今年、戦後70年ということでたくさんの映画が企画、製作されました。その多くが戦争の悲惨さを訴え、「もう二度とこのような戦争をしてはならない」という思いが込められているものだったと思います。
ところが、今年の政治はそうした思いに真っ向から反するような動きになりました。集団的自衛権の行使に道を開く、つまり憲法を都合良く変えて戦争できる国にするための「安保」法制が無理矢理通され、私たちの国を戦争する国に変えてしまいました。
いま、誰が戦争できる国にすることを望んでいるのでしょうか?
少なくとも70年前、国民の総意として「もう戦争はしない」という思いと誓いを込めた日本国憲法第9条に多くの人が賛同して自分たちの国の規範、進むべき道を示したはずです。
この映画『母と暮らせば』では、「戦争している」「戦争をした」ということが、人々の生活の中でどのようなことなのか、どのようになってしまうことなのかを、戦争を言葉でしか知らない私たちにイメージ豊かに見せてくれます。そして70年前にこの国に生き、戦争を経験した日本人の気持ちがどのようなものであったかをよみがえらせてくれます。
(あらすじ)1945年8月9日、長崎の原爆で一瞬にして世を去った医学生の浩二。三回忌を迎えたその朝に、幽霊になった彼が母・伸子の前に突然姿を現します。それでも再会を心から喜び合う二人。
その日から息子・浩二は毎晩のように伸子の前に現れ、思い出話やかつての夢を語り、母親を慰めます。しかし、そんなある日、生前浩二の恋人だった町子のことに話が及ぶと……。(以上、映画『母と暮らせば』 公式サイトより)
話は、自分の死はわかっていても、恋人の町子をあきらめきれずにいる浩二が、町子の幸せを考えれば、と納得していくことを軸に進みます。
二人の息子、家族を戦争で失った母・伸子の気持ちとともに、若者らしいたくさんの夢を奪って命をも絶ち切られた浩二の行き場のない無念の気持ちは、つらさ、切なさとともに映画を見る者に迫ってきます。いったい何が悪かったからこんな目に遭うのだ。戦争から長く、多くの人がそうした無念と怒りを持ち続けていたはずです。
映画の中でも、「運命だ」という浩二に、伸子が「戦争は運命なんかじゃない、誰かが計画してつくったものだ」と怒りを込めて叫ぶところがあります。
私はこの映画を見て、戦争を、災害に遭った時のように「ひどい目に遭った」「自分たちは被害者でかわいそうな人なのだ」と悲しみや嘆きとしてだけとらえるのではなく、戦争を起こしたもの、自分たちを戦争に巻き込んだものに対して「怒り」、「恨み」、「くやしさ」をもって戦後を生き、それを伝えていくべきではなかったのではないか、と思いました。
それは今の政治に言えることです。
戦争を許さないという怒り、恨みが自分のこととして考えられていれば、過去の自分たちが他国の人々に対して侵した犯罪をも「なかったことにしよう」と画策したり、戦前の侵略政策を肯定し、同じような戦争できる国にしようとしている政治家にやりたい放題させて、なお口をつぐんでいる今のような状況はなかったと思います。
この映画の中でも、原爆で娘を亡くした町子の同級生の母親が「自分の娘もおなかが痛いといってずる休みをすれば良かった」と生き残った町子に食ったかかった話が出てきます。
町子の幸せを浩二に説得する伸子が「なんで町子だけが幸せになるのか」と気持ちを一瞬さらけ出してしまうところがあります。家族を奪われ残された人のやむにやまれぬ感情と思います。もちろん死んでいった多くの人の中にも「なぜ」「どうしてこんなことになったのか」の気持ちだったと思います。
無念な思いで死んでいった魂に応え、その怒りと恨みを鎮めるのは、「二度とこんな戦争はしません」という誓いではなかったのではないか、その上に戦争のない社会と世界を作り上げようとする憲法第9条をつくったという崇高な理想があったからこそ、この憲法の制定に当時国民をあげて賛同したのではないか、それを伝えていくべきではないのか、と思いました。
戦争に殺されていった人々の怒りと恨みを、新たな戦争の犠牲者が出る前に、戦争によって家族を失う前に、戦争する国に変えようとしている政治家に向けて投げつけていかなくてはなりません。
【映画情報】
監督:山田洋次
脚本:山田洋次 平松恵美子
企画:井上麻矢(こまつ座)
プロデューサー:榎望
キャスト:吉永小百合(福原伸子)
二宮和也(福原浩二)
黒木華(佐多町子)
浅野忠信(黒田正圀)
加藤健一(上海のおじさん)
ほか
制作年:2015年
製作国:日本
配給:松竹
上映時間:130分
『母と暮らせば』公式サイト:http://hahatokuraseba.jp/
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