今年の5月3日は、憲法施行70年の記念日である。この70年間、日本国民は、とにもかくにも、憲法の掲げる人権、平和、民主主義という価値をこの国に定着させ発展させようと努力してきた。しかし、安倍極右政権が続くいま、これらの価値はことごとくひっくり返されようとしている。「集団的自衛権」と「安保法制」は、アメリカ・トランプ政権との見事な共演によってつくり出された「北朝鮮危機」の演出で、日本が戦闘を行う現実的な可能性を生み出しているし、特定秘密保護法や共謀罪法は、政権に不都合な情報は隠し、他方で、政府のやることに反対するなど政権に危険を及ぼしそうな国民を常に監視の対象にしようとするものである(共謀罪法案の審議の中で、政府は「一般の人々が対象になることはない」と言っているが、そこでいう「一般の人」とは、政府のやることに対してとくに異議を唱えようとはしない人たちのことであり、何かの反対運動をするような人たちは「一般の人」ではないのである)。そうして、彼らは「大日本帝国」の復活という「夢」の実現に向かって、露骨に権力を振るっているのである。
日本国憲法70年の歴史の中で、いまほど、旧憲法体制を理想としそこに引き戻そうとする極右勢力が大手を振って表にしゃしゃり出ている時代はなかった。単に政治の場でというだけでなく、社会のいろいろな場面で、そういう勢力が増長している。それは、志を同じくする安倍首相の「一強政治」によって、きわめて強固で盤石な権力的「後ろ盾」ができたからである。「森友学園」問題における「忖度」云々は、まさにそれを象徴するものである。こういう形で日本国憲法をどんどんどんどん骨抜きにしていき、その挙げ句に全面的な明文改憲、というのが彼らの目的なのであろう。このままの政治が続いていけば、日本国憲法の時代は、つぎの10年を待たずして終わってしまうことになりかねない。
そういうことにならないために、そうさせないために、私たちは、「この憲法を確定」した主権者として(憲法前文1項)、いま一度この憲法の価値と理念を確認し、それに真正面から向き合うことが必要である。それなくして「ムード」や「空気」で憲法の価値・理念をないがしろにし、あるいは憲法そのものを変えてしまうならば、それは将来世代への大きな罪である。
「施行70年」ということに格別の意味があるわけではない。「69年」であっても「71年」であっても、そのほか何年であっても、その意味は同じである。ただ、人は、いついつもそのことばかりを考えているわけにはいかないから、「70年」とか「60年」とか、そういう切りのいい数字を「節目」として、それを考えるきっかけとすることには、十分意味がある。その「節目」に、国民一人ひとりが日本国憲法の価値と理念をあらためて確認し、憲法に正面から向き合うための、一つの素材を提供しようという意図で、当研究所は、このたび「日本国憲法の核心」と題する書物を出版した(日本評論社)。
本書「序章」は、私と森英樹氏との対談で、「日本国憲法の核心をみる」というタイトルになっているが、中身はほとんどが安倍政権への対抗論理である。森氏と私との微妙な違いもあらわれていると思うが、安倍や極右勢力にいつまでも権力を握らせておいてはこの国が危ないという私たちの危機意識が、そのまま表れたものだと思っていただきたい。そして、この危機意識は、本書執筆者全員の共通認識でもあると思う。そういう認識のうえに、以下、第一章「『国民が国の主権者である』とはどういうことか」(木下智史氏)、第二章「憲法九条の深意とは何か」(水島朝穂氏)、第三章「沖縄の自治への闘争から考える立憲地方自治」(白藤博行氏)、第四章「特定秘密保護法と表現の自由」(村井敏邦氏)、第五章「憲法『改正』と軍事裁判所」(白取祐司氏)、第六章「憲法『改正』問題への基本的視点」(浦部法穂)、第七章「『天皇は、象徴である』という憲法規定の核心的意味」(森英樹氏)、終章「主権者が主権者として権利を行使するとき」(伊藤真氏)の8点の論稿を収めている。いずれも、基礎的なことから現実の動きまでを分かりやすく分析・解説した内容になっており、一人ひとりが「真摯に憲法に向き合う」(本書はしがき)ための素材の一つとして役に立ちうるものになっていると思う。「我田引水」? かもしれないが、「施行70年」の節目の日に、是非手にとって目を通していただければと思う。
【書籍情報】
『日本国憲法の核心』
2017年5月に日本評論社から発行。編者は法学館憲法研究所。定価は1700円+税。
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