自民党は憲法を変えるという見解を明らかにし、その改憲案も持っている。この改憲案には国防軍の創設も規定されており、日本をして戦争をする国に変えようとしている。今、この改憲案に様々な立場から厳しい批判がなされている。
その批判の中に、憲法というのは、国家権力を制限し、国民の基本的人権を保障するものである、権力の制限という意味での名宛人は、権力を持たない国民ではなく、政権を把握する政治家や公務員を初めとする権力を行使する側である、という考えがある。
私は、こうした理解は当然であると思う。
これに対し、自民党などは、日本国憲法は押しつけられたものであるとして、憲法の改正を正当化しようとしている。しかし、日本国憲法は、形式的には国会において制定されたものである。その意味では、手続き上問題はない。そこで、改憲を唱える勢力は、占領下で原案が連合国から出されたということを問題にしているようである。
しかし、日本国憲法が、戦争のない日本の再生をめざして圧倒的多数の国民の支持を受けて成立したのも歴史的事実である。私は、沖縄で戦後4年目に生まれた。小さい頃の思いでは、私が住んでいるところで戦争があったということである。沖縄戦での激戦地の一つは我が家から数百メートルのシュガーヒルであった。ある宗教団体に入っていた叔母の口癖は「戦(いくさ)―ならんどぅ(してはいかんぞ)、まさる」であった。叔母の嫁ぎ先は沖縄本島南部の激戦地の真っ只中である。住民を巻き込んで行われる戦争についての住民の率直な意見である。
今年7月2日付けの熊本日々新聞の一面に「有権者は問う」という欄で「『戦争放棄』うれしかった」と題して、1947年5月3日当時中学3年生であった球磨郡あさぎり町の山下完二(かんじ)さんのことが紹介されている。近くの市房山(いちふさやま)に登り、その日施行された日本国憲法の意義を友人と分かち合った喜びを忘れないという。「平和憲法は世界に誇れる。憲法があったからこそ、戦後日本は混乱から立ち上がった」と山下さんは語っている。
今年5月、「第8回原発を問う民衆法廷」が熊本で開かれた。その中で発言した中山高光(なかやまたかみつ)さんは長崎で被爆した方である。その中山さんがアジアの国で被爆のことを話したときに、戦争を始めたのは日本であり、原爆で戦争が終わったのだから当然ではないかという声を耳にした。ショックだったと中山さんは話した。6月20日、韓国の朴大統領は北京で、日本を名指しこそしなかったが、北東アジア国家間に「歴史と安全保障問題を取り巻く対立と不信」があると指摘した。被害者の視点から戦争を顧みる必要があることを教えている。
民衆法廷では、不知火(しらぬい)患者会の会長大石利生(おおいしとしお)さんも発言した。ガラスで足を切っても感覚障害で痛みが分からない、水俣病被害だとわかり裁判に立ち上がった。今、水俣では新しい裁判が始まった。全ての被害者が救済されるまで闘うという。戦争は最大の公害といわれる。原発で故郷を破壊された福島の人たちの被害もまた戦争に劣らない深刻な公害である。
わが国で、深刻な原発被害がある中で、安倍晋三首相は、世界各国に原発を宣伝して回っている。再び戦争をしないための保障である日本国憲法を改悪して国防軍を作ろうとする自民党。戦争に匹敵する原発被害が続く中で原発の再稼働を図り、海外でこれを売り込む安倍晋三首相。ここには国民の苦しみとは無縁の経済的もうけ主義がある。
今、私たちは、軍隊を持って戦争に訴えて国際問題を解決するのではなく、話し合いによって解決を図るのかという歴史的な分かれ道に立っている。その前提として、私たちが戦争による被害、原発被害、公害など受け入れるのか、それともこれらの被害を克服する日本国憲法を大事に残して闘っていくのかが、私たち一人一人に問われていると思う。
皆さんの理解を求めるところである。
◆板井優(いたい まさる)さんのプロフィール
1949年沖縄県那覇市生まれ。1979年4月弁護士登録。1986年3月から1994年10月まで
水俣法律事務所開設。現在、熊本中央法律事務所所長。
主な経歴は、水俣病訴訟弁護団事務局長。ハンセン病西日本訴訟事務局長。川辺川利水訴訟弁護団長。トンネルじん肺根絶九州ブッロク弁護団長、原爆症認定集団訴訟熊本弁護団長、「原発なくそう!九州玄海訴訟」共同代表、公害弁連代表委員。
単著『裁判を住民と共に』(熊本日々新聞社)、共著『脱ダムへの道のり』(熊本出版文化会館)、『裁かれた内部被爆』(花伝社)、『水俣学講義第3集』(日本評論社・原田正純編著)。 |
*法学館憲法研究所事務局から
板井優さんは、当研究所が普及をすすめているDVD「STOP戦争への道」の製作者の一人です。憲法を守り活かす取り組みをともに進めていきたいと思っています。
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