憲法学または日常において主題として取り上げられる「憲法制定」や「憲法改正」ではなく、「憲法解釈」をめぐる公権力の在り方が、本書の主題となっています。本書に収められているのは、各種の著書や『法律時報』、『法学セミナー』などの法学系雑誌における著者による論考です。初出をそれぞれ異にしてはいるものの、一冊の単著である本書においては著者の一貫した執拗かつ鋭い問題意識と読者への配慮が表れています。
「解釈という権力」において、早速、そもそもなぜ「憲法解釈」をめぐる「権力」を主題化するべきであるのかが述べられています。一般に、日本の憲法学では憲法についての有権解釈機関が最高裁判所であることが承認されてきましたが、著者は「憲法解釈権力は…司法過程にのみ発現するものではな」く、これを「政治過程全般にわたって姿を現」すものとして再定位し、憲法の意味に変更を加えるなどを不断に行っていると断じています(4-5頁)。著者によれば、「憲法解釈権力」は本来支払うべき憲法改正などの「政治的コスト」を回避しながら、実質的には憲法改正と同等の効果をもたらし得る力を持ちます。そうであれば、当該権力は「一国の憲法秩序の死命を制する力にさえなる」(5頁)のであって、その行使の様態について検討することが強く求められるのです。
以降の内容は上記の問題意識を基礎にすえつつ、「権力行使」の位相を緻密に分類し、それぞれ詳細な検討がなされています。たとえば、「憲法の番人」はだれか?内閣が憲法解釈を行うことは可能か?など、一見「自明」である事柄について、これらを内側から問題提起的に鮮やかに切り崩し、問題の本質的所在を明晰に浮かび上がらせ、再構成しています。現政権が、「集団的自衛権の行使は違憲」という長年にわたる政府見解を「解釈」を通じて強引に変更したことは記憶に新しいと思いますが、そもそも当該問題について政府の行為や言動の何が問題であったのかを多くの一次資料や研究を基に指摘し、「憲法解釈権力」という概念を軸に現在の公権力の在り様を批判的に検討しています。
公権力の各担当者が相互に強い緊張関係にあること、そしてかれらが憲法に縛られることの意味を追求した、知的刺激に満ちた本書を要約することは、かえってその価値を減ずる危険性をはらむともいえます。それくらい本書は精巧を極めているのです。したがって、何よりも読者の方々自身で熟読することを強くすすめます。
近代立憲主義を採用する日本国憲法のもと、これに拘束されるべき「権力」は、本来、内在的困難を抱え、人類の知恵ともいうべき多くの約束事に服しているはずです。それにもかかわらず、かれらがこうした事柄に対して極めて無自覚かつ無感覚である状況において、外在的な批判にとどまらず、「憲法解釈権力」を切り口に政府の行為を冷静かつ痛烈に批判する本書は、今度の政府の行為に目を光らせるにあたって必読の一冊といえるでしょう。
目次
序
I 解釈という権力
1 憲法を解釈する権力
II 権力の叡智
2 「憲法の番人」に関する考察
3 九条訴訟という錯綜体
III 権力に応じた義務
4 《通過》の思想家 サンフォード・レヴィンソンの憲法理論
5 裁判官の責任とは何か
6 法学原論の見えない系譜―[書評]小粥太郎著『民法学の行方』
7 立憲主義のゲーム
IV 権力者の錯覚
8 「人事.」を尽くして我意に任す
9 憲法解釈権力―その不在に関する考察
10 内閣の憲法解釈
11 権力者の自己言及
12 「最高権力者」の自己言及
13 天皇の憲法解釈
【書籍情報】2020年2月、勁草書房。著者は蟻川恒正。定価は3000円+税。