布施辰治生誕130年、そして韓国併合100年という節目の今年、朝鮮独立運動・朝鮮民衆の権利擁護のとりくみとのかかわりの深かった弁護士布施辰治の活躍に、大きな関心が寄せられています。ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」が完成、上映運動も始まっています。辰治が、敗戦直後に「憲法改正私案」「朝鮮建国憲法草案私稿」を起草していたことも、再評価されつつあります。 今回ご紹介する本書は、布施辰治の令息・布施柑治氏が1963年、布施辰治没後10年を経て岩波書店より刊行され、それ以来のロングセラー。本書は、 T F氏の生涯 U F弁護士の懲戒裁判 と構成され、前半で布施辰治の個性的な生涯が語られ、後半では辰治が共産党弾圧事件にかかわっての弁護活動を理由に懲戒裁判にかけられた事件の詳細が当時の記録に基づいて綴られています。 前半部からは、郷里蛇田村で学んだこと、農民の子として泥にまみれて働いた経験、トルストイの影響などから、“自己の良心と信念”を決して曲げぬ布施辰治の思想の骨格がかたちづくられていったことが伝わってきます。また弁護士になってから、辰治が精力的にかかわった事件・運動の多さ、幅の広さには改めて驚かされます。未決囚の刑事弁護、独自の普選運動、米騒動・小作争議・労働争議、山の入会権の擁護、朝鮮独立運動支援、借家人同盟の組織、関東大震災における朝鮮人虐殺にからむ朴烈・金子文子事件の弁護、共産党弾圧事件の弁護、戦後はメーデー事件、三鷹事件、松川事件……。 辰治自身は、社会主義思想にもとづいてこれらの活動を行ったわけではありません。しかし戦前、治安維持法下の日本にあって権力は辰治に「社会主義弁護士」とレッテルを貼り、それは「最も危険な思想の持ち主」と見做すことであり、即ち「死をも辞さぬ覚悟」を強いることを意味しました。 それは後半部に詳述される、弁護士懲戒裁判に如実に現れています。記録を読む限り権力の側は、布施辰治に対し
“初めに(弁護士資格剥奪の)結論ありき”の姿勢でのぞんだかに思われます。対する辰治とその弁護団は、一貫して“事実と道理にのみ基づいて”判断することを裁判所に求めていきます。この法廷活動における辰治と弁護団の姿勢は、明治憲法下、人権が「法律ノ範囲内」という留保付でしか認められていなかった時代に、あらん限りの知恵と法廷技術を尽くして権利擁護をはかるものであり、今なお、法曹界と将来法曹を志す人たちへの貴重なメッセージとしての意義を失っていません。が、結局辰治は、弁護士資格剥奪の判決を受け、さらに治安維持法違反事件有罪判決を下され千葉刑務所に下獄。1年余の獄中生活を強いられます。その後、三男杜生氏がやはり治安維持法違反容疑で京都刑務所に投獄され、獄中病死の報を受けるという辛酸を味わうのです。 「生くべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」 布施辰治の遺したものから、私たちが学ぶべきことは、まだまだたくさんあります。 先に当欄でご紹介した辰治のお孫さんである大石進氏の著書、書籍『弁護士 布施辰治』とあわせ読むことをお薦めします。 【書籍情報】布施柑治著 岩波新書 1963年3月刊行 |