庶民の日常の平和な生活のいとおしさを優しい眼差しで描きながら、反戦への深いメッセージを伝え続け、今年4月に急逝した黒木和雄監督の最後の作品です。劇作家松田正隆氏がその母をモデルにした同名の戯曲を映画化したものです。
物語は、戦争で日本が追い詰められた1945年3月末から4月にかけてのほんの10日あまりの出来事です。舞台となるのは基地に近い鹿児島県の田舎。3月10の東京大空襲で両親を失ったばかりの娘・紙屋悦子(原田知世)は、軍需工場に勤める技師の兄とその妻の3人でつましい日々を送っていました。そこに突然、兄の後輩である海軍航空隊明石少尉から、同少尉の親友の永与少尉との縁談が持ち込まれます。しかし、悦子は密かに明石少尉に想いを寄せていました。
明石は、戦争も緊迫してきて、自分の命はあと僅かであることを知り、整備担当で戦場に赴く可能性の少ない永与に、悦子を託したかったのでした。悦子もそれを察し、明石に対して想いを直接伝えることはできません。4月、明石は沖縄奪還のため飛び立ち、還らぬ人となります。
この映画には戦場や兵舎や軍需工場が出てくるわけではありません。出てくるのは、桜の木がある質素な1軒の家とその庭先だけ、登場人物は5人です。舞台設定は至ってシンプルですが、味わい深い画面になっています。古びた茶箪笥を背景に、丸いちゃぶ台に乗ったおかずは、酸っぱくなりかけたさつま芋の煮付けと漬物だけの夕食。米軍機の空襲を警戒しつつも、一杯のお茶を「美味しいね」「本当に美味しいね」とゆっくりすすりながら、お互いを濃密に思いやる生活。人間関係は、現代と果たしてどちらが豊かなのか? 試写会の帰りの電車の中でつくづく考えてしまいました。
登場人物たちのユーモラスな対話に思わず笑いを誘われつつも、戦争とは、生命だけでなく、「愛すること」という人間にとって最も大切なことを奪うものだ、というメッセージを明確に伝えてくれる逸品だと思います。
“ユーモアと愛”は、名作と言われる前作「父と暮らせば」の中でも存分に示されていました。本当に惜しい監督をまた1人失いました。
【映画情報】
制作:2006年 日本
時間:113分
監督:黒木和雄
主な出演者:原田知世/永瀬正敏/松岡俊介/本上まなみ/小林薫
上映館:8月12日(土)より、岩波ホールほか全国ロードショー
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