戦時中、沖縄県八重山諸島の島民たち3600人以上が、熱病・マラリアで命を落とした事実は、あまり知られていません。なかでも最も被害の深刻であった島が波照間島です。米軍が上陸せず地上戦もなかった波照間島では、直接的な戦闘による犠牲者はゼロでした。しかし、1945年、波照間島の島民は人口の3分の1に当たる552人がマラリアで病死したのです。これは決して「不運なアクシデント」ではありません。島民が高熱で悶え苦しみ死んでいったのは、日本軍の命令によってマラリアが蔓延する西表島のジャングル地帯へと強制移住させられたためでした。
本書は、沖縄「マラリア戦争」の真相を追った、著者の大学院生時代からの10年にわたる記録です(「はじめに」参照)。なぜマラリアが蔓延していると知りながら、日本軍は島民をジャングル地帯へと強制的に移住させたのか。生き延びた人々は何を想うのか。そして、凄惨な「マラリア戦争」が現代に問いかけるものは何か。真相に少しでも近づくため、著者は波照間島に赴き、「マラリア戦争」を体験して家族を喪った島民と「家族」としてともに生活を送ります(第2章参照)。サトウキビ畑での農作業、「コーヒー係」として責任を負う毎日の朝食、共に歌い、踊り、笑い、泣き、「苦楽を共に」する日々。それでも、マラリアの話になると口を重たくする「おばあ」。「マラリア戦争」をめぐっては、半世紀以上を経過してもなお言語化しえない、「語れない記憶」を個々の体験者は有しているのです。
数多くの一次資料、取材、証言を基に、著者は「もうひとつの沖縄戦」を丹念に追求し、その実態を明らかにしています。強制移住の背景となった日本政府の軍事的思惑、個々の島民たちが語った/語らなかった体験記、戦後の「政治的解決」が一切の本質的解決を意味していないことなど、その詳細については本書を通じて読者の方々自身でぜひ知ってもらいたいと思います。
共に生活するなか、「戦争マラリア」について質問・取材をする著者に対し、波照間島の「おばあ」が「あんたには分からない」という言葉を投げかけます。戦争体験に触れ、これに想像力を全力で馳せたとしても、体験者の絶対的な痛みと「記憶」を真の意味で知ることはできない。この点、著者は本書で以下のように記しています。「『戦争を知らない世代』である私自身の限界を知った。心がじくじくと痛かった。でも、この痛みを忘れたくないと思った。『知る』という行為の限界を前にした時に感じた歯がゆさ、寂しさ、悲しみ、何と表現したらいいのかさえ分からない感情のうねりを、『分からない』ということを、大事にしたいと思った。」(103頁)。著者のこの強い想いは、「戦争マラリア」を「学び、知った者の責任」と相まって、沖縄戦の背後で展開された「秘密戦」を明らかにしたドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』へと結実していきます。
沖縄戦から75年。日本は再軍備へと突き進んでいます。そして沖縄県では、米軍基地、自衛隊配備計画をめぐりまたも住民同士が分断されています。「戦争マラリア」を生き抜いた島民は、いまもなお「語れぬ記憶」とともに「また戦争をするのか」という不安と恐怖のなかで生活を送っています。著者は「戦争マラリアの歴史が示す『国家による民衆の犠牲』が(中略)今この瞬間にも、起きている気がしてならな」いとし、「戦争マラリア」がまだ終わってはいないと結論して本書を終えています(「最終章」参照)。著者のこの言葉を、同時代人の私たちは重く受け止めなければなりません。
*付記…本書は2020年5月5日の第7回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」の選考会において、奨励賞を受賞しました。
目次
はじめに―もうひとつの沖縄戦
1章 住民3600人の死の真相を追って(2009年夏~2010年夏 石垣島)
2章 島で暮らしながら撮る(2010年冬~2011年夏 波照間島)
3章 戦争マラリアはまだ終わっていない(2017~2018年 東京、米国、波照間島、石垣島)
最終章 なぜ今、戦争マラリアなのか(2018年 与那国島、石垣島、米国)
おわりに―みんなが生きてきた証を残す(2020年 米国)
【書籍情報】2020年2月、あけび書房。著者は大矢英代。定価は1600円+税。
【関連HP:今週の一言・書籍・論文】
今週の一言「沖縄『戦争マラリア』が私たちに問うもの
〜住民犠牲の歴史から考えるコロナウイルス感染拡大と危険性〜 」
大矢英代さん(ジャーナリスト・ドキュメンタリー映画監督)