絶対的権力は絶対腐敗する
「権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対に腐敗する(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely)」。これは今から約130年前、英国の歴史家ジョン・アクトン卿(1834〜1902年)の言葉です。権力が集中し、一元化されれば民主主義が崩壊する。立憲主義が崩壊する。自由主義の息の根が止められる。歴史事実を事実として学ぶ中から発せられた格言です。
そうならないように、そうさせないように、私たちは権力を分散させています。立法権と行政権と司法権を分け、国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関を置いています。互いに抑制しチェックし合い、バランスを保つことによって権力の濫用を防ぐ。国民(憲法が保障する基本的権利を享有するすべての人、以下同じ)の権利と自由を保障するために、です。
立憲主義のルーツ
私は、昨年5月、英国へ行ってきました。近世民主主義・立憲主義のルーツを訪ね、歴史を歩き、「いま」の日本社会を外から改めて振り返るためにです。とくに「法の支配」という近世立憲主義の出発点となっている1215年の英国マグナ・カルタ(大憲章)について学んできました。
当時、英国のジョン国王はフランスに出兵するため、諸侯や都市上層市民らに、莫大な軍役を賦課していました。それに対して封建諸侯と都市代表市民は、王権を乱用するジョン国王に抵抗。国王の徴税権の制限、不当な逮捕の禁止、教会の自由、都市の自由などを認めさせる確約文書を突き付け、国王に署名させました。これが、マグナ・カルタです。
国王といえども、法の下にある。国王といえども、それぞれの地方における伝統や慣習・先例に基づいて発達した法(コモン・ロー)の下にある。国王はそれを尊重する義務を負う。そのため、国王の権限は制限される。のちの基本的人権と立憲君主制を理念とする英国憲法を構成する重要文書となりました。
こうしたことを、文書で確認した意味は大きい。国王の権力を法で縛り、権力行使も正当な法的手続きを踏まなければならない。これが、現代の「法の支配」の原型です。マグナ・カルタが立憲主義の出発点、と言われるゆえんです。
9条を変える動き
自民党は、2012年4月、「日本国憲法改正草案」を発表しました。これは、私たちがこれまで72年間護ってきた憲法三原則そのものを、根底から変えようとするものです。国民主権は縮小、戦争放棄は放棄、基本的人権は制限しよう、というものです。草案第二章のタイトルは、「戦争放棄」から「安全保障」に変更。戦力不保持と交戦権否認規定は削除し、「自衛権の発動を妨げるものではない」を書き加える。さらに、国防軍の保持、軍事裁判所の設置、国民の領土等保全義務なども明記する、等々…。
自民党は、さすがにこのままの案では国民の支持が得られないと判断。党憲法改正推進本部は戦略を変更。今年3月に、1)9条改正、2)参院選の合区解消、3)大規模災害時に政府に権限を集中し国会議員任期特例を書き込む緊急事態条項、4)教育無償化、この四つに絞り込みました。いわゆる「改憲4項目」です。森友・加計問題など安倍政権の不祥事が相次ぎ、与野党が激しく対立したこともあって改憲4項目の提示を断念させました。しかし自民党は、2020年に"改正"憲法施行するという改憲スケジュールを変えていません。
9条、その深いルーツ
9条は、戦争放棄・軍備不保持・交戦権否認を定めた、世界でもっとも先駆的な条項です。9条と同じ理念を探ると、紀元前8世紀に遡ります。旧約聖書イザヤ書2章4節に、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない」と書かれてあります。
その後も、たとえば紀元前5世紀頃には法句経(釈尊の言葉と大乗仏教の教え)の「殺すな、殺させるな、殺すことを許すな」、1〜2世紀頃の新約聖書マタイによる福音書の「あなたの剣をもとの処におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる」(26章52節)などがあります。
近年では1926年内村鑑三の新文明論に、「わが日本が国家的宣言を発して、国家の武装解除を宣言し、こうして全世界に戦争のない新文明を招来し得るなら、それはなんと素晴らしい日であろう」などもあります。このように9条の理念は、三千年近い人類平和を求める願いが積み重なり合って、日本国憲法に成就、成文化されたのです。
権力者による9条解釈変更
1946年11月、私たち主権者が国民主権・基本的人権・平和主義・地方自治・三権分立を五本柱とする平和憲法を制定してから、72年。その後政権与党は、二度にわたって憲法9条の解釈を変えました。一度目は、1954年7月。必要最小限の実力組織としての自衛隊を創設した年です。外国から急迫不正の侵害があり、且つそれを排除する適当な手段がない場合は、必要最小限の"実力"行使を行うことが可能、としたのです。憲法解釈変更によって、まず、「個別的」自衛権の行使を可能にしました。
二度目の解釈変更は、2014年7月1日。第二次安倍内閣は、臨時閣議で「集団的」自衛権行使を認める新たな解釈を決議しました。「万全の備えをすることが抑止力だ。戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」、と強調して。日本と密接な関係にある他国の対する武力攻撃が発生し、これによって日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から脅かされる明白な危険があるなど三つの要件を満たせば、自衛の措置として武力行使は可能、としたのです。「集団的」自衛権の行使をも、憲法解釈変更によって可能にしてしまいました。それを法制化したのが2015年9月19日の安保関連法です。
日本国憲法と「ジャストピース」
憲法前文に、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」との一節があります。この主語は、国民です。日本に居住する私たちだけでなく、「全世界の国民」の平和的生存権を、私たちが私たちの憲法で誓い、確認しているのです。自分たち地域・国だけの平和でなく、他の地域、他の民族、他の国の平和を含んでいるのです。これこそ、「ジャストピース」です。
「ジャストピース」(Justpeace)のジャストは公正・正義、ピースは平和。すなわち、「公正にもとづいた平和」という言葉です。他地域・他国の犠牲の上に成り立っている平和は、ジャストピースではない。自地域・自国だけの平和は、ジャストピースと呼ばない。私たちが謳い、目指しているのは、ジャストピース。日本国憲法が世界でもっとも先駆的な憲法、と言われる所以です。
再び戦争の惨禍が起こることのないように
再び戦争の惨禍が起こることのないように、私たちは安倍自公政権とその補完勢力にどう抗(あらが)うか。
私たちは、憲法に拠って立つ。憲法を盾として立ち向かう。憲法は、私たちの自由と権利を護るもの。そのために、私たちが権力を縛り続ける。これまで起こった権利侵害や抑圧は、例外なく権力者による権力乱用によるものだからです。冒頭に引用したジョン・アクトン卿の言葉は、こうした歴史事実を踏まえて、私たちに勇気を与えてくれるものです。
私たちは憲法99条で、天皇や内閣総理大臣を始めとする国務大臣・国会議員・裁判官・公務員らに憲法を尊重し擁護する義務を負わせています。権力者による憲法解釈は変わっていますが、憲法は、9条は、一語一句変わっていない。私たち市民が現行憲法を使って、権力者の暴走を止める。憲法違反の法律はその効力を有しないのだから、廃止させる。憲法に拠って立って、権力者の違憲な行為に対して、徹底してプロテスト(抵抗)する。自分のまわりで、出来得る範囲で。
1970年代、オランダの国際援助組織NOVIBという団体が、社会を変えるために「あなたに出来る百カ条」というのを出しました。その第一条は、「無力感を克服すること」。これが私にとっての第一歩であり続けています。生ある限り、私は歩み続ける。
◆池住義憲(いけずみ よしのり)さんのプロフィール
1944年東京都生まれ。大卒後、東京基督教青年会(YMCA)、アジア保健研修所(AHI、愛知県)、国際民衆保健協議会(IPHC、本部ニカラグア)など計36年にわたってNGO活動に従事。自衛隊イラク派兵差止訴訟(2004年2月〜2008年4月)では原告代表として、名古屋高裁で違憲判決を勝ち取る。元立教大学大学院キリスト教学研究科特任教授(2015年3月まで)。愛知県日進市在住。 |
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