ひとりの学生の死から始まり、もうひとりの学生の死で終わる映画です。しかし、1987年の韓国の民主化運動は、ここから目に見える形で韓国を変えていくことになります。
1987年1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。南営洞警察のパク所長は北分子を徹底的に排除するべく、取り調べを日ごとに激化させていた。そんな中、行き過ぎた取り調べによってソウル大学の学生が死亡してしまう。警察は隠蔽のため遺体の火葬を申請するが、違和感を抱いたチェ検事は検死解剖を命じ、拷問致死だったことが判明。さらに、政府が取り調べ担当刑事2人の逮捕だけで事件を終わらせようとしていることに気づいた新聞記者や刑務所看守らは、真実を公表するべく奔走する。また、殺された大学生の仲間たちも立ち上がり、事態は韓国全土を巻き込む民主化闘争へと展開していく。(映画.com「1987、ある闘いの真実」より転載)
1987年、私たちはその同時代を生きていたはずです。しかも映画の中に描かれる彼らと同世代でした。お隣の韓国のことの何を知っていたのだろう、何を知らされていなかったのだろう、知ろうともしていなかったのだろう、ということを痛感させられました。
その後も何度もあった韓国や中国の市民の運動やその弾圧のことも聞いていながら知ろうともしていなかった自分たちにあらためて気づかされます。そしてあらためて「もっと知りたい」という気持ちを引き起こさせる映画です。
「われわれに残されている武器は真実のみです」
真実を隠そうとする当局、公務員たち、政治家。法律はあってなきが如き政治状況。これもいま私たちの身の回りで起きていることを想像させます。拷問とか弾圧、鎮圧のための暴力は表立った形でないにしても、同じことはこの国でも起きているし、人も死んでいます。拷問だって、さらにひどいものがこの国にもありました。捜査中の暴力は、今も目に見えない形でうやむやにされているものが充分にあり得ます。
捜査暴力自体「あまりにもひどすぎる、こんなことが許されるものか」と思うとともに、そうした事実を隠蔽し、見せない、知らせない、つぶしにかかる脅しや暴力がひどいものです。それが組織的に行われ、それを抑えるものはありません。いや、それをさせているものが国家権力そのものです。軍政下にある国においては、どこの国でもこのような暴力と抑圧が平然と行われてきたということでしょうか。
明らかにできない、手を触れてはならないという隠蔽、暗部の存在がどんなに小さなものでも、それを放置することが取り返しのつかないものになることをあらためて感じます。そして、そうしたことを耳にしても、自分に関わらない限り知らない振りをする、それがファシズムや軍事政権の暴力を許してきたのだとあらためて思います。
この映画を作り得た今の韓国の政治状況、社会状況を改めて感じざるを得ません。パンフレットの監督インタビューに「ろうそくを灯してデモに参加するような気持で映画に出演してくれた」とあります。そして映画は、韓国の多くに人たちが「このようなことを繰り返してはならない」と共感して、支えられ、また作り続けられていくのだろうと思います。
ついこの間、31年前、私たちも知っているはずのお隣の国で起きた出来事。映画の終わりの方では画面が、この事件、民主化運動のデモを伝える実際のニュースフィルムに成り代わります。映画の中のことがほんとうのことだったことをあらためて思います。多くの犠牲を払って、政治と社会を変えていったことに改めて痛切なものを感じます。デモに倒れるニュースフィルムの学生の姿に、ふと、映画『白バラの祈り』のエンドロールで、ナチによって処刑されたゾフィー・ショル本人の写真が映し出された時の衝撃を思い出しました。
【スタッフ】
監督:チャン・ジュナン
撮影:キム・ウヒョン
編集:ヤン・ジンモ
音楽:キム・テソン
【キャスト】
キム・ユンソク(パク治安本部所長)
ハ・ジョンウ(チェ検事・ソウル地検公安部長)
ユ・ヘジン(永登浦刑務所看守ハン・ビョンヨン)
キム・テリ(女子大生ヨニ)
ソン・ギョング(民主化運動家キム・ジョンナム)
イ・ヒジュン(新聞記者ユン・サンサム)
パク・ヒスン(チョ刑事)
カン・ドンウォン(大学生イ・ハニョル)
ヨ・ジング(ソウル大学生パク・ジョンチョル)
配給:ツイン
2017年制作/韓国映画/129分
オフィシャルサイト:http://1987arutatakai-movie.com/
予告編:https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=dkx7bd6EDPk
上映情報:シネマート新宿ほか全国上映中
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