まもなく日本国憲法は施行60年を迎える。人生でいえば還暦だが、政府は還暦祝賀など眼中になく、還暦に随伴しがちな「引退」の気配ばかりを推進している。失礼な話だろう。昨秋の憲法公布60周年は教育基本法改定により、また施行60周年の昨今は改憲手続き法と米軍再編法とで、憲法の抹殺は一段と進行した。尋常ではない事態である。
憲法にリタイアを迫るのは、国内だけではない。この憲法を制定するのに強力なイニシアティヴを発揮した米政府筋もまた激しく迫っている。こうした米国の動きは今日に始まったことではないが、このたびはかなり本気とみてよい。その典型に、今年2月16日、アーミテージらが作る戦略国際問題研究所(CSIS)が公表したレポート「米日同盟――2020年に向けてアジアを正しく方向づける」がある(The
U.S.-Japan Alliance: Getting Asia Right through
2020.原文(PDF)。「エッセイ」というには多少重い話だが、メディアではほとんど触れられていないので、それを紹介しつつ論じてみたい。
アーミテージ(Richard Lee Armitage 1945〜)は、海軍兵学校出身の職業軍人から政治家に転じた人物だが、米国における対日戦略の第一人者であり、現在でも大きな発言力をもっている。S・スタローンが演じた「ランボー」という、とても乱暴な戦争映画があるが、そのモデルだという。本人は「噂の一人歩き」と否定しているが、その巨漢ぶりはいかにもベトナム戦争の勇猛果敢な戦士のイメージにふさわしい。ただし軍人あがりであるだけに、米政府の現場を知らない戦略・戦術には批判的らしい。ブッシュ政権発足と同時に請われて国務副長官に就任したが、同政権の爆走を批判して、やがて政権を離れた。クリントン政権末期の2000年10月に、次期政権の対日政策レポート「合衆国と日本:成熟したパートナーシップに向けて」を公表したのはよく知られている(The
United States and Japan: Advancing Toward a Mature
Partnership)。このたびの政策文書は、2000年レポートのいわば現在版ということになろう。
レポートは冒頭で、その目的を「地域の指導者たちが自らの国の成功を合衆国の政治的・経済的目標と一致するように定義するような環境をととのえる」ことにあると、その覇権主義を鮮明にする。しかし、高まる内外の単独主義批判を気にしてか、「主要国間の協力を確保するという長期的な要請は、持続的で効果的な合衆国の外交政策のための組織化原則(the
organizing principle)になるべき」であるとし、「合衆国、日本、中国、ロシア、インド、欧州という主要国間の協力的関係」の強化こそが米国に求められている、としている。そして、各国ごとに「点検」した結果、米国にとって「もっとも好ましいアジアの構造」とは、「合衆国がこの地域にその力、関与、指導力(strength,
commitment, leadership)を維持しながら、同時にアジアの他の成功している国々が地域の諸問題に積極的に関与する」ことだとし、「日本、インド、オーストラリア、シンガポール等々が、その範を示して指導する(be
leading by example)ことが…もっとも効果的なやり方である」と言う。米国と同じ立場をとる国々との同盟関係を強化することで、米国中心のアジアにしていくという構想に他ならない。そのうえで「日米同盟こそが合衆国のアジア戦略の要」だとする。
このように、米国が批判されるようになったことを組み込んだ、ある意味でリアリズムの立場にたつこのレポートは、しかし「もしわれわれが米日同盟にあまりにも依存しすぎるならば、われわれと日本はアジアにおいて孤立するだろうという人もいる。彼らは、歴史問題をめぐっての日本と中国、日本と韓国間の当面の緊張を指摘し、われわれの長期戦を中国の方向に転換するよう主張している」と。すなわち日本の戦争責任を認めず、日本をアジアから孤立させている日本国内勢力があることへの牽制も忘れていない。
こうしてレポートは、「米国は日本とその施政下にある地域を防衛」し、「日本は極東の安全のために国内の米軍に基地と施設を提供する」というこれまでの日米関係が、「日本が自らに課した専守防衛ともに、安全保障上の枠組みを形づくり、最近にいたるまで不可避的な主従関係(junior-senior
partnership)を余儀なくしてきた」が、「日本の積極的な海外作戦参加は、日本の世界的な利害をよりよく反映したものであり、これまで米日関係の特徴だった[米国上位の]
上下関係(hierarchy)を弱めるものとなった」と双務性を肯定的に描く。そのうえで、「両国が将来の挑戦に応えるために何をなすべきか」について、「過去5年間になされた積極的な変化を考慮しつつも、両国の安全保障環境を前進させ、そのことによって、アジアにおける先取的で積極的なプレゼンス(proactive
and positive presence)を支援するために、なお多くのことをなすことができる」とし、「この問題での日本の役割と自己認識を作り直すこと」「[歴史的理由から自己規制してきた最近までの]やり方は、グローバルな指導的役割を求める日本自身の願望から見ると、今後も間に合うものかどうか、将来的には意見の一致が求められる」として、「日本は自分自身の防衛の主要部分を担う点でも責任を引き受けることである。その中には、自国民や死活的なインフラ、および在日米軍の領域を適切に守るためのミサイル防衛能力が含まれる」と、日米の軍事一体化と自衛隊の役割の拡大を提起している。
かくして具体的な「勧告(recommendation)」では、「外交・安全保障政策を、とりわけ危機の時期にあたって、国内調整を機密情報や情報安全を維持しながら、迅速、機敏かつ柔軟に運営する能力をもつこと」と日本版NSCの早期の実現を要請し、「憲法について現在日本でおこなわれている議論は、地域および地球規模の安全保障問題への日本の関心の増大を反映するものであり、心強い(encouraging)動きである。…合衆国は、われわれの共有する安全保障上の利益が影響を受けるかもしれない分野で、より大きな自由をもった同盟国パートナーを歓迎するものである」と改憲の動きを激励するとともに、「一定の条件下で日本軍(Japanese
forces)の海外配備に道を開く法律(現行制度では、それぞれの場合に特別措置法が必要とされる)について現在すすめられている討論もまた心強い動きである。合衆国は、情勢がそれを必要とする場合に、短い予告期間で部隊を配置できる、より大きな柔軟性をもった安全保障上のパートナーの存在を願っている」と、海外派兵恒久法制定の必要性を強調してもいる。また、「CIAが公表した数字によれば、日本は、国防支出総額では世界の上位第5位にランクされてはいるが、国防予算の対GDB比では世界134位である」として「日本の防衛省と自衛隊が、現代化と改造(modernization
and reform)を追求するにあたって十分な資源を与えられることがきわめて重要である」と、日本の大軍拡を勧めさえする。さらには「国連常任理事国となれば、日本は、時に武力行使を含む決定を他国に遵守させる責任を持った意思決定機関に加わることになる。ありうる対応のすべての分野に貢献することなく意思決定に参加するという不公正(inequity)は、日本が常任理事国になろうとする際に向き合わなければならないマターである」として、国連安保理常任理事国入りしたいのなら軍事的な対応能力も持つべきことを「勧告」している。こうした実に具体的な「勧告」内容は、強い憲法「改正」への期待の表明以外のなにものでもない。
報告は、付属文書「安全保障および軍事面での協力」において、かなり立ち入った「協力事項」にも言及している。「日本の国防能力の引き上げ」「太平洋軍への日本の防衛省代表の配置」「統合幕僚監部への米軍代表の配置」「宇宙空間の利用」「『共同統合運用調整所』の全面的実行」「F22の一個飛行中隊配備」などなど、こと細かく「勧告」する。しかし留意しなければならないのは、これらの具体的内容が、すでに既定路線のように日米間で軍事的にすすめられているという実態であろう。
たとえば、「ミサイル防衛」。報告では、「特に、最近の事態に照らして、日本は、弾道ミサイル防衛への特別の予算を組むことを検討すべきである」とし、さらにCG(X)〔米海軍が開発中の弾道ミサイル迎撃型の新型巡洋艦〕などの共同開発の機会を検討すべきだとまで言っているが、この「ミサイル防衛」体制は、これから構築する単なる青写真ではない。すでに北朝鮮が昨年7月にミサイルを発射した際、横須賀を母港とする米イージス艦3隻と自衛隊の補給艦「はまな」・イージス艦「こんごう」とが連携し、補給艦「はまな」は米イージス艦に2度にわたって洋上補給を行ったし、「こんごう」には、米イージス艦の技術将校が乗艦・指導していた。「集団的自衛権」の行使、つまり「米国のための共同軍事行動」は、すでに現実になされているのである。
「再編(transformation)」されているのは在日米軍だけではない。自衛隊もすでに「自衛」の「隊」の域を踏み越え、米軍と一体となった海外展開用に装備・編成・指揮系列・訓練等々においてシフトを変えてきている。防衛省昇格法と同時に目立たぬ形でなされた自衛隊法「改正」によって、「海外出動」を軍事的な本務にシフト変更した。「自衛」隊が海外出動を本務とするのは、設置目的の本質転換にほかならない。「自衛」隊である建前の、いわばtransformationである。
こうした内容が、実は、自民党改憲案「新憲法草案」には書き込まれている。この案は、戦力保持と交戦権を禁止した現行九条二項を廃止して、九条の二を新設するとしているが、その第一項で、自衛隊ではなく自衛「軍」であることを明確にしたうえで、第三項で、その軍の任務に「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」なるものを加える、とする。「国際協調」というが「国連協力」ではない。米軍との共同行動である。その上で、その種の自衛軍の行動については、法律に委任するとするが、その「法律」が、実はこのように自衛隊法等の改定として次々に先行処理されているのが今なのである。
改憲自体はもう少し先のことだろう。だが、改憲が俎上に昇るときとは、すでに憲法以外がすっかりtransformationされているときでもあると見定めなければなるまい。となると、昨今の一瀉千里の感がある動きこそ、「今そこにある改憲」と言うべきであろう。