IS(イスラム国)が、盛んにソーシャルメディアを利用して人質や抵抗するものなどの公開処刑など残虐な映像を流し、それを宣伝や脅しの道具として使っていることは聞いていても、それらを見ようとはしませんでした。自分の中にある「そうしたものを見たい」とする好奇心に似た気持ちに蓋をして、避けてきたからです。それらを見ることがIS(イスラム国)の暴虐な行為を認め、結果的に加担してしまうようにも思えたのです。
だから、それに対抗して、ISに抵抗する人々の中からもソーシャルメディアの画像や動画を使って、IS(イスラム国)の「宣伝」が偽りであること、より悲惨な市民の殺戮が繰り広げられていることを訴える発信の活動が行われてきたことを知りませんでした
この映画は、IS(イスラム国)が首都と定めたラッカで、あるいはトルコやドイツといった国外で、ソーシャルメディアを使ってその暴虐な弾圧に抵抗し、闘っている市民、学生、若者、「ラッカは静かに虐殺されている」(略称RBSS)グループの活動を描いたドキュメンタリーです。
ISがその「首都」で行なってきた恐怖政治、その残酷さ、残忍さ、非道さはここで話すまでもないと思います。さらにそれらを公開することによって、人々を恐怖に陥れ、反抗する気持ちを削いでいきます。そうした事実を命がけで世界に報道しようとする外国人ジャーナリストを捕らえ、なぶり殺しにします。
いまだにそんなことが公然と行われていたことが信じられません。それがまたソーシャルメディアという形で拡げられたところに、そこに映っているものは、事実であると強引に突きつけられます。虚構の作りなのではないかと考えたくなる、認めたくない気持ちの両面があって、私たちはどうとらえたら良いのか、混乱します。
このドキュメンタリーは、紛争の中で宣伝のあるいは抵抗の武器として活用され、実に多くの世界中の人が見ている「ソーシャルメディアそのもの」について考えさせます。
RBSSのメンバーは、国内組のメンバーはもちろん、トルコやドイツに逃れても、日常的にISの襲撃に怯えながら、ラッカから送られてくるその実情の映像を世界中に発信し続けます。
それもあえてインターネットの画面に顔を出すことを拒みません。危険を起こしても、顔を出して、ソーシャルメディアの影に隠れず自分たちは実在する人間であり、ラッカの出身者だと世界に示す、オンライン上での匿名性を隠れ蓑にしない、公表して闘うことを選びました。そうしなければならないと考えるところに、またそれが一番力となるメッセージの伝え方だとするところに彼らの置かれている悲痛な状況と彼ら自身の使命への意志の強さ、何が力をもつかをとらえている強さを感じます。
それでも彼らの「日常的な」おびえの激しさはただ事でありません。実の父が見せしめに殺される画面をISからの画像で見るときの悲痛さ。それをカメラはとらえていきます。
ISやRBSSの映像そのものの衝撃は計り知れないものがありますが、同時にそれらを発信する人たちを描くこのドキュメンタリーそのものも、私たちに、いまのような時代の中でいずれにしても映像とメディアが、ジャーナリズムがそもそもなんであるか、自分にとってどうしたものであるか、を考えさせるものです。
【スタッフ】
監督・製作 マシュー・ハイネマン
製作総指揮 アレックス・ギブニー モリートンプソン ステイシー・オフマン ロバート・シェアナウ
撮影 マシュー・ハイネマン
編集 マシュー・ハマチェク パックス・ワッサーマン マシュー・ハイネマン
音楽 H・スコット・サリーナス ジャクソン・グリーンバーグ
配給:アップリンク
2017年/アメリカ/92分
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/raqqa/
予告編:https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=pziNnTJbtsk
アップリンク渋谷、ポレポレ東中野で公開中、横浜シネマ林で5月5日から公開
6月全国で公開予定
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