映画の冒頭、闇の中を電車の近づいてくる音が響いてくる。怖い。この怖さは何なのか?電車の光に古い建物(倉庫)が照らされる。後になってそこが事件の現場の味噌工場であったことが知らされる。袴田さんを50年近く、そしておそらく今も苦しませ続けている事件の現場である。
この映画は2014年3月27日再審の決定により自由を取り戻した元死刑囚袴田巌さんの出所後1年を追ったドキュメンタリーである。
しかし、いまだに袴田さんは自由を取り戻していない。
長い間、50年近くの時間を確定死刑囚として牢獄につながれ、一時も休むことなく死の恐怖におびえ、さらされていた袴田さんは,体は自由になっても精神を痛め、精神は壊れてしまっている。ほとんど無表情、喜怒哀楽の表情がない。絶えず部屋の中を落ち着かず歩き回っている。焦燥感がそうさせるのだろうか。話していることもまともではない。
死刑囚というものはこのようなものなのだろうか。このように精神が壊れてしまうくらいに痛めつけられ続けるものなのだろうか。そうした人間を壊していく非人間性の極みの制度、まして冤罪であることにどうしようもないやりきれなさを感じる。
描かれるのが出所後の単調で静かな生活であるが故に、彼を壊してしまったもの、いまも彼の頭の中にあって苦しめているものを想像してしまって死刑制度の怖さ、非人間性のひどさがじわじわとわき上がってくる。
声高に冤罪のひどさや、死刑制度の非人間性を叫ぶ映画ではない。むしろ出所後の「自由を取り戻した」袴田さんが,少しずつ回復していく、人間性を取り戻していく過程をとらえた映画といえる。彼を支える姉の秀子さん、親戚、支援者、同じように冤罪を明らかにし無罪を勝ち取った仲間、あるいは子どもたちに囲まれて袴田さんは少しづつ自分を取り戻していく。その日常をカメラは淡々と記録していく。
袴田さんがほんの少し表情を取り戻す瞬間をカメラは見事にとらえている。それまで彼の「無表情」に死刑囚の酷さ、苦しさを想像して緊張して観ていた観客はその一瞬にどれだけ「良かった!」と救われることか。それは、金聖雄監督と将棋を指し、袴田さんが勝ちを感じたときに見せた表情である。(金監督は袴田さんに73回挑戦し1回も勝てなかったという。1回だけ勝てそうになったときに袴田さんが表した表情だそうである)
もうひとつ、ボクシングを観に行ったときである。彼は周囲の反対を押し切ってプロボクサーになる決意をした思いが獄中でも支えになっていたという。自由だった頃の気持ちを取り戻した時なのだろう。
そして、子どもを相手にしたとき。(赤ん坊を相手にしたといっても、赤ん坊が来るたびに毎回1000円をあげるだけで、ちっとも相手なんかしていないのだが、無表情であっても、全身がうれしそうな表情をしているように私達にもみえる)金監督が「この人が人殺しなんてするはずがない」と確信した瞬間でもあるという。
映画の最期の方でははじめの頃に比べて、袴田さんもずいぶんと表情が感じられるようになっている。閉じこもりがちだったのが、街を出歩くようにもなった。1年間のそうした経過を、映画を見るものも追体験していくことになる。
この映画を見終わった頃には、袴田さんやお姉さんが親戚のひとりでもあったような親しみを感じている。おじさん、ひどい目に遭ったけど、少しずつ良くなってるって。きっとそのような描き方ができるのは、そして観るものにそうした暖かさを感じさせるのは金監督の人柄から来るものなのだろう、そんなことを感じてしまう作品だ。
【公式ホームページ】
http://www.hakamada-movie.com/
【映画情報】
監督:金聖雄
撮影:池田俊己
音楽:谷川賢作
プロデューサー:陣内直行
製作・配給:Kimoon Film
2016年 日本映画 ドキュメンタリー 119分
<劇場公開予定>
2016年2月27日(土)〜 ポレポレ東中野
3月19日(土)〜 静岡 シネギャラリー
浜松 シネマイーラ
名古屋 シネマスコーレ
4月16日(土)〜 三重 伊勢進富座
3月以降予定 京都シネマ
大阪 第七藝術劇場
神戸アートビレッジセンター
新潟 シネウインド
順次全国で公開!
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