「みんなの意見をむだにしない!」
4月当初の子どもたちは、どのクラス・学年をもっても自分本位の自己主張が目立ち、相手の意見を受け入れられないことが多くあります。また逆に、相手に意見を受け入れられることはないと半ばあきらめ、自己主張を全くしない子もいます。結果、毎日のようにトラブルが続き、互いに無関心になる。そうした状況が日常となると、いじめも起きてしまいます。
ただ、子どもたちは成長します。互いに関わり合い、どの考えも無駄にせずに取り組むと自分たちがよくなる。そう実感した子どもたちは「みんなの意見を無駄にしない!」という張り紙を教室に張ったことがありました。そうした実感をもてるように教師ができることは、一日の時間の約7割を占める「授業」です。毎日の「授業」の積み重ねが子どもたちの姿として現れるのです。
「自然科学の基礎的な概念や法則を、子どもたち集団の力で獲得する」授業を通して
私が所属する理科授業研究会では「自然科学の基礎的な概念や法則を、子どもたち集団の力で獲得する」という授業づくりに50年以上取り組んでいます。
「子どもたち」とはクラスみんなを指すので、対立する考えも、わからないということも自然科学の概念を獲得するために必要なのです。それはどの子も疎外されない「みんながそこにいる授業」でもあるのです。
4年生では空気でっぽうを使って「空気の圧縮性は大きい」ことを学習します。私の授業では、「空気を入れた注射器のピストンは押せるか」を考え、話し合いました。
まずはわからない子どもたちの発言です。
「わからない。今までの学習で空気に体積があるため、空気のある所に水が入らない。だから空気が抜けない限りピストンも押せないのではないか。でも自転車の空気入れで空気を押し込むこともある」
この後は「わからない人たちがわかるように」話し合いを進めます。だから聞いている他の子どもたちが「わからない」気持ちが「わかる」ことが大切です。
「空気が小さくなってピストンは押せる。前にロートの水が下にある三角フラスコに少し落ちたのは、空気の体積が小さくなったからだと思う。」

写真1 |

写真2 |
わからない子が「空気が抜けなければ入らない」と言ったことに、「空気が抜けなくても入る」と答えました。この考えは40人中2人でした。根拠は写真1の実験です。下の三角フラスコに空気があるため、ロートに入っている水が全部落ちません。しかし2人は「少し入った」ことに注目し、それは三角フラスコ内の空気の体積が小さくなったからだと発言しました。
その他多数の子は「ピストンは押せない」と考えました。
「注射器に出口がないから、空気の体積で、私の場所よ!って言ってピストンはおせない。」
わからない子が「体積があるから入らないのでは」と言ったことに「そうだよ」と答えています。
この考えの根拠は、メスシリンダーに入っている水を空気がどかすことによって、空気の体積を測ることができた(写真2)。だから空気も体積がある。ということです。
どちらの考えも「わからない」といった子たちの気持ちを捉え、論理的に答えることができたのは、「今までどんな学習をみんなでしたか」が関係してくるのです。
次に2つの対立する意見をどうするかについての討論の一部です。 S:自転車の空気入れで思い出した。空気でいっぱいになっているやつにはもっと入れようとしても入れられないじゃん。だから空気の体積は小さくならない。
M:水が少し入ったのはピンチコックをあけた時に少し空気が逃げて、その分入ったんじゃない?
E:もしそうだとしたら、上のロートに入っている水にぽこぽこ空気の泡が出てくるはずでしょ。でもそんなの出てこなかったから、空気はもれてない。
A:少し入ったのは上が水だったから、空気は水の中に入るから少し出たのかなと思う。
E:泡なんか出てなかったでしょ。前回は水が空気を押したんだけど、今回は水がピストンなの。だから水が少し入ったように、ピストンもおせるってこと!
今回の論理は多数の子たちがあやふやで、少数の子たちの方が明確です。多数の子たちに迷いが生じました。そこで実験をし、ピストンが押せたという事実から体積が小さくなることがわかりました。
討論では今までの学習や日常を根拠に論理的に考えます。だから「わからない」子も「そこにいる=理解する」ことができるのです。対立意見も、多数決や「〇〇さんが言ったから」とせず、論理性を重視します。その結果みんなで自然科学の概念を獲得することができ、それは次の課題を自分たちで解決する力となるのです。
クラスの生活も「自分たちの力で」
「自分たちの力で獲得する」授業に日々取り組むことで、「自分たちのクラスは自分たちの力でよくする」意識になりました。だからどのクラス・学年を担当しても「みんなの意見を無駄にしない」が道徳的なスローガンではなく、全員の意識・感覚になっていました。
ある時、クラスの子がいつも特定の子にちょっかいを出す遊びが続いたことがありました。それを見ていた周りの子は「特定の子に」「いつも」「一方的に」ということがおかしいと感じ、「やめろ」と話しました。普通だと「遊びだから」と言い返されそうです。しかし子どもたちの意識はみんなの意見を無駄にしないので「やめろ」という意見が尊重されました。
他のクラスも同様でした。学校に来られない子がいた時には「先生、今すぐその子に学校に来てもらって。みんなで話し合うから」となりました。陰口があった時には、他の子から「やめよう。何か言いたいならみんなで話そう」となりました。互いに関わり合い、みんながそこにいることができるクラスづくりに自分たちの力で取り組む姿がありました。
基本的人権を「知識」から「感覚」としてもてるように
「いじめ防止対策推進法」が施行されて4年目になりました。いじめは基本的人権を著しく侵害しています。なんとか解決しなくてはいけません。
公立学校の教師は「憲法を守る」と宣誓して教師になります。だから私たちは基本的人権が尊重される授業を作らなければいけません。それができればいじめはなくなっていくはずです。
「どの子も大切に」といった基本的人権にかかわる「知識」について、子どもたちほぼ全員が持っています。にも関わらず、いじめ問題に歯止めをかけられない子どもたちの姿がある。これは授業の結果であると受け止めなければなりません。現在の学校の授業が「知識」は与えても、それを使って何かを解決しよりよくした、ということまでしていないのではないか。それがないから基本的人権を尊重するという「感覚」にまでなっていないと思います。
「知識」を基にした「感覚」になるまでに必要なこと、それが「みんながそこにいる授業」であり「子どもたち集団の力で自然科学の基礎的な概念や法則を獲得する授業」なのです。そうした授業を日常的に積み重ねることこそがいじめを防止し、仮にいじめが起きても「私たち集団の力で」解決できるのです。このような子どもたちの姿を生み出そうとする授業実践は、日本の教育界にはたくさんあります。今こそそこから学び、「いじめ防止対策推進法」を超える授業を!基本的人権が尊重される授業を!と、私は声を大にして言いたい。
◆佐々木 仁(ささき ひとし)さんのプロフィール
2005年より公立小学校教諭。
科学教育研究協議会 自然科学教育研究所に所属。理科の授業研究に取り組む。
著書(すべて共著)『そのまま授業に生かせる生活科』(合同出版)『なぜだろうなぜかしら10分でわかる!科学のぎもん1〜4年生』(実業之日本社)『新しい学習指導要領で理科はどう変わるか、どうしたらよいか(7月末出版予定)』(本の泉社)
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