税。