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当欄としては、やや変則的なきらいはありますが、ダイレクトに “憲法関連”とは言い兼ねる2冊を、今回と次回にわたってとりあげます。ここでご紹介するのは、憲法そのものが中心テーマではなくとも、そこでの話題が、ひとつには憲法をとりまく現在の状況と密接に関連しているのではないかという点、いま一つには、それを憲法的視点から、憲法理念との関係で読み解くことができるのではないかという点、この二つの点を考慮してとりあげることにしたものです。
まず今回ご紹介するのは、かもがわ出版よりこの6月に創刊された雑誌「ロスジェネ」。冒頭の「ロスジェネ宣言」曰く、“ロストジェネレーション=失われた世代?失われたのではない、奪われたのだ”。超左翼マガジンと銘打たれた本誌創刊号の特集タイトルは「右と左は手を結べるか」、です。反貧困、手をつなごう、とのメッセージを自らの“リアルな言葉”で強くアピールしようという姿勢がうかがわれます。特集記事の対談は、雑誌「論座」(07年1月号)に掲載された論文「『丸山眞男』をひっぱたきたい―31歳、フリーター。希望は、戦争。」で脚光を浴びた赤木智弘氏と、ロスジェネ編集長浅尾大輔氏との間で「ぼくらの希望は『戦争』か『連帯』か」と題して行なわれたもの。現代日本社会の非正規労働の実態がこもごもに語られながら、お二人の論争点は“誰をひっぱたく”べきか、に収斂されてゆきます。「正社員が敵」(赤木氏)「単に連帯だけで実際に貧困層にお金がまわるのか」(同)「僕が担当している労働組合のある組合員が『毛布のような労働組合だ』と言ってくれたことがあるんです。必要としないときは押しつけない、ただ寒くなったらかけてくれる、(中略)これまでの正社員の組合でも生み出せなかった言葉だ」(浅尾氏)。
対談で交わされたこれらの言葉から、本稿筆者は、90年代中葉以降のグローバリゼーションが背景にあることを強く感じました。空前の規模で膨れ上がった非正規雇用と貧困の拡大、しかも、その貧困状況の打破が“戦争”との関連で語られることは、以前の時代にはあまりみられなかった現象のように思われます。それが今の憲法状況を左右するファクターの一つとなっている、ということを意識せざるを得ません。
もう一つ、この対談で注目されるのは、“連帯”を築くのに、“寒いときにはかけてほしいが、必要としないときには押しつけ”られない“毛布”のような労働組合に期待が寄せられている、という点です。これには、異論もあるのではないでしょうか。自らが“必要としないとき”でも、他者は必要としていることがあるのではないか?ここで想起されるのは、前回当欄でとりあげた書籍『対論 憲法を/憲法から ラディカルに考える』の一節です。第U部「愛国心と教育」(西原博史教授×北田暁大准教授)の対論の中で、「権力に抵抗する反権力」が権威主義的・集団主義的存在として個人の多様な発展を妨げてきた側面があるのではないかという問題提起がありました。そこに対置されるのは、自律(立)した存在としての個人です。それぞれに自律した個が、他者の必要をも感じとることによって初めて真の“連帯”が築かれるのではないか、また、それが憲法13条にいう「個人の尊重」ではないかと本稿筆者は思量します。
では、そのような“連帯”を築くための“個”は、どのように確立され得るのか、またその“個”と“公”はどのような関係に立つのか。それらの問について、答のひとつとなるのではないかと思われる書籍、『戦争と平和の学びかた―特攻隊からイラク戦争まで』を次回とりあげてみたいと思います。
“戦争”の現実と、現憲法の史的価値とを検証するドキュメンタリー映画「戦争をしない国 日本」、理解の一助となるものとしてマンスリー上映会をご案内します。
【書籍情報】雑誌「ロスジェネ」創刊号(2008年6月刊行)かもがわ出版 定価(本体1,300円+税)
※尚、今回とりあげた雑誌「ロスジェネ」には当サイト「今週の一言」「『デモ』という文化と“桃色ゲリラ”」にご登場いただいた増山麗奈さんも編集委員に加わり、今号に記事「戦争よりエロスそして環境へ―桃色ゲリラの挑戦」を載せておられます。
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