「笑ってねぇど やってらんねぇ」
たしかに。そのままの映画の印象でした。
映画の中で何十回も聞くことができた二人の母ちゃんの大笑いの底にある「どうしようもない怒りや悲しみ」、「やりきれなさ」、「将来への不安」を感じずにはいられません。
菅野榮子さんが長野県南佐久の小海村に、飯舘村の味噌つくりを伝授するために出張する場面があります。つねに明るく振る舞っていた榮子さんがそのあいさつの中で「飯舘の味噌つくりを、今、伝えておけば、また何年かして、何十年か、何百年かして、帰って行けるようになったら(佐久の人たちが)飯舘の人たちに伝えることができる、それを楽しみにして…」と言って言葉に詰まるところがあります。普段大笑いして、笑い飛ばしていた明るい榮子さんがきっと、ずうっと「飯舘村にいつ帰れるのか」「いつ帰れるのか」と考え続けて絶望的な気持ちでいたことが、ほとばしり出た瞬間に見えてしまって、ジーンときてしまいました。
自宅の様子を見に行って、庭に咲いた小さな花を抱くようにしていつくしむ姿。
土に触っているときが一番幸せそうに見える二人です。土への愛着、こだわり、二人が我慢できずに作物を植え、育て、それを収穫します。にんじん、大根、長いも、…、穫れた作物の見事さ。どれも立派で、母ちゃんたちは野菜作りの名人だなあと思わせます。
「食べるものは自分で作る!」「食べて生きるぞ」と言う気迫が感じられる穫れたての野菜が並べられた食卓のごちそう。そのおいしそうなこと。原発事故の前、彼女たちの大切にしていたもの、持っていた豊かなものを感じます。それが二人の母ちゃんの人生であり、飯舘村の生活であったことを感じさせます。
菅野榮子(かんの・えいこ)さんは79歳。
孫に囲まれた幸せな老後を送るはずが、福島第一原発の事故で一転する。
榮子さんが暮らす福島県飯舘村は全村避難となり、ひとりで仮設住宅に暮らすことになった。
支えは親戚であり友人の78歳の菅野芳子(かんの・よしこ)さんだ。
芳子さんは避難生活で両親を亡くし、ひとりで榮子さんの隣に移ってきた。
「ばば漫才」と冗談を飛ばし、互いを元気づける、2人の仮設暮らしが始まった。(映画「飯舘村の母ちゃんたち」紹介ページより)
古居みずえ監督は、長いことパレスチナの、特に子ども達を追ったドキュメンタリー作品を作ってきました。パレスチナの難民、飯舘村の母ちゃんたちに共通しているものとして「ふるさとの喪失」を見いだした、と言います。
榮子さん、芳子さんの二人の母ちゃんたちの漫才のような掛け合いの妙、二人合わせて元気になったと言います。震災後、芳子さんと出会うまではこんなに元気ではなかったと言います。避難所生活。「二年たったら帰れる」という見通しがホゴにされ、逆に何の安全の根拠もなく「帰村」を政府が言いだし、そこには避難した人々への援助を打ち切ろうとする魂胆が見え隠れする。「ふるさと喪失」ではない。誰がふるさとを奪っていったのか? そして放置しているのか。
国って何だろう?役人って何のためにいるのだろう?政治は何をするものなのだろう?東電は、国は何を何から守ろうとこんな動きをするのだろう?直接的にそうしたことを描いていませんがどうしても、そういったことを考えさせてしまいます。
そして自分自身もこうした飯舘村や避難したままにされている人たちの現状を見ようとしてこなかった。むしろ避けてきた。そうした人々の生活を想像し、考えることをしない私たちがきっと、国や東電のやってきたこと、やろうとしていることを支え、許してきたのだろう。
帰村の問題がどういうことなのか、答えを出してくれる映画ではありません。ただそこに生きる人たちのことを想像し、それを尋ね、考える。そして自分自身の問題として考えなければという思いになる映画です。
映画情報
出演:菅野榮子 菅野芳子
監督・撮影:古居みずえ
プロデューサー:飯田基晴/ 野中章弘
編集:土屋トカチ
整音:常田高志
宣伝協力:東風 配給:映像グループ ローポジション
製作協力:映像グループ ローポジション/ アジアプレス・インターナショナル
製作:映画「飯舘村の母ちゃん」制作支援の会
2016年/95分/HD/ドキュメンタリー
■紹介ページ
■自主上映貸出料金
●1日1回上映の基本料金 60,000円(100名まで)
入場者数が100名を超えた場合、1名あたり400円が加算されます。
■問い合わせ先:映画「飯舘村の母ちゃん」制作支援の会
●Eメール iitate.motherprojects@gmail.com
●ファックス 03-3209-8336
●郵 送 〒169-0072 東京都新宿区大久保3-10-1-834
●電 話 090-7408-5126
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