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2010年

 
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尖閣諸島中国漁船衝突事件
H.O.記

 2010年9月7日、沖縄県・尖閣諸島付近を航行していた中国漁船と、それを違法操業として取り締まりを実施した日本の海上保安庁の巡視船が衝突しました。海上保安庁は中国漁船が衝突してきたとしてその船長を公務執行妨害で逮捕しました。中国政府は「尖閣諸島は中国固有の領土」として、逮捕は非合法だと主張し、日本政府に船長の即時釈放を要求しました。しかし、日本政府は「尖閣諸島はわが国固有のもの」「尖閣諸島に領土問題はない」との立場をとり、船長を勾留し取り調べました。中国政府は日本が国内法による司法手続きを進めたことに激しく反発しました。
 同月24日、那覇地検は処分保留のまま船長を釈放しました。地検は「今後の日中関係を考慮した」と説明し、最大の貿易相手国でもある中国との「戦略的互恵関係」を修復するという菅直人内閣の意向を受けたと見られました。このことに対して、菅内閣の中国に対する外交姿勢は軟弱だという批判、また官邸が司法に介入したとの批判が広がりました。
一方中国政府は、フジタの社員を拘束したり、レアアース(希土類)の対日輸出を事実上制限するなどの措置をとりました。そして、中国の各都市で尖閣諸島の領有権を主張する反日デモが発生し、日系商店のガラスや看板が割られたり、駐車中の日本車が破壊されたりしました。こうして日中間にかつてない緊張状態が生まれることになりました。
 なお、同年11月4日、海上保安官が、中国漁船が衝突した映像をインターネット動画共有サイトに公開しました。警視庁はその海上保安官を国家公務員法守秘義務違反で書類送検しました。海上保安官による情報漏洩は批判されることになりましたが、同時に、衝突事件に関わる菅内閣の情報公開の不十分さ・消極的姿勢も国会やメディアなどで厳しく指摘されることになりました。

 中国は、1971年以降、尖閣諸島の領有権を主張し始めましました。1968年に国連機関などが行った調査で、尖閣諸島周辺海域に石油資源が埋蔵されている可能性が指摘されてからです。1978年の日中平和友好条約の締結交渉の際には、中国の漁船団が尖閣諸島周辺に集結し一触即発の危険が生じました。しかし、搶ャ平副首相が尖閣諸島の領有問題の「一時棚上げ」を唱えたことで事態が沈静化していました。その後、中国は1992年に「領海および接続水域法」を制定し、尖閣諸島を自国領と明記しました。そして、中国が経済成長を遂げ、世界や東アジアで主導的な役割を目指そうとしていた、そのような時期に衝突事件は起こったのです。
衝突事件をめぐる様々な動きの中で、2012年、石原慎太郎東京都知事は都が尖閣諸島を所有者から購入すると宣言し、その後事態の混乱を恐れた野田政権が島を購入し、国有化しました。中国ではそれに反発する対日批判キャンペーンが強まり、各地で激しい反日デモが発生し、日本製品に対する不買運動も行われました。2013年には、日本の護衛艦に対して中国海軍が射撃管制用レーダーを照射するという事態が発生しました。そして、中国政府は尖閣諸島を含む東シナ海上空を「防空識別圏」に設定し、以降中国軍戦闘機と自衛隊機が異常接近するなど緊張が続きました。その後も現在に至るまで、中国公船によるによる尖閣諸島周辺への領海侵犯が繰り返し行われています。

 衝突事件によって国民の多くが、尖閣諸島をめぐる日中間の緊張関係をリアルに認識することになり、そしてそれが軍事衝突に発展する危険性も感じることになりました。また、そうした状況に求められる日本外交や安全保障政策、政府の情報の管理やその公開のあり方、などが議論されることになりましたが、とくに考えておきたいことに、領土というもの捉え方があるでしょう。
 領土とそこ住む国民、そこでの統治のシステムが憲法に定められて近代の「国民国家」が成立することになりました。ここで言う領土は、一国の排他的主権が及ぶ領域という意味で使われることになります。領土をめぐっては、各地で「ウチの領土だ」、「いや、ウチのものだ」という争いがあります。浦部法穂教授はこの領土問題の解決のために、「国民国家」の枠組みを離れて知恵を出す重要性を説きます(浦部法穂の憲法時評「領土問題」「人も住めない『島』のために戦争するとでも言うのか」)。「国民国家」については、それを作り出した元祖というべきヨーロッパにおいて、EUという形でその枠組みが大きく相対化されてきており、深く考えてみる必要がありそうです。