学生たちが一年間かけて、カレーライスの材料を一から作り、カレーライスを作り上げる映画です。
何でそんなことを始めたのか、その計画を学生たちに持ちかけた指導のゼミの先生、関野吉晴さんは探検家です。世界中を探検して歩き、とくに南米からアメリカ大陸を北上、さらにユーラシア大陸を横断してアフリカ南端に至る三大陸の「探検」は、人類の歩んだ道を自分の体で追体験するものでした。
そして関野さんは、世界を知るために探検することから、一定の土地に留まって足元を見つめることに目を向けるようになっていきます。そうした中でこの学生たちと「カレーライスを一から作る」チャレンジが始まりました。
はじめ「そんなに難しいことではなかろう」と思っていた学生たちは、野菜作り、米作り、肉を得るためのダチョウの飼育を始めて、次々と予想もしなかった困難にぶつかり軌道修正を考えなければならなくなります。音に敏感で意外にデリケートだったダチョウは、雛からの飼育1ヶ月で三羽とも死んでしまいました。
野菜を担当した学生は、生育がひ弱な野菜を心配して「化学肥料を使った方がいいのではないか」と悩みます。彼は責任感が強いので悩み、落ち込みますが、結局、最初にめざした「すべて自分たちだけでつくれるもので作り、工業製品の力を頼らない」という考えに立ち返って化学肥料を使うことを思いとどまります。そこで「自分が急ぎすぎていたこと」「成果が『早く』上がらなければいけない」と思い込んで、それにとらわれていて、「もともとの自分たちが何を目的としていたか」を見失っていたことに気づきます。生命にはそれぞれの時間があることがわかってきます。
クライマックスはやはり、長い間飼育し、育ててきた七面鳥と烏骨鶏を殺し、肉にするところです。「はじめから肉を獲るために育ててきたのだから」「ペットとは違う」それぞれ自分に言い聞かせるかのような論議が続きます。それぞれの「仕事」の近くにいる者ほど、その内側の感情のぶつかり、迷いが強いのでしょう、次第に無口になっていきます。
ものとしての「肉」と、目の前にいる「生きもの」との意識の間のギャップ、しかもそれは自分たちが生きるために食べる「もの」であるわけです。「生命をいただく」ということの重さが彼らの頭の中に行き来していることが目に見えるようにわかります。
いよいよ鶏を絞める場面は、映画を見ている者にとっても心臓がドキドキして生理的に悲痛な気持ちになります。これまで生きものを育ててきた学生たちの胸の内を知っているからこそ、さら増幅される痛みなのかもしれません。
「経験する」とか、「体験する」ということは、「やってみて考える」ことと思いました。種を蒔き、野菜を育て、鶏を飼い、それらを「収穫」する作業の中で、学生ひとりひとりが、その内面できっと深く考えこんでいるんだな、と思える表情にたくさん出会いました。身をもって働くことで考え、考えることを通してその経験や体験が身についていく、彼らの「考えること」の基盤になっていくことが見えるような気がしました。
「憲法」や「民主主義」も同じことなのだろうと思います。理屈として知識として頭だけで学んでも身につかない。ひとりひとりが当事者として何か具体的にぶつかり、やってみて、深く考え、身についていく。そうした個々の経験や体験を通して「考えること」から、それがみんなのものになっていき、憲法の理念や民主主義の方法の意味がわかり実現していくのだろう。そんなことまでこの映画を見て連想しました。教育というのはそういうひとりが考えることを経験するところにあるのではないか、と思いました。
【スタッフ】
監督:前田亜紀
プロデューサー:大島 新
撮影:前田亜紀 松井孝行 水上智重子
編集:大山幸樹
音楽:U-zhaan
音響効果:金田智子
オンライン編集:池田 聡
整音:富永憲一
製作・配給:ネツゲン
【出演】
関野吉晴
武蔵野美術大学関野ゼミ生
2016年/日本映画/カラー/96分
公式ホームページ:http://www.ichikaracurry.com/
予告編:https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=fyY5oHOr4W4
上映会のご案内:http://www.ichikaracurry.com/jouei.html
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