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映画『レニ』(原題:DIE MACHT DER BILDER: LENI RIEFENSTAHL/英語題名:THE WONDERFUL HORRIBLE LIFE OF LENI RIEFENSTAHL)


花崎 哲さん(憲法を考える映画の会)
                                                           


 このところ、ナチスドイツの支配に、大なり小なり加担した、あるいは貢献した人物にインタビューし、ある意味でその責任を問うようなドキュメンタリー映画をいくつか続けてみる機会がありました。
 『ゲッペルスと私』(ナチの宣伝相として活躍したゲッペルスの元で秘書をした女性)、『スペシャリスト-自覚なき殺戮者-』(ユダヤ人の収容所への移送を担当した親衛隊幹部アイヒマンの裁判記録)などです。
 そしてこの映画『レニ』も問題意識としては、その線上にあるものかなと思いました。しかし彼女の作品がそうであったように、その人生も格段に華やかなものに見えてしまいました。

 36年ベルリン・オリンピックの模様を記録した"オリンピア二部作"「民族の祭典」と「美の祭典」を発表するなど、その卓越した映像感覚ゆえ戦後ナチ協力者として収容された経験を持つドイツの女流監督レニ・リーフェンシュタール。90歳の彼女自身へのインタビューや未公開映像などを挿入し、才能を持ちながらも時代に翻弄された悲運の天才レニの実態に迫る。(Yahoo!映画/映画『レニ』作品解説より)

 これらの映画を見ていると、彼らがナチの活動を、その活動の趣旨を知って、賛同して自覚的自発的に仕事や創作をしていたというよりも、そういう機会を与えられ、それに応えようとして、自分の能力が認められることがうれしくて、その仕事を忠実に励んでいた、あるいは創作に熱中したというふうに見えてきます。
 もちろん、だからといって、結果的に起きてしまったことに対して個人的な責任がないということではありません。しかしそこには「命令されて嫌々やった」というより、認められたこと、自分の能力が発揮される喜びが感じられます。

 とくにこの映画『レニ』では、ナチス隆盛期の党大会を描いた『意志の勝利』やベルリン・オリンピックを記録した『民族の祭典』『美の祭典』がどのように撮影され、映画として完成度の高いものにしていったかが、詳しく本人の口から語られます。
 それらはひとつひとつのスポーツ、その中で肉体の躍動を美しく見せるためには、どのように画期的で、的確な撮影手法が使われたかが、納得がいくように紹介されます。ハイスピード撮影、水中撮影、クレーン(エレベーターによる垂直移動撮影)などを駆使して、「なるほどこのようにして撮影されたことによって、ひとつひとつの画面がドキドキしてしまうような躍動感あふれる映像になったのか」と種明かしをされるように納得してしまいます。しかもそれらはリーフェンシュタールが映画表現の上で初めて開発したものです。単に「奇をてらった」ものではなく、適材適所、その表現はこれしかないというような的確な手法なのです。それらを語る90歳のリーフェンシュタールもいかにも誇らしげで、話すことに熱がこもっています。

 それらは、結果的にナチスの手先になって、ドイツ国民を扇動し、それがユダヤ人大虐殺に結びついていきます。リーフェンシュタールは、そのことを「知らなかった」が、深く反省している、ということはわかります。そしてこのドキュメンタリー映画の作り手も、とくにそこの部分をしつこく問い続けてはいます。しかしこの映画から伝わってくるものは、そうした悔恨というより、飽くなき美意識を実現させようとする若いリーフェンシュタールの魅力のほうのようです。

 多くのコマーシャルを手がける作り手もまた、クライアントの依頼に応え、認められようとして、その期待に応える効果のあるものを作り上げるかに心血を注ぎます。
 そこでは、表現していくものが何であるのか、その結果がどのような社会を導くものなのか、あるいは作ったものが及ぼす影響に対してどのように責任を取れるのかとは考えません。
 今の社会の中で、仕事でも「ちょっと変だな」と思いながらも「仕事だから」とか「生活のために」と言い訳して目をつぶっていることはないでしょうか。
 結果的に、映像製作や報道の場などでも、ひとつひとつは些細なことであっても、そうした鈍感さが積み重なっていって、原発の危険を隠して安全をPRしたり、戦争に加担して人を戦場に送り込むようなものを喜々としてつくってしまうのではないでしょうか。
 かつてそうであったように、またこれからもそうした力が大きく働いていくように思います。 
 オリンピックに向けて大量のコマーシャルが消費され、「広告は、すべての人の意識を変えていく力をもっている」と言わんばかりの傲慢さです。
 評価されたことに、うぬぼれて、そのような利益追求にだけに自分の能力が使われていくだけで良いのかどうか、自分のやってきたことにも照らし合わせ、これからやっていくことについても、いろいろとこの映画から考えさせられました。

 【スタッフ】
監督: レイ・ミュラー
脚本 レイ・ミュラー
製作 Jacques de Clercq
Dimitri de Clercq
Waldemar Januzczak
Hans Peter Kochenrath
Hans-Jurgen Panitz
出演者 レニ・ルーフェンシュタール
音楽 Ulrich Bassenge Wolfgang Neumann
撮影 Michel Baudour
Walter A. Franke
Ulrich Janchen Jurgen Martin
編集 Vera Dubsikova
Beate Koster

製作会社 Arte
Channel Four Films
Nomad Films/Omega Film GmbH/ZDF/Kino
配給 パンドラ

1993年/ドイツ映画/188分


 
                                                           


<「シネマDE憲法」関連情報>

「憲法を知ることは、リアルと普遍の間を何度でも行き来すること——『映画で学ぶ憲法』」志田陽子さん(武蔵野美術大学造形学部教授)



 

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