監督 豊田直巳・野田雅也 製作 映画『遺言』プロジェクト
「今日で最後のエサだ。」
牛たちの大きな黒い瞳が映し出されます。飼い主は、涙をぬぐいながら牛たちの最後の姿を写真に撮り続けます。
「一頭一頭、全部、思い出があるんだよ。」
トラックは走り出します。
何も知らずに、高濃度汚染が検出された草地の上で静かに寝そべる猫たち。一見のどかな田園風景が広がっています。
「匂いもない、何も見えない…。それが一番、おっかねえな。」
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映画『遺言』は、福島県飯館村の酪農家の人々を震災直後から2年間、2人のフォトジャーナリストが記録し続けたドキュメンタリーです。一人はイラクやチェルノブイリを撮影してきた豊田直巳氏、一人はチベットやアジアを撮影してきた野田雅也氏です。
原子力発電所の事故による放射能被害のため、畜産品の出荷停止、避難、動物の処分。次々に決断を迫られることになった人々を記録したこの映画は、被災の凄まじさをセンセーショナルに伝える映像とはまったく一線を画した作品です。
ここでぜひ書いておきたいのは、作品の全体にあふれる、村の人々の生きる意志、暮らしを立て直す意志です。
牛を置いて動くわけにいかない…、避難したほうがいいぞ…、手塩にかけた牛が…。音(ね)を上げたくない…、それでも《見えざる敵》にはどうしようもないのか…。
人々のぎりぎりの逡巡と議論が続きます。議論が熱を帯びてきた食卓が、いきなり暗転します。停電です。暗闇の中、懐中電灯の細い明かりを囲んで、結束してやっていこうと意志を確かめ合う人々の気概には胸を打たれます。
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仕事(収入源)と生きがいと暮らしの三つを、場面に応じて切り分けて生きている人間ならば、決断と移動はもっとずっと簡単だったでしょう。しかし飯館村の酪農家の人々は、その三つを切り分けず、酪農の仕事に生きがいと絆を見出してきた人々です。この土地の酪農家の人々にとって仕事が奪われるということは、生きがいそのものを奪われることであり、避難しなければならないということは、長年愛情を注いできた動物たちを「処分」する決断を自ら下すという苦痛を背負うことだったのです。この苦しみは、丹念で真摯な取材とその映像化によってしか見えてこないものです。
「これじゃあ、誰か、首くくるぞ…」
思わず一人の口を突いて出た言葉は、やがて現実のものとなります。酪農家の中から、自殺者が出たのです。堆肥小屋の壁に白いチョークで書かれた言葉が、彼の最後の言葉でした。この映画につけられたサブタイトルは、その言葉の一部です。その意味を、酪農家仲間たちは受け継いでいきます。
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あいまに織り交ぜられる美しい田園風景は、この土地の本来の姿です。この美しさが、この状況では痛々しく映ります。
匂いもない、何も見えない…。今年は虫がいない、トンボがいないんだ…。
酪農家は、破壊が目に見えない壊れた田園の中にたたずみ、呟きます。
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この作品を憲法にひきつけて語ることは無粋以外の何物でもありませんが、やはり、この作品には《憲法問題》が詰まっています。
憲法は、平穏な生活の中では見えにくいものです。人権保障や統治がそこそこまともに実現しているときには、憲法を持ち出さなくても世の中は回っているからです。建物に例えるなら、憲法は、土台や柱の部分にあたるでしょう。建物が傾いて、壁や床に割れ目ができたときにはじめて、憲法は直接に現れてきます。
映画の中に、センセーショナルな映像はありません。人々も動物も、日々、生きている。けれども、これではもはや生きていけないと考えて命を絶つ人が出てくる状況…これを考えていくと、人間が人間らしく生きるのに必要なこととは何なのか、という問題が照らし出されてきます。
希望や意味に支えられた《意欲》がなければ、生きていられないのが人間です。そこに、「幸福追求の権利」(憲法13条)が基本的で包括的な権利とされていることの理由があります。そして、憲法13条は「生命」そのものについても明言しています。「国民の生命を奪うな」とわざわざ命じなければならない国家など、国家の名に値しないかもしれません。けれども、福島の事故は、このことを正面から問題としなければならないと、私たちに教えてくれたのではないでしょうか。
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やがて人々は新しい生活と新しい仕事に向けて、決断を重ねていきます。
新しい牧草の苗。新しい牛舎で新しい牛の到着を待つ人々。
「自分一人の復興じゃない。仲間との、福島全体との復興になってはじめて、復興になる。」
この言葉に注釈などつけることは許されないと承知しつつ、無粋ついでにもう一つ。この映画は、「地方自治」についても多くのことを教えてくれます。憲法92条には「地方自治の本旨」という言葉が出てきます。汚染された土に向かって涙しながら、「この村を俺たちが守ってきた」と語る人々の姿からは、「権力分散構造」や「組織構成の効率性」という発想を超えた、地方自治の魂というべきものが滲み出ています。この魂をどう向き合い、汲み取り、「これから」を考えていくのか…。国家に、そして憲法に向けられた問いがここにもあります。
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本稿では、ほんの一部分だけを紹介ました。最後に、物語の最初でドキリとしたところを一つ書き留めておきます。酪農家の若い女性が語ります。「実習に行った先のスイスの酪農家には、核シェルターがあった」と。
原子力エネルギーを国策として使うのであれば、政府とそれぞれの国民は、そこまでの覚悟を共有しなければならない、ということです。そのことに飯館村の人々は身を持って気づき、教えてくれた。原発賛成か反対か、ということを政治談議として語る前に、私たちはまず、「私たちに、どういう覚悟が必要か。その覚悟を引き受けられるか。」という自問を、真摯に身に受けなければならないでしょう。
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この映画は、物語の途中に音楽やナレーションをかぶせず、当事者の生の言葉と状況音とで綴った、純粋なドキュメンタリーです。物語の最後に響くチェロの音色の美しさと深さは、この3時間に立ち会った人間だけが味わうことの許される《至福》かもしれません。
■映画の公式サイトはこちらです。
■追加上映が決定しました。
ポレポレ東中野 3月22日(土)〜3月28日(金)連日19:00〜(23:00終映予定)
【料金】当日 一般3000円 / 大・専・シニア2700円 / 高・中・障碍者2000円
ポレポレ東中野 東京都中野区東中野4-4-1 ポレポレ坐ビル地下
【TEL】03-3371-0088
http://www.mmjp.or.jp/pole2/
■関連情報:共同監督者 豊田直巳 公式HP『境界線の記憶』
豊田直巳 『戦火の子どもたち写真展を広げる会』
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