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映画「GAMA―月桃の花」は、沖縄戦終結50周年を記念して製作された、初の沖縄県民映画です。日本で唯一展開された住民を巻き込んだ地上戦を、ひとりの平凡な母親の視点から描いています。
本映画は、上映開始以来、約200万人の人々に鑑賞されています。ビデオ化は一切せず、数万回に及ぶ上映会が、沖縄に思いを寄せる多くの市民の自主運営によってなされている本映画は、「奇跡の映画」といわれています。
主人公の宮里房(朝霧舞)は、戦火を逃げ惑う中で、多くの家族親類を亡くしながら、道端に転がる無数の死体を踏み越え踏み越え、洞窟(ガマ、映画のタイトルはここから)の中に避難します。そして艦砲射撃の恐怖から逃れたと思ったら、そこにいたのは、「泣く子は切り殺すぞ」と言って、銃剣を突きつける鬼のような日本兵(沖田浩之 他)でした。
軍民雑居状態の中で、ウチナンチュ(沖縄の人)がどのように差別・虐待されてきたか、そしてどのようにして集団死が引き起こされたのか、沖縄戦の特徴がきわめてリアルに描かれており、それゆえに深い反戦の意志を我々に訴えてきます。軍隊というものは、国家の指示を遂行することを目的としているのであり、国民を守るために存在しているのではないということが、沖縄戦の実相が証明した事実です。この悲惨な体験を、胸が張り裂けそうになりながらも、後世への想いをこめて語り継いでいる人々がいます。主人公のモデルとなった安里要江さんはそのひとりです。映画を観たとき、あまりにも悲惨すぎると感じることがありますが、これは平凡な沖縄アンマー(母)が体験した、動かしがたい実感を伴った事実であります。この傷跡は、教科書を書き換えられて不可視化されようとも、いかなる国策をもってしようとも決して風化させることはできません。映画のエンディングロールに映し出される、摩文仁岬の「平和の礎」に刻まれた、約24万人の物言わぬ戦没者碑は、これらの事実は決して風化させることができないのだということを、昔と変わらぬ沖縄の風光の中に厳然と示し、同時に「非戦」の意志を静かに伝えてきます。
もうひとつ、私が強調しておきたい、本映画の特徴は、主人公が生き抜いたということです(証言を元にして作られたのだから当然ですが…)。昨今の戦争映画(反戦映画を含めて)は、主人公が最終的に特攻や玉砕で死んだりする結末が非常に多いのです。これらは、我々日本人に特有の「死の美学」に訴えてくるものであり、とても美しく思えるのですが、やはり、戦陣訓としての「いのちは毛の一本よりも軽い」という観念に最終的に服従してしまったのだと、―自らがそれを願ったとしても―、考えるべきではないでしょうか。一体、戦争がなぜ起こるのかといえば、いのちよりも重いものを、国家が仮想的に作り出し、それに向かって全国民が全力で邁進するところに、その根本的な原因があるのではないでしょうか。それは「日本人(ヤマトンチュ)としての誇り」であるかもしれません(この言葉は映画の中に散見されます)。愛国心・公の秩序を強調する昨今の日本社会は、徐々に、戦時中の気分に移りつつあると感じます。
そうではなくて、「いのちより大切なものはない」というのが、この映画のメッセージです。戦火の中で、肉親のほとんどを失いながらも、生き抜いた主人公は、毛の一本よりも軽い自らの命が、地球よりも重いものであったということに気付いたのでしょう。それこそが、「命どぅ宝」(いのちこそ宝)の沖縄のこころであり、この映画がもっとも伝えたいことであると私は考えます。
【映画情報】
文部省選定
2007年ベルリン映画祭参加作品
製作:1996年 日本
監督:大澤豊(「日本の青空」2007年)
脚本:嶋津与志(大城将保)
原作:「沖縄戦 ある母の記憶」(高文研 安里要江 大城将保)
時間:110分(カラー/ビスタサイズ)
出演:朝霧舞/川平慈英/(故)沖田浩之/平良とみ/國村隼/沖縄のみなさん
配給元:泣Wージーエス(GAMA―月桃の花を成功させる会)
【上映情報】
日時:5月24日(土)
場所:大田区民センター音楽ホール(JR蒲田駅より徒歩10分)
時間:10:30〜第1回上映、12:30〜大城将保さん(原案・脚本)講演、14:30〜第2回上映
詳しくはHP・Emailにて
他にも各地で上映会が検討されています。
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