<「戦後60年のいま、憲法を学び広げる映画と講演の集い」(7月31日、大阪)での浦部教授への質問と回答> 当日参加者から出された主な質問と浦部教授の回答です。講演会の模様と講演に対する参加者の感想はこちらへ。 【Q】本来、国家権力を制限するはずの憲法を、権力を握っている者が何でもできるように憲法改正しようとしている現在の憲法改正の案は改正の限界に当たらないのですか。 【A】自民党や民主党の「改憲」論は、「憲法制定権力」を「国民」から「国民の代表」が奪ってしまおうとする議論にほかなりません。それは当然に現憲法をトータルに否定し「新憲法」を制定するという議論になります。日本国憲法99条は国会議員にも憲法尊重擁護義務を課しているわけですから、その国会議員によって構成される国会に現憲法を否定するような「改正」の発議権があるとは解しえません。つまり、憲法96条はそのような憲法の変更を「改正」としては予定していないということです。その意味で現在の「改憲」の動きは「改正の限界」をこえるものだといえます。 【Q】先生が仰るように、私も憲法は「国家権力を拘束し、国民の権利・自由を守る」ものだということが国民に浸透していないと思います。私はその理由として、権力にとって都合の悪い憲法をあまり国民に教育すべきではないという政府(殊に文科省)の意図があったのではないでしょうか? 先生のお考えをお聞かせください。 【A】教育の力は、たしかに重要です。憲法をないがしろにするような教育が政府によって進められてきたことも一つの理由でしょう。ただ、現場の先生方の中には、人権・平和・民主主義の価値を熱心に説いておられる先生も少なくありません。政府の意図は意図として、それに抵抗・対抗する一人ひとりの行動こそが重要になります。政府が悪いと言っても、そういう政治を許しているのはほかならぬ私達自身なのですから。 【Q】東京都の学校を中心に、国歌を卒業式などで歌うことが強制され、国歌のピアノ伴奏や国旗の掲揚を拒否する教師が懲戒免職されるというニュースがありました。これはやはり、思想良心の自由を侵害する行為だと考えるのですが、先生の見解をお聞かせください。 【A】「日の丸」「君が代」の強制が思想良心の自由の侵害であることはいうまでもありません。「国旗国歌法」が制定されたとき、政府は「強制するものではない」ということを明言しています。にもかかわらず、いつの間にか「君が代」は「国歌」なのだから学校行事で斉唱するのは当然だといった意識が、一般の人々の間にも浸透しつつあります。それと意識せずに「長いものに巻かれ」てしまう日本的体質を、ここでも感じざるをえません。 【Q】非軍事の「人間の安全保障」の取り組みの重要性はよくわかるのですが、世界でテロをおこしているような人間に対してどのように対応すべきか、日本国憲法の平和主義の理念がそれに役立つのか、などについて説得力のある説明ができません。 【A】いまブッシュ政権がやっていることも、逆の立場の人々からみれば「国家テロ」にほかなりません。イスラム過激派のやっていることは「テロ」で、そのようなテロの脅威に対して断固戦うべきだ、という論理は、逆の立場からいえば、アメリカのやっていることは「国家テロ」にほかならず、そのようなテロの脅威に対して断固戦うべきだ、という論理になります。これでは、ますます暴力の拡大をもたらすだけでしょう。その愚かさに気づくべきです。そうすれば、日本国憲法の平和主義はきわめて「現実的」な方向を指し示しているということが理解されるはずです。 |